| 童心 06 |
石田にぶつかった時は、この狭い世界の意味を知らされているかのようだった。 逃げるな、と誰かに言われていて、それを伝えに石田が現れたのかとも思った。 (せやかて、そんなん。俺部長こなすんに必死で、あいつがなに考えとったとか全然知らんし、考えもせんかったし、……分からへんし) 白石の言葉がぐるぐると頭の中を回る。他のことを考えたいと思っても鼓動がそれを許さない。石田に出会ってしまったことが拍車をかけているように思う。あのどっしりと構えた雰囲気は白石とは違う厳かさがあって、嘘などつこうものなら罰が当たりそうな気がするのだ。 多目的教室にいた小春が、なにも知らない様子であったのは幸いだった。一通り受け取った後、確認をして教室へ戻ろうとした時にその姿がなかったことに安心する自分もいた。 3年生の前では、今は冷静さを保てる自身がなかった。頭の中に白石と、そしてあのの姿がちらついてまともに言葉すら出ない。 「……もうそろそろ終わりやな。悪い、俺ちょっと寄り道してええか」 「あー、ええで。テニス部忙しいんやろ。俺ひとりで持っていけそうやし、先準備でもしとき」 それ以上の追及はせず、親友は材料を抱え持って7組へと戻っていく。財前はその後ろ姿を見送ったあと、知り合いには見つからないようにとそっと屋上へと向かう。 何年前の卒業生が作り上げた空間かは知らないが、屋上手前の階段脇に備え付けられたロッカーの中に屋上へと繋がる鍵が入っていた。白石から教えられたその鍵を取り、財前は最も空に近い場所に出る。 10月が終わろうとする、少しばかり風の強い日だった。 「部長はお前や、財前」 白石に言われた日、最初は頷くことをためらった。本当のことを言えばその任務が自分に回ってくるであろうことは薄々は承知していた、全国大会が始まってからなぜか白石の仕事の一部を渡邊に指示されていたからだ。それなのにためらってしまったのは、自分がその器ではないと思っていたからだ。 忍足あたりは至極複雑そうな顔をしていた。自分でも思っていることなのに3年生にまで思われたらますます逃げ腰になる、だから悪態をついた。 「まあ、しゃあないっすわ」 いつもの口癖をコート上で白石たちに向かって呟いた、それが最後の瞬間だったかもしれない。緊張、照れくささ、動揺、高揚。すべての感情を込めたいのか隠したいのかは分からなかったが、その一言で白石には通じると思った。白石は、ただ笑ってくれた。 だから財前にとって白石は、テニスにおいても人間としても、超えるべき壁で越えられない壁でもあった。あの人に達したものは本当はなにひとつもないことを自覚している、溝があること手が届かないことを知っている。だが敗北の名にしがみつきたいわけでもない。その思いで今日という日までやってきた。 誰もいない屋上で、建物に寄りかかるように腰かけて空を見つめる。白く細切れになった雲が、薄く薄く伸びるようにして南北を繋いでいるようだった。 「お前、最近大きくなったんとちゃうか。……って、うわ! 俺より背高いし! なんやねんこれ! お前変なもん食べたやろ!」 一氏に叫ばれるまで、自分の身体の変化には本当は気づいていなかった。ただ10月になって、去年着ていたカーディガンを着てみたら随分と小さくなっていて義姉に笑い飛ばされた。ちょうど合うものがなくて仕方なくひとつ大きいサイズを買ってみたら忍足と同じサイズ同じ色になってしまい、ますます彼の不興を買った。白石はまた笑っていた。 背伸びをすれば、なにかが後からついてくる。それを実感するのは、いつもコートであり、3年の教室であり、2年7組ではなかった。 財前は体操服の袖の中に手を埋め、おもいきり顔を隠す。耳だけが鮮明に秋の光景を伝える。誰かの笑い声、風の吹く音、遠く、列車の走る音。顔を上げる。目が訴える。空が、校舎が、遠くグラウンドがテニスコートが映る。 