アウトサイド 秋 01

 人は彼を、自儘、独善的な人間と呼ぶ。
 初めて聞いた時、随分と便利で、そして随分と表面的な表現だと思ったものだ。白石からすれば彼は独善的とはほど遠い。我がままと柔らかく表現することも少々憚られるというものだ、せめてマイペースあたりで片付けてあげることはできないものかと。それでもあえてその言葉を使えと言われたならば、「独善的に振る舞いたいのに、それを貫けるほど周囲に無関心でいられない人間」というのが限界だろう。
 そうさせているのはこちらか、それとももともとの彼の性質なのか。その判断はまだしかねている。だがその視線が、耳が、気づけばこちらに向いている。小春や一氏に2番目に反応するのが彼なのだ(最初は当然格好の標的となっている忍足謙也)、さりげなくつっこみを入れるのが彼なのだ。やはり、独善的などとはほど遠い。関わりをまるで断てていないし、そもそも他人に興味を持ちすぎている。

「お前はあれやな、財前」
「なんすか、いきなり」
「ほんまおもろいやつやな。お前が損をせえへん生き方はないかってよう探してしまうわ、俺」
「微妙に返答に困る振りはやめてもらえませんか。しかも生き方て。規模でかすぎやし」

 目の前で財前は心底嫌そうな表情を浮かべる。素直という言葉もあてはまるかもしれない、そうだ独善を素直に言い換えさせた方がよほどしっくりくるのではないか。
 白石は自分の発見に思わず手のひらに拳を打ち、財前を見つめる。
 部活を引退してしばらく経った秋の昼休み、相談なのか愚痴なのかそれとも元来意味などないのか、よく分からないが定期的になってしまった財前との時間の中で訪れた、それは小さな発見だった。

「なに言うてんねん、おもろい言われるだけマシやんか。いや待て、ほんまにおもろいか? こいつ。いやー、厳しいわ。俺はそれ賛成できへんで白石」

 白石の心の中を読んでいたかのように、白石が納得した途端忍足が横槍を入れる。まるで素直は自分の専売特許だと怒っているようにも見えた。確かにこの男に素直さでは勝てない、と白石は少し考え込む。いやいや、しかしと考えはいつまでも巡るのだが。
 そんな白石を一瞥したあと、財前は忍足に向けて激しくつまらなさそうな顔をした。

「その、猛烈にむかつく振りもやめてもらえませんか先輩」
「先輩にむかつくとはなんやねん、こら」
「後輩に喧嘩売るとはなんですか、先輩」
「あーはいはい、その喧嘩は見飽きたからもうええっちゅうの」

 ふたりの間に左手を挟み、渋々と口を閉ざす財前にため息を見せる。なぜか自分のため息はこのふたりには無言の圧力に似た力があるらしく、財前はすぐに怒りを一呼吸に置き換えた。
 秋空を仰ぐ3年2組の窓際の席、学制服がまだ少し暑苦しいと思える時間帯だった。太陽がまるで夏が去ったのを諦めきれないというような未練がましい暑さを届けている。

「本題に戻りますわ。部長、今度レギュラーだけで紅白戦せえって監督が言うとるんですけど、それってどうやって決めるんですか」

 運動部の人間はえてして暑がりなのかもしれない。言い合わせたわけでもないのに、白石も忍足も、そして財前も揃いも揃ってカーディガン姿だった。衣替えという時期に従って学生服も持ち合わせてはいるが、それが登場するのは登下校の時のみである。財前と忍足が同じグレーをまとっているあたりが白石ひとりに笑いを誘って仕方ない光景でもある。

「どうやって、ねえ。どうしとったかなあ、謙也。結構適当やった気がすんねんけど」
「あー、まあそうかもな。せやけどあれやったで、ダブルス組はよう味方になったり相手になったりしたなあ。俺、銀とよう試合した記憶あるで」
「ああ、そうかも。あれってなんでですか、ダブルスのまま組ませてやらせばええのにって俺よう思てたんですけど」
「アホ、あれはあれでめちゃくちゃ意味あんねんで」

 なあ、と忍足の視線がこちらを向く。少しだけ驚いた顔をして財前もこちらを向く。白石は笑って頷いた。

「銀対謙也、小春対ユウジ。それはよう組んだな、確かに。紅白戦なんてものは勝敗は二の次やねんで、財前」

 言葉にすると、それだけであの時の光景が目の前に広がってしまう。未練という言葉に近しい高揚が胸に宿ってしまう。それは口にはしなかったが、もしかしたら表情には出ていたのかもしれない。忍足が、横でかすかに笑ったように見えた。

