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「ほな、腹割って話そやないか」
待ちに待った、とはまさにこの表情のことを言うのだろう。
目の前にどっかりと腰を据え、興味関心を身体のどこからも漏らさず発している。いやしくもないのに思わず逃げ出したくなる、そんな白石を見るのはこれが初めてだ。
委員会活動に渡した時間を取り戻すべく居残っていた自主練習後、問答無用で連れ込まれた部室。有無を言わさず向かい合って座らされた空間。財前は一瞬怯み、顎をひく。しかし白石は満面の笑みを逸らしてはくれなかった。
「俺を待たせとったんは分かるな? 財前」
「待たせ……はあ」
「せやな、俺告白の場面からずーっと見とるもんなあ。あないな場面見せられて『財前くんの彼女? 知りませんわ』なんて言われるかっちゅう話や、なあ?」
「……はあ」
そう言われると言葉につまってしまう人間が多いことを、絶対にこの人は見透かしているに違いない。恨めしげに白石を見つめると、金太郎を諭す時のような笑みを浮かべて、口元で緩く五指を組まれてしまった。
「『忘れもん』を無事取り戻せたんやったら、それが一番やしな」
「ノートのことっすか。あれは別に」
「アホ、誰がノートひとつでお前を連れ込むか。ノートのあとや、あと。お前が取り戻してきたもんは」
「……はあ」
煮え切らない財前に、白石は一度首を横に振る。口さえ閉じていれば銀髪の眩しい、清爽な空気の似合う3年生として教師生徒問わず学校内からの人気も高いというのに、個人的な話になると途端「ああ、この人はうちの部長やった」と思わされることが度々ある。いや、ここ最近多くなってきたと言っても過言ではない。
清廉潔白、品行方正。テニス部をその稀有な実力で束ねる部長白石蔵ノ介。
そんな財前の中で育ててきた、印象という名の理想はここのところ崩れつつあった。
「早い話、これ、部長の尋問っすよね」
目を据えて尋ねると、白石はいつものような爽やかな笑みを向けるだけだった。
「なに一歩ひいとんねん、俺が悪い人みたいやないか」
「いや、十分悪い人っすよ。後輩捕まえて個人情報聞き出そうとするんやから」
「せやから、その個人情報っちゅうのが」
トン、と細い指が机を叩く。他に誰もいない部室でその音だけが鼓膜に響く。
「テニス部の中やったら、個人扱いやなくて共有財産になるって話よ、光くん! 」
「うわっ!」
「って、うちのブレーンが言うんやからしゃあないやろ」
突然白石の背後から、カツラをつけた小春が飛び出してくる。思わず椅子から落ちそうになるところを勝手に一氏が助けにくるタイミングといい、この人たちは一体どこまで計算して行動をしているのかと問いかけたくなるのをぐっとこらえる。
今年、四天宝寺中学2年。つまり1年間はこの学校で生きてきた。
絶対的な経験値の違いで3年生に敵うことはできなくとも、財前とてこの学校で生きる人間がなにを考えているのか、この学校で生きていく上でなにが必要なのかということぐらいは理解しているつもりだ。
少なくとも、自分の彼女よりは絶対にこの人たちのことを理解しているつもりだ。
その先輩が、沈黙の中でただにやりと笑う。
目の前に白石と小春、そして背後には「助けた」という名目の一氏。そして気づけば帰ったと思っていたはずの忍足が複雑そうな表情で部室に戻ってきた。
逃げ場がないことは、誰がどう見ても明らかだった。
「……なんすか、これ。先輩らよってたかって」
「いや、うちの伝統やねん。後輩の恋愛事情は把握しといて、いつなにが起こっても対処できるようにしとくっちゅうのが。困るやろ、ケンカひとつでスランプになられても」
「俺はそういうのとは無縁やと思うんすけど」
「アホ、2年が3年に口答えすな。そもそもお前に彼女ができたっちゅうのがおかしいわ、お前のどこがよくて付き合えるんや? 普通に疑問やで」
ため息まじりに忍足が白石のあとを継ぐ。言葉は厳しいが口調はまるで突き放さない、そもそもこの場に残っているのも本意ではないと顔に書いてある。妙なところで優しいのはこの3年生の特権だ。