意識を向ければ、自分以外のものはいくらでもそこにある。 いつも気づいていなくとも、それを咎めることもせず確かにそこに存在してくれている。 (……俺、最近となに話したかな) 思い出せるものを探す。付き合い始めた日は思い出せるのに、ここ数週間の記憶にはいない。テニスにこだわりすぎて会話はおろか、視界に収めることもしていなかった。それがおかしなことであるとも気づかなかった。まるで風のように空のように、あって当たり前だと思う心がどこかにあった。 ポケットに入れていた携帯電話を取り出し、あのメールをもう一度見つめる。 当たり前のようにメールをくれる存在に、当たり前のように気遣ってくれる相手に、自分は今までなにを返してきただろう。そう思った時、悔しさに似たなにかがこみあげてきた。 『ごめん』 がメールを送ってくれてから、約2日。 自分が返せる言葉はそれ以外になく、それ以上もなく、たった3文字を送るだけで精一杯だった。 (……ああ、そういえば) 心臓がはやらざるをえない理由をもうひとつ思い出した時、さらに視界が暗くなった。 気分の問題かと思って顔を上げた時、そこには3年生の学年色を宿した体操服姿の白石がいた。 「悪いな。今日も横槍入れにきてしもたわ」 「……部長」 「せやからその癖そろそろ直せ言うてんねん、部長」 白石の左手が額を軽く叩く。なにも言い返せず額をさすると、白石は肩をすくめて財前の目の前に腰を下ろした。 「俺に勝つ、やったっけ? あの日、甘味処でお前が俺に言うた言葉」 怒られるかと思っていた。1年半も傍で見続けた、最初から部長として君臨していた人間だった。畏敬の念で見続けてきたその1年半はだてではない、白石の表情ならある程度次の言葉は予測できる自信があった。 だが白石は無表情の中に小さな寂寞の色を宿し、財前を見つめる。 「あれな、他人が聞いたら傍若無人っちゅうか慇懃無礼っちゅうか、な。お前がどんな人間かって知るには格好の言葉やと思うねんけどな、俺までそっち側で解釈したらあかんかったわ」 「……え?」 「本音で言うてみい。あれ、強がり入っとるやろ」 返す言葉はない。白石に尋問させられて冷静に答えられる立場ではない、そう思ったが白石は別の意味に捉えたようで今度はため息をついた。 「自分に言い聞かせとったんやな、と今になったら思うわ。お前こうやねん、こう。謙也以上に真っ直ぐモノ見すぎやねん。俺と同じ項目に関しては全部超えへんと部長務まらへんとか思てへんかって考えたらな、もうあの時のお前の態度全部それ。がおるから、余計にそれ」 「あいつは」 「関係ない、か? せやったらなんで今お前ここでひとりで沈み込んでんねん、に対する最近の自分の態度に自己嫌悪に陥っとったんとちゃうんか」 疑問符などつけなくてもいいのに、と思った。こちらは言い訳どころか返事もできない上に、白石の顔には確信しかない。思えば心理戦で白石相手に勝った試しなどないのだ、負けを認める言葉を用意することも億劫だった。 いや、それも違う。財前は自嘲の笑みを浮かべ、首を軽く横に振る。 返す言葉を生み出す力を根こそぎ奪い取るほどまでに白石が正論しか口にしないために、自分が惨めで惨めで仕方なかったのだ。 「……あかんと思いますよ、俺。あんなことして」 「あんなこと?」 ようやく口に出せた言葉に、白石はゆっくりと反応する。財前は力なく笑った。 「他の女子に対する言い訳を考えさせたりとか。そんなん、あいつ得意ちゃうのに。俺が一番分かってんのに。……俺の言うこと、断れへんのも分かってんのに。全部受け入れてくれる思て、あいつがどう考えるかなんて考えたこともなかったかもしれへん」 夏休みが明けてからだった。去年同じクラスだった女子が、頻繁に声をかけてくるようになった。偶然出会った先での出来事ばかりだったので気に留めていなかったが、さすがに学校外での約束を持ち出された時は返事に困った。 