| 身勝手な楔 16歳-1 |
「そら去年はな、受験やったから。クリスマスや言うてもどこ行くねんって話で。それは分かってんねん、せやけど今年はもう高校生やし? 付き合うて1年以上経ってるし? 別にええんとちゃうかなあなんて、よその優しくて綺麗なお姉さんは思ったりするわけなんやけど」 「自分で言うたら元も子もない……」 「なんやて? 可愛げのあるこの子は今なんて言うた?」 「いってえ! なにすんねん!」 土曜日の夕方だった。天気予報をあざ笑うかのように曇天を蹴散らした太陽の日差しの下、午前9時からの部活を自主練習時間も含めて夕方近くまでこなし、ようやく自宅に帰ってきてソファでくつろいでいた時にその声は突然背後からやってきた。 まもなく冬を迎えるとはいえ、11月の日中はまだ暖かい時期である。しかも部員たちの管理を行うのは晴れてこの秋から新部長となった白石とその参謀の金色であり、中学時代に嫌というほど経験しているとはいえ、さすがに体力に余裕など残されるはずがない。四天宝寺高校に進学して疲労を最も蓄積されるのは授業でもテスト勉強でもなく、当然のごとく部活であると暗黙のうちに伝えられている毎日だった。本人たちは平然とした顔で部活時間をこなしているのが癪に障り、弱音を口にしたことなど一度もなかったが。 そんな部活動に没頭する義理の弟を、財前の兄の結婚相手はここ最近、労わることが面倒くさいと唐突に言い出して、そしてことさらある特定の人に関する話題を家のどこにいてもぶつけてくるようになっていた。携帯電話の画面を消してから苛立ちを隠さない表情で振り返ると、義姉はもどかしさをこれでもかというほど満ち溢れさせた表情で財前を見下ろしている。手には先ほど財前の背中を叩いた雑誌が丸められていた。 「光くん。ええ加減にしいや、あんた今年いくつやねん。16やで16。分かってんのその意味」 「誕生日プレゼントをけちった人に言われた……せやから痛いねんそれ!」 「お金だけあげたってためにならんから節約した言うてちょうだい。大人の優しさやで。それかお兄ちゃんのボーナスに文句言うて」 「……自分の子供には俺より豪華なケーキあげたくせに」 「なんや光くん、私の子供になりたかったん?」 「絶対無理」 兄と喧嘩でもしたのか、今日の義姉は随分と機嫌が悪い。思えば土曜日の夕方だというのに財前と義姉以外その姿は家にはなく、昨夜の夕食時に父親と兄が揃って飲みに出かける約束をしていたのを思い出すのはしばらく経ってからのことだった。甥は財前の母が近所のイルミネーションに連れ出しているらしく、なぜかこの二人の組み合わせとなって家の中の喧嘩は成立している。 そもそも義姉に喧嘩を売られるいわれはないはずだった。夫婦喧嘩であれば兄との間だけで完結してほしい代物であるし、もしそれ以外に飛び火するようなことがあってもそれは愚痴を言う相手として財前の母までで止めてほしかった。まだ10代の無関係な義弟にまで、しかもその義弟のプライベートにまで足を突っ込んできた喧嘩をされなければならないのは理不尽極まりない。しかし義姉は気にすることなく雑誌を丸めたまま、財前の横に座った。左手に光る指輪が今日も燦然と義姉が誰かにとって至上の人であることを証明しているというのに、その至上の人のせいで自分は被害を被っている。やはり理不尽以外のなにものでもなかった。 「そこまで機嫌悪くなるんも珍しい」 「あんたのお兄ちゃんは無神経すぎんねん。どうしたらあそこまで人の気持ちに気づかへんとへらへら笑ってられるんか私には分からへん」 それを知っていながら結婚したのではないのか、とペットボトルの残りの水を飲みながらちらりと義姉を見つめる。さきほど消した携帯電話の画面には自分の彼女が素直に部活を労わる言葉が並んでいたため、その正反対ぶりに財前は逆に興味が湧いてきた。 「そしたらなんで結婚したん。兄貴昔からあんなんやろ、逆に喧嘩せんですむから楽やったぐらいで」 「男同士やったら通じるもんもあるんかもしれへんけどね。家族とか。でもな、それを他人にまで求めるんは酷やで光くん。それが普通」 「そんなもんなん」 「そんなもんやねん」 財前の淡々とした問いかけに引きずられて、義姉はようやく落ち着きを取り戻した。丸められていた雑誌もやっと元の形に戻され、小さなため息がその上に零される。