「俺らが団体で勝つために、効果的に5つの試合を機能させるために。そのためには互いを客観的に知る必要があるやろ。誰が勝って誰が繋いで誰が惜しい勝負をするか」
「……確かに」
「そら全勝が理想やし、前提やけどな。せやけどそんなハードル高う設定して、崩れてしもたら本末転倒。個人戦とちゃう、団体戦やからな。7人の勝負やねん。監督だけ全体を知っとればええなんて、そんな個人主義とちゃうからなあ四天宝寺は」

 財前が口を閉ざす。考えているのか、悩んでいるのか、それとも気持ちは固まっているのにそれを表現する言葉を探しているのか。それはまだ自分でもよく分からないのだが、彼が必死に自分の言葉を彼なりに理解しようとしていることは表情を見れば分かる。忍足が、横槍を挟まないことでも分かる。

「……せやけど、俺は金太郎とはあんまやりたないんですけどね」

 しばらくした後、財前は今の四天宝寺を代表するシングルス選手のふたりの名前を、立ちながら呟いた。いつのまに時計を見ていたのだろう、財前のピアスが秋の陽光を反射したと思った瞬間予鈴が鳴り響いた。

「なんでや、お前らのプレイスタイル正反対やから結構勉強になると思うで、自分を振り返るのに」
「それは分かりますけどね。せやけど、金太郎相手は今はあんまり。気がのらへん」

 財前はピアスに触れながら、小さなため息をひとつ交えて呟く。
 白石は忍足と目を合わせる。現実的な判断をすれば恐らく金太郎の勝利の可能性が高い試合に、気持ちが昂らないのだろうか。プライドの高い財前にしては珍しい、と忍足の視線が語っている。
 白石は財前を見上げ、その表情をうかがう。
 忍足の考えではなく、自分の考えが正しいと実感するまでそう時間はかからなかった。

「真剣にやりすぎてしまう気がする。その後の練習のこととか周りのことも考えんと。夏までやったらそれでもよかった気がするけど、まあ今はそんなことばっかりも言われへんし。余力残す余裕はまだ俺にはないですわ」

 独善的とは本当に勝手な言葉だと、つくづく思う。彼のどこを見て、いや、いつの彼を見ているのだと笑ってやりたくなる自分を白石は堪える。独善的なままなら、自分は彼を後継には選んでいないというのに。

(周りを見る余裕は出てきたけどなあ。まあ、本人がハードル上げてしもてるから余裕があるとは思えへんやろけど)

 季節の変わりが、誰かの成長を運んでくる。
 小さく頭を下げて2組から出ていく後ろ姿を見つめながら、確かにそれを実感する。忍足と同じ色のカーディガンが、財前の肩幅が、背丈が大きくなっていることを分かりやすく示してくれているようだった。



「テニスの成長だけやなんて、そんなつまらんこと言わんといてちょうだい蔵リン」

 授業後の補講の始まる前、小春がふるふると首を横に振った。予習を進めていた手を止め、白石は顔を上げる。白石の隣の席で問題集をぱらぱらとめくっていた千歳も、小春に視線を向けた。

「なんの話や、小春。俺お前になに言うた?」

 希望者だけが参加できる理系の補講の時間だった。過去の数学の入試問題を解き続けるという、否応にも自分たちが受験生であることを実感させる時間帯でもある。単純に自分の進路をふまえて理系選抜クラスを選んだつもりが、小春と千歳と近くの席になっていた。

「ケンヤくんに聞いたのよ、金色小春の情報網を甘く見てもらっちゃ困るわあ」
「って、さっきからうるさかばい。白石、お前なに言うたとね?」
「なにって、なんも。別に今日はなんもなかったで、謙也と先生もギャグの喧嘩せんかったし」
「光くん」
「は? 財前? 財前がなんやねん」
「ああもうっ、誰よ蔵リンを万能だなんて言う人は! ウチの部長はただ天然なだけよ!」

 今にも地団太を踏みそうな小春を、珍しく千歳が笑い声を上げて見つめる。一氏とともに、ならまだしも小春ひとりが感情を露呈することはなかなか珍しいことであり、周囲が面白そうにこちらを見つめだした。

「ま、待たんかい小春。まあ座り、そんな慌てられても俺にはなんのことか」
「慌てる? 慌ててなんかないわ、これはそわそわっちゅうのよ」
「そわそわ……はあ、そわそわ、ね」