部活もあるし、なによりがあまり好みそうな約束とは思えなかった。 それならば、となにも伝えないよりかは伝えるべきと考えてに判断を委ねた。最初こそ驚いた顔をしたが、は懸命に向こうの女子が最低限の傷で済むような言葉を考えていた。他人のことだからそこまで本気にならなくてもいいのではと尋ねたら、その子の気持ちが分かると言われてそれ以上なにも返せなかった。 「……それやのに、自分が気まずくなったらなんも言葉かけへんとそのままにして。気まずくなる理由も向こう任せにして」 廊下でのの姿がよみがえる。なにかを言おうとして、けれどそこが教室の前であることに理性を働かせてなにも言えなかった。それを自分は見捨てるような真似をした。そんな財前を見て、きっとは己を責める。そういう人間だった。 7組の学級委員のような芯の強さはない。主義主張もはっきりしない。本当であれば、自分が興味を惹かれるタイプではないのかもしれない。けれど、 (好きになった後に、タイプとか関係ない。俺が付き合えるの、しかおらへんのに) 今自分は誰と付き合いたいのか。付き合いたいと思えるただひとりの人は誰なのか、彼女であってほしいし自分が彼氏として独占したい、それが誰なのかは、もう決まっているのだ。 財前は改めて、記憶の中のを探る。思うがままに行動してしまったあの時、は本当はなにを思っていただろう。いや、本当はなにを言いたかったのだろうか、尋ねたくてももはや尋ねた方が分からない。恥じ入る気持ちに負けて、情けなさに蹴落とされて、向かい合ってこの話題に触れることができない。 白石は黙って耳を傾けていた後、ため息をついた。さきほどのものより、少し軽かった。 「お前がそこまで分かってるんやったら、もう全部解決やったりするんやけどな」 「部長」 「誰もすぐに全部できろなんて言うてへんし、求めてもない。お前かてそれぐらい分かるやろ。謙也は生まれた時からいじられキャラか? 小春は生まれた時からずっとIQ200か? ちゃうやろ。そもそも俺が部長を任せたやつは、できるやつやなくて財前っちゅうやつやねん」 白石が立ち上がる。影が、消える。まばゆく秋の空に映える太陽を仰ぐがごとく顔を上げて目を細めれば、白石に「似合わへんな」と笑われた。 「そんなお前がええってが言うんやから、ほんまは俺になに言う権利もないねん。お前もっと俺にむかつくぐらい言うてええんとちゃうか」 「……それは、どうやろ。いや、喜んでるわけちゃいますけど」 「そらそうや。喜ばれても困るわ、俺に合わす顔なくなるやんか」 太陽を背負って笑う姿は、また真似のできないもののひとつだと数えさせるだけだった。だが今心を満たすのは羨望ではない、白石の笑みは、大丈夫だという意味だった。 財前は太陽ではなく白石を見つめた後、視線を落として苦笑する。この人にはやはり敵わないと思うのと同時に、乗り越えるべき壁がまたひとつ具体的になる。ぼんやりとした像を追いかけるのはやりがいも達成感もない、これぐらいでなくてはと納得する自分がどこかにいる。 財前は立ち上がり、白石に視線の高さを近づける。一氏と小春を抜いただけでまだ忍足や白石の高さまでは到底追いついていない。だが確実に、ひとつずつ。白石に近づくものは手に入れられる妙な自信がわいてくる。 それは白石がいつも自分を見てくれるからだと気づいた時、思わず苦笑が零れた。 「……せや、お前今後輩の扱いでなんか困ることないか?」 「後輩? いや、特に……金太郎の扱いにも慣れてきたし」 ひとしきり笑った後、白石が問いかけた。最初こそ思い当たる後輩の顔は全て金太郎に塗りつぶされていたが、やがてああ、と財前はひとり思い出して白石を仰ぐ。 「芦原。芦原ですわ、あいつの目とか見てると、絶対なにか思てんのに一線ひかれてしもてるから上手く会話できひんかったりして。ああ俺そんな信用されてへんな、思うし」 「芦原、ねえ。