なにやら美々しいその表紙に視線をちらりと向ければ、イルミネーションに彩られたこの時期特有のタウン情報誌だった。ああ、とそれだけで合点がいって財前は携帯電話を再び触りだす。なんてことない、この義姉は兄と一緒にイルミネーションのデートに出かけたかったのだ。子どもが一緒でもいいと当然思っていただろう、お世辞ではなく口は悪いがこの人は子煩悩である。それなのにその意図をくみ取ってもらえなかったことに悲しみ、曲がりなりにも顔が似ている財前に愚痴を零していたのだ。 「ストレートに誘ったらええんとちゃうの。別に嫌いやないと思うけど」 部活で疲労困憊している身で慰める予定はなかったのだが、怒りの原因が分かった後では逆にそれが最短の逃げる道でもある。恋人への返信を打っては消しを繰り返すのも面倒になってきた。そろそろ解放してもらわなければと財前は慣れない言葉を並べてみる。 「夜中混雑しとるところに出かけて何が楽しいねん、とか言われてそれ以上言う気になる?」 「疲れとる時に言われたらそう返すんちゃうのあの人は」 「じゃあ次の日に『やっぱ行くわ』言うたらええやん」 「覚えとるはずないし。また聞けばよかったんちゃう、元気な時に」 「は、なに? そこまでこっちが配慮せなあかんの? 面倒くさ」 もう一度、それを知っていながら結婚したのではないのかと心の中で問いかけたくなる。確かに指輪は相変わらずその薬指にある。むしろ瑣末なことながら派手に喧嘩をしているくせに、その指輪は取らないものなのだとも思う。結婚をしていない身にとってそれは想い以上に契約としての言葉に代えられない重みがあって、軽々しく尋ねることができるものではなかったが、しかし今もその薬指に飾られていることはある程度の答えを示してくれていることだけは分かる。 「まあ、でも。イルミネーションなんて付き合うてる時めちゃくちゃ行ったしって言われたら、返す言葉もないんやけど」 しおらしいため息で可愛げを演出しているが、義弟としては心の中で呟かざるをえない。行っとったんかいと。 「そうするとね、今私の目の前で高校生のくせに部活ばっかしてスマホしか触らへん子を見てるとね、もうむしょうに腹が立ってくるわけ。高校生のくせに何してんねんって」 少なからず同情して、慰めようとしていた思いやりの心は無駄なものであったらしい。そしてソファの隣で力説しだす義姉の性格を改めて思い出すのだ、母親に負けず劣らずのお節介だったことを。 「今年のクリスマスは受験とちゃうんやし、きちんと出かけなさいよ。お兄ちゃんの真似したらあかんで、思ってることは言わな伝わらへんのやから。ええやん、彼女でおってくれてありがとうでデートに誘ったって。こっちから誘ってあげたら絶対喜ぶから、光くんの彼女なら」 ぽん、と優しく雑誌を腕に当ててから義姉は夕食の準備の続きのためキッチンへと戻っていった。しばらくしてイルミネーション帰りの母と甥が騒がしく帰宅し、義姉は恋人でも妻でもない母親の形相で手洗いをしない甥を追いかけ回している。 財前はソファに座り込んだまま、関西地区のイルミネーションを特集した雑誌の表紙を見つめる。思えば高校に入学する前は受験という理由で向こうが塾通いに忙しかったし、入学したら今度はこちらが部活で忙しくなってしまった。遠出らしい遠出もしたことなく、中3、高1と違うクラスになったせいで財前の彼女がという同級生であることを知らない人間も多い。おかげでお互い無駄に異性に近づかれる機会を有してしまい、それはひたすら疲労と苛立ちを蓄積させた。 (……そら、彼氏彼女やったらこういうところは一回ぐらいは行っとかなあかんのやろうけど) 浴室に連行されそうになった甥が脱走して走り回る。それを追いかける義姉の怒声をBGMに雑誌をめくると、なぜだかむしょうに目をひかれてしまう自分に財前は呆れた。義姉のお膳立てで全てが決まってしまうのが不愉快なのに、しかし視界に飛び込んでくる冬の一大イベントの情報はどこか心を急き立ててくる。やはり癪だ、と逃げ回る甥を捕まえて浴室に放り込んでからため息をついたものの、 「ユニバ? 本当? 行く行く!」 月曜日、珍しく感じるほどその表情が明るく華やかなものに変わったので、財前は自分が尋ねておきながら次の言葉を用意するのが遅れた。 部活に出る前のほんの限られた時間だったが、偶然昇降口でその姿を見つけたのでにさりげなく12月の予定を聞いてみたところだった。