大方3年という肩書きのために、お節介筆頭の白石や小春に勝手に仲間扱いをされてしまったのだろう。千歳はいなくて忍足がいる理由は、それ以外に考えられない。
しかし、強気でない3年生ほど怖くないものはないということを知らないのは困る。じっと忍足を見つめたあと、財前は大げさにため息をついてみせた。
「忍足先輩よりは格好ええと思います、俺。やから告白されるんですわ」
「なっ……!」
「そうよお、バレンタインのチョコの数が蔵リンと同等でも、結果付き合えてなかったらケンヤくんの負けよお」
「せやな。俺と財前は勝ち組や」
「アホ抜かせ、白石! お前は自慢できる側ちゃうやろ! 振られたくせに!」
「まあっ、ケンヤくん! それは禁句!」
「……振られたんやなくて、距離を置いただけやっちゅうのを何度言うたら」
「格好ええ言葉使たって無駄や、無駄。大体なあ、お前みたいなんがそのキャラで売っとってやな、彼女に『白石くん? 可愛えよ』なんて言わせるんはどうやって話やで!」
「……」
可愛いのか、と視線で訴えると白石が咳払いをする。事実なのか、と小春を見つめれば「白石さんは彼女一筋やさかい」と呆気なく暴露される。
ブレーンだと豪語した大事な朋友のみぞおちに一撃をくらわした後、再び咳払いをしていつものように口元で指を組む。そんな白石の様子をまざまざと見せつけられて、そして拗ねているのか怒っているのか分からない忍足が扉の前から動こうとしないのを見つめて、財前は諦めの境地にたどりつく。
「俺の話をここまで聞いてしもたら、お前が話さんわけにはいかんよなあ? 財前」
自分の話が中心になるのは不本意だったが、いたし方あるまい。それがきっかけで話が進むのであれば構わないと、その顔に書いてある。
どうしてこの部長は格好いいのに変なところで熱血漢になるのだろう、と遠くに見つめながら、財前は小さくため息をひとつつく。
「せやかて、俺ら最近付き合い始めたばっかりっすよ。話すことなんてないですわ」
ずるずると腰の位置を浅くし、ジャージのポケットに両手を突っ込んで少しふてくされたように呟く。一氏の介抱によって一撃の痛みから復活した小春が白石と目を合わせ、忍足は少し驚いた様子でこちらを見つめる。
「……まだなんか、もしかして」
「まだ?」
「あ、いや! なんでも!」
唐突な問いかけの言葉の前後が分からず繰り返すと、忍足が慌てて首を横に振る。なんのことだ、と白石を見つめると、ただただ白石の目が丸くなり、小春は獲物を見つけた狩猟者のようにまざまざと財前を見つめてくる。小春の放し飼い状態の一氏は、財前そのものの話にはさほど興味がないといったように軽くあくびまでしていた。
「これは作戦変更やな、小春」
「そのようね。アタシらが光くんを過大評価しすぎやったんかもしれへんわ。いけないいけない」
「なんすか、それ」
「いや、お前はもっと手早いと思とったんや」
白石は徐々に冷静さを取り戻していたが、忍足はいまだ唖然として言葉数が少ない。純粋に衝撃を受けているといえば聞こえはいいが、何の衝撃のことか見当がつかない財前からすれば不可解な空気にさらされているだけでなにも楽しくはない。
なにがしたいのか、と改めて白石を見つめる。今度はにらみつけるようにもなっていた。
「冷静に考えって。そもそもな、今まで女のことなんか頭にないっちゅー顔しとったテニスバカな財前がやで、彼女できたからてすぐ手つけるもんでもないやろ」
その時、小春の横で宿題をやり始めていた一氏がつまらなさそうに呟いた。
「ユウくん」
「ケンヤが行き過ぎなだけや。怖いでえ、青少年の妄想は」
「なっ……アホ抜かせ! 白石が先に言うとったことや! なあ白石!」
「俺はそこまでは言うてへん。財前くんどうやろなーって呟いただけやで、忍足くん」
「裏切りもんが! そのわざとらしい笑顔が好かんのや!」
テニスコートで見かけるような問答が続き、財前の疑問は棚上げされたままになる。