まああいつも生意気タイプやからな。誰かさんと同じで」 「は?」 「いや、こっちの話」 萎むようになっていった声の大きさに最後まで聞き取ることができず、尋ね返せば白石は手を振ってさらりとかわした。なにか企んでいる時の顔をしていると元後輩として伝えてやってもよかったが、今日はその言葉を用意しなくてもいいと空に笑われている気がした。 「どうしたい。手助け、いるか?」 白石が問う。財前はしばらく目を伏せたあと、顔を上げて真っ直ぐに白石を見つめた。 「ええです。ほんまに困った時だけ助けてもらいます」 「芦原のことだけやないけど」 どうする、ともう一度白石は尋ねる。のことを言っているとはすぐに分かったが、分かればなおさらのことだった。 財前は首を振る。しっかりと意思を持って。 「ええです。これ以上部長に出てこられると、あいつ惚れてしまいそうで嫌ですわ」 「そうか、嫌か」 「はい、心の底から。それ以上出んといてください、あいつ今絶対弱気なんで。まあ俺がそうさせたんやけど」 「言うやないか、財前。お前本気でが俺に惚れたらどないするすもりや」 白石が笑う。自分とは種類の違う笑い方だ。来年になれば、幾分か心の余裕ができれば自分も手に入れられるだろうか。そこまで考えて、財前は苦笑に代えた。 「まさか。俺が好きや言うて、それでしまいです」 秋の空に白石の笑い声が響くまで、そう時間は必要としなかった。 金太郎が時折、じっとこちらを見ていることがあった。平素、その口を何度閉じようと思ったことか知れないというのに、沈黙という言葉が彼に寄り添っていると妙な違和感に自分が襲われる。濁りを知らない、真っ直ぐな瞳で見つめられてはなおさらだった。 「なんかあったか、金太郎」 渡邊からもらっている今度の練習試合の予定に目を通している時だった。 コートの中にいた金太郎は、軽く首を横に振る。だが視線は逸れない。なんだ、と財前も視線を返すことで続きを促したが、金太郎はうまく表現できないのかまず眉間に皺を寄せた。 「財前と最近試合してへんなと思って」 それがどういう感情を生み出しているのかは、本人もよく分からないらしい。ただそれだけを呟くと、金太郎はくるりと踵を返してコート内に戻る。 ベンチにいた財前は、その背中を見送ることしかできなかった。 予定表どおりに動けばよい時期は今年の夏で終了している。そのとおりに全員が動けるように指示を出す仕事に励まなければならない以上、必然的にこの場所にいる時間が多くなる。金太郎の姿を見る視点は、ベンチからというのが多くなる。 (……そういえば、ラケット持つの後回しになってたな、最近) 数ヶ月前までであれば考えられなかったことだ。自分の日常の生活にあって当然のものだったテニスをする時間が、テニスを考える時間に置き換えられている。それが任務であるのだから仕方なかったが、今金太郎に言われるまで気づく余裕もなかった。 だが、と財前はコートを見つめ、予定表から目を離す。 昨日までなら、そこで考えることをやめていたかもしれない。部長職にこだわっていたかもしれない。 (……白石部長がコートに立たへん日があったか? ないわ。ずっとコートにおった日かてあるやないか。練習試合の中学間違えたことかてあったやないか。そうや、あん時真夏でえらい汗かいてみんなで坂駆け上って行ったし) できるものがひとつ増えるだけで、嬉しがっていたはずだった。喜んでいたはずだった。できないものもあったはずだった、それから逃げないことがいいのであって全部できようとすることを渡邊は是としていなかった。 渡邊の言葉を思い出して、財前はベンチから立ち上がる。ベンチ脇に置いてあったラケットを持ち、コートに視線を向けてひとりの人物を探す。渡邊の言葉が幾度となく反芻されていた。 「芦原」 「……はい? 部長?」 「今、空いてるか。俺と打たへんか」 芦原の瞳が少し丸くなる。