別にイルミネーションにこだわる必要も、ましてやクリスマスに限定する必要もないほどこれまでデートらしいデートはしたことがない。しかし義姉の思惑をのせた雑誌のイルミネーション特集を、結局財前は夕食が始まる前まで見入ってしまって、頭の中に全ての情報を詰め込んでしまった。そして予定外のところで出会ったため唐突ながら「ユニバ行かへん」と聞いてしまったらこの結果である。輝かしいほどの笑みに、の頭の中には財前が一夜漬けで詰め込んだ知識以上の情報が既にインプットされていたに違いないことは容易に想像できた。 「……あ、そう」 「え、光くん嫌やった? 違うとこの方が好き?」 「いや、そんなあっさりOKするとは思わへんくて」 どうして、と尋ねる顔にすら笑みが浮かんでいる。普段付き合っていることをあまり公にしたがらないと校内で話すことは稀で、たとえ顔を合わせたとしても言葉をかけなかったりもっと人目につかないところで話したりするのが常である財前にとって、人の出入りが激しい放課後の昇降口でここまでに見つめられたことは初めての経験だった。その見上げる視線はかねてより自分の欲しているもので、その嬉しさを隠そうと言葉少なになってしまうあたりが自分の経験値の少なさを物語っていて悲しくもある。 「行きたいなら別に行きたいでええんやけど」 「うん、行くよ? 珍しい、光くんから誘ってくれるとか。ありがとう」 「……まあ、そういうことで」 「じゃあね。部活頑張ってね」 けしかけたのは違う誰かでも、こうして声をかけたのは自分である。だから、の顔が喜びに溢れているのは自分のためである。してやったり顔の義姉を頭の中から追い出しながらと別れ、財前は校舎を後にした。 高校に進学してから特に感じるようになった物珍し気げな視線は、財前も得意なものではない。もそれが苦手なのだろう、用事がある時以外は学校ではほとんど声をかけてきてくれなかった。感謝するわけではないが、唯一気を許していたのはテニス部の上級生がいる時だけかもしれない。すると今度は義姉ではなく全てを支配しているような白石と金色の顔が思い浮かんでしまって、ため息をついた頃には部室へたどり着いていた。 しかし、意外だった。 (学校は苦手なくせに外に出るんはええんや。まあ俺もその方がええけど。にしてもあそこまで) 喜ばれるというのは、嬉しさを感じる反面何か後ろめたいものを感じる。あれ以上に喜ばれた記憶は、思い返してみてもすぐには思いつかない。告白をした時はただ驚かれるばかりだったし、受け入れる返事をしてくれた時は自分が驚きに負けてもはや何も覚えてもいない。その後の二人の関係は決して派手なものではなく、穏やかであり秘密裡でもあった。 中学の時とデザインは変わったがビビッドな配色はそのままのユニフォームに着替え、昔と同じ仲間が笑い声をあげているテニスコートへと向かう。付き合い始めた時には既に彼らは卒業していたから、このようにと部活の上級生を続けて視界に収めるのは少し忙しないと思う。それは嫌な予感とも呼べるもので、 「当たり前やないの、彼女おるくせにクリスマスにユニバ行かへんとか。大阪の男としてあるまじき行為よ、光くん」 昇降口で財前の背中を、これでもかというほど嬉しそうに笑うを当然のように発見していた金色は、テニスコートでこっそりと背後から近寄ってきてそう告げたのである。 コートに座り込んで石田と柔軟をしているタイミングだった。容赦なく背中に乗って平然と話しかけてくる金色を容赦なく振るい落とすと、悲鳴が響き渡ると同時に石田に豪快に笑われた。 「痛いわ光くん! 思いやりが足りないわ! まあでも、せっかく近くに住んでるんやからそら行くべきよ。行き方分かる?」 「あいつとちゃうし」 「何よ、ちゃんとちゃうって」 「あいつ高校になっても電車嫌いで御堂筋線と環状線しか乗ら……いや、ちゃうし。何聞いてんすか」 「答えた後に言うても説得力ないわよ光くん」 彼女のことをよくご存じだこと、と高らかに笑って金色は白石のもとへと戻っていった。まさか報告するのでは、と慌てて立ち上がろうとすると、また背後から違う男の低い声が飛んでくる。 「財前から誘ったんか?」 「え? ああ、まあ。はい。多分」 「そうか。