 吹き出しそうになるのを、千歳が必死に堪えていた。長い手足が机から椅子からはみ出している。手にするシャープペンシルがやけに小さく見える。その千歳が身体を小刻みに震わせるほど笑わせることとは何事か、と白石はただ目を丸くするばかりだ。

「四天宝寺は本当世話好きが多すぎばい」

 今年1年、千歳は何度その言葉を口にしたことだろう。転校して半年も経てば、彼の姿とて転校生としてでもなく四天宝寺のひとりとして十分認識されているというのに、外部を知っている人間の言葉は妙に重い。それを理解できるのは、出身小学校が他地域である白石と石田だけかもしれなかったが。

「世話好きっちゅうことは……なんや、また財前がなんかやらかしたんか。それとも小春から見て、世話を焼かなあかん状況なんか」

 意味が分からないままでいるよりは、直接聞いてしまった方が早い。小さな見栄は不毛な結果しか生まないことを知っている性格がすぐに小春に質問をぶつける。
 小春は両頬に手を当てて、白石を一瞥する。やがてため息だけが訪れた。

「今日の問題は解けるくせに、どうして恋愛にはこうも疎いのかしら、ウチの部長は」
「なんね、白石今日の予習できとっと?! 写させてくれ、頼む!」
「アホ、これめっちゃ難しかったんやで、自信ないわ。……って、話聞かんかい千歳!」
「かーっ、こぎゃん問題よう解かんたい! 説明せえ白石!」

 やがて数学教師が入ってきて、千歳からノートを奪うだけで精一杯だった。小春は再度ため息だけを残してふいっと前を向いてしまった。なんやねん、と呆然としていると、すぐにルーズリーフの切れ端が届けられる。

『今日帰り、行きたいところがあるから付き合って』

 文系の一氏がこの教室にいないから、その役割は自分なのか。背中に問い質してみても、当然答えが返ってくることはなかった。



「まあ、簡単に言うとこれは偵察ばい」

 千歳がカラカラと笑いながら呟く。この男はいつも誰でもどんな内容でも、一線をひいたところから見ることができる俯瞰的な視線を持っている。羨ましいと思えるほどに。
 その視線を、落ち着いた視線をもてるようになれば、自分はもっと違う世界を見ることができるのだろうか。白石はふと顔を上げ、千歳の横顔を見つめるがまるでなり方が分からない。

「で、なんで財前の偵察につながるんや? 小春の頭ん中では」

 学校の傍を通る大通りから、1本内側へ。車が通れるほどの幅はあるものの地元からは歩行者用道路という認識の強い道沿いにある甘味処で、3人仲良く腰かけながら団子を頬張る。偵察というわりには道路に面した外の座席に陣取るあたりが、千歳の悠然とした性格を物語っているように思えた。

「今日、光くんが2組に行ったそうね? そこでなんや、格好ええ言葉を残して去っていったらしいやないの」
「格好いい……ああ、あれか。金ちゃんと試合したないっちゅう」

 それよ、と団子のなくなった串を幾度か振る。1本30円の団子はその手軽さとあいまってあっさりと串だけの姿へと姿を変えていった。

「いい台詞よね、あの光くんが周りのことを考えてそんなこと言えるやなんて。そらケンヤくんもちょっと興奮しながらアタシに言いにくるってもんよ、まあ飄々としてる光くんも好きなんやけどね」
「小春の『好き』はなかなか難しかね」
「なによ千歳くん、千歳くんだって気になってるくせに!」
「おお、怖か」

 白石を挟んでのふたりの言い合いはしばらく続いた。このふたりには左手で間を割ってもため息をついてもなんの効果もない。白石は黙々と小腹の空いた身体に団子を放り込みながら、夕方の時間帯を迎えようとしている四天宝寺中学の校舎を見上げた。
 部活がないと、時間が長い。ここに座ったのはいつのことだろう、もう随分と待っている気がする。小春が求めるものが的確に把握できていないからなのかもしれない。
 小春に視線を送ると、その思いが通じたのか千歳との口論が一時休戦した。

「どうせやったら、他にも男前になったところを見守りたいっちゅうのが親心ってもんやないかしら、ねえ?」
「親心? 誰が、誰のやねん」
「やだわあ、光くんに決まってるやないの。アタシたちは親代わりみたいなもんやないの、あの子の2年間をそら手間隙かけて見守ってきたんやから」
「いつかのケンヤみたいになっとっと、小春ママは」