想像もしていなかった言葉なのだろう、返すべき言葉の種類の見当がつかないという顔をしている。 「お前、今度からレギュラー候補になってるて監督から聞いとるやろ。俺も大体の力は知ってんねんけどな、一度自分の手で知っておきたくて。嫌か?」 「嫌、嫌やないです」 芦原は慌てて首を横に振り、少し頬を紅潮させて力強く頷いた。財前は笑い、一番奥のコートに入るように促す。久しぶりにラケットを持った財前を誰もが見つめ、金太郎にいたってはコートに連れていかれたのが自分ではなく芦原だったことにひどく悲しんでいたようだと、後日8組の教室から様子をうかがっていた小春に教えられた。 ラケットを持つ自分が、認められている。部長としてまだすべてをこなせていなくても、コートに立つことを誰もが認めてくれている。 (恵まれてんな、俺は) 呟いたことのない台詞を心の中でそっと零し、ボールを芦原に渡す。構わずに全力でいけと目で合図すると、真っ直ぐに見つめる瞳が少しだけ輝いて見えた。 まだ小柄だった。金太郎と同じ1年生である、ラケットが大きくも見える。だが振りぬいたサーブは見ているだけでは分からなかったスピードと威力があって、財前は打ち返す時にわずかに笑みが零れた。 軌道のぶれない、ラインぎりぎりを狙うサーブ。テクニック派かと思えばコート中央を射抜こうとするショット。様々に使い分けるその表情は、わずかな紅潮を残してほぼ無表情に近い。 (俺と同じタイプか) バックハンドで強く打ち返した時、予想をしない強さだったのか芦原が一瞬目を丸くした。届くかと見守ったボールにラケットの先端がかすめるも、持ち主がコート上でバランスを崩してボールは見守っていた金太郎の元に転がる。 ボールをゆっくりと拾い上げた金太郎が、じっと財前を見つめる。攻撃的な、試合になった時のいつもの金太郎の目だった。その前で芦原がそっと起き上がり、黒髪を揺らして首を振る。そして金太郎と同じように真っ直ぐに自分を見つめてきた。 「お前ら、似てんなあ。ダブルスでも組んだらええんとちゃうか。小春先輩らの跡継いで」 双子のように同じ行動を取るふたりに、財前は笑って問いかける。 金太郎と芦原は一度互いを見やった後、慌てて首を横に振った。 「なに言うてんねん、財前! こいつほんま俺のテニスに愚痴ばっか言うねん、俺嫌や!」 「アホちゃいますか、部長! 俺がこいつのテニスに付き合えるわけないやないですか!」 同時に全力で否定する金太郎と芦原を、財前が笑うよりも早くコートにいた部員のほとんどが笑い飛ばした。 秋の空に吸い込まれるかのようなテニス部の笑い声は久しぶりに聞いた気がして、それはあの夏、白石たちがいた時と同じような感覚を胸に宿すことを忘れず、財前は本気の喧嘩に発展しかねないふたりのもとに笑いを堪えながら近寄る。 あの時の白石は、この気持ちを忍足と自分の喧嘩に向けてくれていただろうか。ふとそんなことを思いながら。 「部長、もう1回。もう1回俺とやってください」 「なに言うてんねん芦原! 財前、俺とや! 俺と全然打ってへんってさっき言うたやろ!」 夏と違って秋の残念なことと言えば、夕陽がまみえるのが早すぎるということだ。テニス部は特例として指定の部活時間終了後も居残り練習をすることを認められているが、それも限度がある。 財前は2号館の校舎に掲げられている時計に視線を向け、しばらく考え込む。3年2組の教室も、2年6組の教室もどちらも照明は落とされていた。 「まあ、7時までか。いつもの時間どおり。俺この後予定あるから、それまでやったらええで」 「予定?」 芦原が聞き返す。会話が成り立っていることに気づいたのは、その後。 「ああ、まあ。彼女のとこ行かなあかんねん」 財前がさらりと零した一言に、芦原が今までに見たことがない目の丸さで驚きを浮かべた、その表情を見せた時だった。 |
| >>07 10/07/16〜10/08/02 |