よかったな」 何がよかったのかは分からないが、石田はただそれだけを言って財前の代わりのように立ち上がり、悠然とした歩みで白石たちのもとに向かった。 部活という限られた時間と空間でもこの通りである。他人に自分たちの関係を知られるというのは、情報を共有されてしまうというのは日常生活に様々な負荷がかかる。ただでさえこちらの集中力を削いでくるような上級生たちの世話焼きの精神に弄ばれているというのに、高校ではという特別な存在を添えて付き合わなければならない。そう思うだけでため息が出てくるのだから、校内でがあまり自分と付き合っていることを知られたくない気持ちも分からないことはない。 (せやけど、そのせいで他の男に言い寄られるんは絶対悪手やろ。部長らみたいなええ人ばっかりとちゃうのに) 一氏が遅れてやってきた。途端テニスコートは笑い声と拍手に包まれる。テニスボールの音はどこへやら、財前が腰を下ろしたまま使い古されたボールを触っていると、千歳に「修行中なんか」と顔を覗き込まれたので適当にあしらう。 性善説で物事を成り立たせようとするの性格は、後付けできるようなものではないからこそ美徳だった。しかし、それを穏やかに見ていられるほどことらの心が広いわけでもない。自分の彼女だからという贔屓目があるとしても、は恐らく人に好かれる種類の人間だった。その上どう見ても自分より防御力の低い彼女に気を揉むのは既に一度や二度の話ではない。似たような回数で自分も告白まがいのことを受けたことはあったが、切り返し方は絶対に自分の方が鮮やかだっただろうと断言できる。それほどは財前から見て危なっかしい。 (俺と付き合うてるってもっとばれたら、面倒なことも減るのに。お互い。……多分) 公言せずとも周囲に伝わる、何かいい手はないものか。コート上で座り込んだまま考えていると白石の集合を呼びかける声が響く。俯きがちに考え込みながら集まると、隣から忍足が「何怒ってんねん」と覗き込んできた。いつも思うが、この部活の2年生はパーソナルスペースという言葉をまるで理解しようとしない。 そして救いの手は、案外身近なところから訪れる。不本意なほど自分の周りに揃っている、年上の存在によって。 「お前、クリスマス出かけるんやって? 母さんには言うたんか? 内緒か? 口裏合わせとくで」 またと学校でろくに話さない1週間を過ごし、携帯電話の画面越しに部活を労わられる土曜日の夕方。土曜日は部活があって疲れていると何度も伝えているはずなのに、リビングで寛いでいると絶対に隣に誰かがやってくる。 自分の目から見てもよく似ている兄がビール缶と共に隣にやってきたのは、そのようなタイミングだった。ちょうどへ返信をしたところで、財前は見られずに済んだと思う安堵感とともに、なぜそれを知っていると怪訝な顔をする。あいつの口の軽さ知らんのか、と疑問を口にするより早く兄は笑いながら回答を提示してくれた。 「……いや、クリスマスとは言うてない。ちゅうか出かけることも言うてない」 「花の高校生がイルミネーション見に行くのにクリスマス以外選ぶか、アホ。そんでお前が雑誌なんか見とったら誰でも気づくわ。ええ加減彼女できた言えばええねん、まだかまだか言うて待ってんねんで、母さん」 自分は結婚するまで恋人の存在をひた隠しにしておきながら、弟にはハードルの高い人生を歩ませようとする。それは優しさではなくただの好奇心だろうと冷めた目で見つめるが、アルコールを片手にした兄にそのような視線は何の攻撃にもならない。 大人は勝手が多すぎるとつくづく思う。義姉は友人たちと食事に行くといそいそと出かけ、それならばと両親は溺愛する孫とともに外食に出かけてしまった。残されたのは残業続きで昼まで寝ていた兄と日中家にいなかった弟の男二人であり、夕食は母親が冷蔵庫に入れておいてくれたもので軽く済ませれば時間が余るばかり。兄に言わせれば、両親のいない時に家に残っている弟が不憫でならないらしい。 「お前が彼女連れてくるんやったらみんなもっと家あけたるのに。アホやなあ、親おらん日にまで真面目にスマホだけとか」 「母さんに言うたら毎日そのことばっかり聞かれるやんか。絶対嫌や、死んでも嫌や」 「そらそうや、母親の楽しみやー言うてたで」 「義姉さんにばれただけでこっちはもうめんどいねん。ほんましつこいし」 「仲ええからな、あの二人。似とるんやろ」 兄は淡白で滅多に物事にこだわらない。