 部活がなくなるということは、時間の使い方を変えるということだ。一部員から部長という肩書きを背負った財前が部活の時間の使い方を変えようとしているように、自分たちはラケットを持たなくなった代わりを探さなければならない。
 だが、ラケットはなくなってもボールがなくなっても、口にしてしまう話題は結局変わらない。
 ぼんやりと校舎を、そして小春と千歳を見つめてから、白石は小さく苦笑した。

「財前が男前、ねえ。とのことか」

 頬杖をついて、口元に微笑をひとつ。それは合図だ。
 小春がにっと笑い、千歳が機嫌のよさをその瞳で表現する。さきほどまで難問数学を解いていたはずの思考回路はどこへやら、年相応の話題には小春も千歳も屈託なく飛びついてくるこの空気の意外なほどの心地よさに、白石もつられて笑う。

「ええで。そら、今年最初に俺らを驚かせたのはあの財前に彼女ができたっちゅうことやったからな、部活引退したとはいえそれは俺らも見守らなあかんかもしれんし」
「さすが蔵リン、話が早いわ」
「悪か顔たい、白石」
「なに言うてんねん、お前らも共犯やで。小春、これほんまは協定料金やろ?」

 あいている右手で、ひらひらと串を揺らす。小春はただ笑うだけだった。それが返事だった。

「まあ、横槍とはちゃうのよ。ケンヤくんみたいに分かりやすい横槍とか」
「ああ、懐かしかねそれ」
「横槍やなくて、これは責任。うん、そうね3年の責任よ、なんたってあの光くんが付き合っちゃうのを見届けてしもたんやから!」

 そうして、奇妙な3人での協定は甘味処で結ばれた。共通点は理系選抜クラスということだけで、後日この協定を聞いた一氏は「文系をなめとんのか」とつまらなさそうに呟いたとか、いないとか。それを言ってしまっては、同じく理系でありながら選抜クラスに興味がないせいで補講科目が異なってしまい、「英語と数学好きやったらあかんのか、どっちつかずはあかんのか、え? なんやねん!」と不器用な愚痴を零すしかなかった忍足の方が寂しそうだった。

「……覚えておいてほしいことは、これね。そろそろなんやけど。……あ、ほら」

 部活を引退した3年が帰るには少し遅すぎる。部活をしている1、2年生が帰るには、とてもじゃないが早すぎる。そんな時間に、まだ夕方へと景色を変更していない正門からひとりの生徒が出てくる。
 白石は最後の1本の団子を口にしながら、じっとその姿を見つめる。
 遠目にもそれを見間違えることはない。確信を持てるほどその人の姿は、この半年で何度も視界に収めてきている。何度も、財前という人間を介して言葉も交わしている。

「最近、うまくいってんのかいってへんのか、微妙な関係らしいのよ」

 小春がそっと呟いた言葉に、白石と千歳は黙ってその生徒を見つめる。
 財前の彼女であるが、腕時計を気にしながら少し足早に通学路を通っていく。その時白石が声をかけなければ、こんなにも姿を大っぴらにしている偵察部隊だというのには気づかず過ぎ去っていただろうと、そう思えるほどの心は自分の内側だけに向いている空気があった。

「先輩。お久しぶりです、なにかあったんですか? 今日」
「ああ、補講。が来年受けるやつや」
「うわあ、先輩ほんまに受験生なんですね、頑張ってください」

 当たり障りのない会話をして、は再び帰路につく。
 よどみのない会話だった。だがなにか引っかかる。しばらく沈黙して、会話を反芻させて、白石はようやく気がついた。会話が強引に途切れさせられたと、が去った後の小春と千歳の視線を受けて白石も頷いてみせた。

「なんかあったんか? 財前と。なんや、俺らとも距離おいてへんかったか、今のは」

 千歳は黙っての後ろ姿を見送っていた。白石の言葉に小春だけが小首を傾げる。

「それすらも分からへん、っちゅうのが現状ね。せやけど、光くんがね」
「財前がどないしたん」
「最近、少し変わったから。中身だけやなくて外見も。成長って言うたらそれまでやけど、なんだか妙に違和感があるのは……アタシだけ?」

 ぽつりと呟いた小春の言葉は、ようやく準備を始めた西の空の夕陽の中にあっさりととけて、消えた。
 昼の温もりなど知ったことではないというような冷たい風ばかりが、髪の毛を揺らした。



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10/06/19