その兄が結婚すると聞かされた時はさすがの財前でも驚き言葉を失った。そして連れてこられた義姉が口達者で、どういう組み合わせだと更に目を丸くしているこちらをよそに、母親と勝手に意気投合していく様を財前はまざまざと見せつけられていた。二人が仲良くやれれば自分は楽だとでも言わんばかりに、兄は父との晩酌を楽しんでいる姿が常である。無関心なようでその実、同居するこの家族にきちんと溶け込めるかどうかをしっかりと見定めてきた兄の選択眼だけは立派なものだと財前は思う。 兄の左手薬指にも当然指輪が飾られていて、それを見るたび財前は怒っていた義姉の姿を思い出す。だがすぐにそれは甥を追いかけ回す鬼の形相に取って代わられてしまうほど、些細な怒り方だったと思う。その指輪は、結婚という一つの壁を乗り越えている人間にしか分からない何かがあるのだろう、と財前が考えるには十分な力を持っていた。 「ちゅうか俺かて全然知らへんのやけどな、お前の彼女。どんな子なん」 「どんな子って」 「あ、待て。俺が当てたる。絶対大人しいで。じーっと黙ってスマホばっか触って好きなことばっかしよるようなやつの彼女やで、いい子に決まっとるわなあ。そんでお前案外可愛い子好きやからな、忘れへんで幼稚園の時のあゆみちゃん。まああれは初恋にはカウントできひんシロモノやけど」 「……」 弟を可愛がっているのか心底けなしているのかよく分からない、アルコールに飲まれた大人は面倒だった。そして他人というのはどうでもいいことばかり覚えている。しかし見たこともないのにに関する認識だけはさほど間違っていないあたりはさすがと言うべきか、指輪をつけるほどの年齢にもなると異性をそこまで分析できるのか、と財前は黙って酔っぱらった兄を写真に撮り、義姉に送り付けた。 「まあ、でも」 仕事してくれるからええねんと、優しいのか冷めているのかよく分からない簡単な返事が届けられると同時に兄は静かにビール缶を口に運ぶ。 「適当やったら1年も続かへんやろうし、まあお前なりに頑張ってやっとるんやろうな。それか向こうがよっぽどええ子か。どっちでもええけど」 「ええんかい」 「よそが口出す問題ちゃうしな。どっちもきちんと感謝できる関係やったらそれでええんちゃうの」 淡々と語るとビール缶は空になった。あまり酔っているようには見えない足取りでそのままキッチンへと戻っていく兄の背中をじっと見つめ、財前はソファに深く沈むように背もたれに体を預けて真っ白い天井を見上げる。耳の奥にいつまでも響くのは分かっているようでその実、縁の少ない言葉だった。 (感謝か) それは不思議な力を隠し持った言葉だった。感謝という言葉を通して考えてみれば、デートに誘うことは決して間違いではないと簡単に納得できる。 義姉が帰宅するとまたいつもの騒がしい空間が舞い戻ってくるのだが、キッチンが片付けられていることに義姉はきちんと財前にも感謝の言葉を口にしてくれた。兄はただ適当な返事をするだけだったが、ソファに座ったままその様子を眺めていると、財前はいつしか携帯電話を触っていた手が止まっていたことに気がつく。 「飲みすぎたわ。むくんで指輪きついねん」 「それは酒のせいやない」 二人の左手に光る指輪は、財前には縁のないものだからか単純に美しいものに見えた。 財前はその日、帰宅した母が珍しいと喜ぶほど長くリビングに居続け、恋人同士ではない二人のやり取りを改めて見続けた。そしてなんとなく、ただなんとなく適当に一つのものを検索し続け、月曜日の早朝練習前にもそれを続けてしまったものだから、 「おかしいでえ! 財前くんの携帯電話の検索履歴が恋する男の子やでえ!」 「あんたはどうしてそこまでデリカシーがないんや!」 部室で偶然一氏に覗かれてしまった検索画面は金色たちを嬉々とさせたのだが、それ以上の関わりは一氏のみぞおちにテニスボールを付与することでとりあえず防ぐことができた。指輪なんて素敵、とあっさりと見抜いて囁いてきた金色には、そのあまりの千里眼の能力に反抗するよりも逃げるだけで精一杯だったが。 クリスマスまで虎視眈々と、何かを探ろうとする上級生をかわし続けることはこれ以上ない疲労を蓄積させ、いつも以上にと話す機会がないまま、季節は12月へと容赦なく突入するのであった。 |
| >>16歳-2 21/06/15再録 |