とどのつまり、この人たちは自分とがどこまでの関係になったのかを知りたい(と見せかけて、想定して話し合っていた)ということなのか。財前は眉をひそめ、白石をにらみつける。小春が機嫌をとろうといつもの調子で話しかけてきたが、視線が白石から動かないことを知ると小さくお手上げという素振りを見せた。
「……まあ、そんなところや。部員を把握せなかん俺の立場も分かってくれ」
「こんなところまで把握せんでもええんとちゃいますか」
「皆が皆、同じメンタルで勝負できるとは限らへんのや。俺かて部長やなかったらそこまでは突っ込まへん。そのあたりは分かってくれ、財前」
「光くん、初めての彼女じゃない? やからどうなるか、アタシたちも全く想像できへんの」
「なにも逐一報告せえってことやないし。まあ付き合ったれや、財前」
「……そういうこっちゃ」
完全に拗ねた忍足の言葉で終わり、あとは視線だけが財前に注がれる。
うまいことを言うが、結局は知りたがっているだけの3年生の視線に反抗するか。耐えるか。それらの道はあったし、それができない自分でもないことは財前はよく知っていた。
しかし、沈黙の中で自分の思考回路の中に漬かろうとすればするほど、先日のあの手の温もりがよみがえってくる。
(……手出してないんやなくて、手出すことを知らへんだけや)
正しいものがなにひとつ分かっていなかった。なにをいつ、どこで。どれぐらい。知らないと呼べるものは数え切れないほどあり、これが経験の差というものならば自分は絶対にこの目の前の3年生たちに勝てる自信がない。
「俺、自分から説明するの苦手なんで、そっちから聞いてください」
そんな考えがよぎったとき、財前の足は逃げるという選択肢を放棄してしまった。
首をやや傾ぎ、黒髪を揺らしてため息をつく。諦めの境地に立った身体は一瞬瞳を閉じ、やがてゆっくりと視界を戻す。戻した時には、全員が財前の向かい側に着席していた。
「ほな、聞くで。まだ最後まではいってへんな?」
「……」
「いっとるんかい!」
「いってないから黙ったんすよ! なんすか、もう!」
恥さらしもいいところだ。しかし自分から身を売ってしまった以上は逃げ出せない。自分よりも動揺していないかと問いただしたくなる忍足を横目に、質問を用意する白石に視線を戻す。忍足の反応が気になるのは同じらしく、苦笑を堪えての尋問だった。
「せやったら、家に呼んだことは?」
「ないっす」
「デートは?」
「まだ。部活あるし、お互い」
「……えーっと、部活帰りに一緒に帰ったことは?」
「ないですよ。俺の方が遅いやないですか」
「……どこで話しとるん、普段は」
「……さあ。話さへんこともあるぐらいやし」
「…………」
「……なんすか? もういいっすか?」
いや、待てと白石が手のひらを見せて制止を請う。隣では小春はおろか一氏までも目を丸くしてこちらを見ている。忍足など見るまでもない。
「……財前、お前」
「はい」
「抱きしめたこともないな?」
「……ないっすけど」
質問の仕方が変わったせいか、身体が怯む。最初の時のように顎をひき、目に見えない境界線を作ろうとする。
しかし白石は、攻撃の手をやめなかった。
「せやったら、キスしたこともないな? ま、まさか、手繋いだことも……」
「手……ぐらいは。この前」
「あれは手繋いだことに入らへんのよ、光くん! あんた何言うてんの!」
「……は?! 覗いとったんすか、先輩ら! なんやそれ!」
あ、と小春が口を押さえる。一氏がよしよしと頭を撫でて慰める。白石は、眉間に手を当てて悩ましげに首を横に振る。忍足は白石と同じように首を振ったが、ひどく寂しげだった。
それらの態度に、一体自分が今までなにをしてきたのかを教えられる。
途中まで出かかった怒りの言葉や拳をそっと隠し、頬杖をついて視界の中から3年を追い出す。妙な沈黙にさらされて気分が悪いのはこっちだ、逃げ出そうとする足もタイミングを逸して動くに動けない。
やがて白石が、綺麗なため息をつく。沈黙をそっと割る、優しい音だった。
「繋ぎたい思たら、繋いだらええんやで、財前」
「……」
「別に遠慮なんかいらんのや、本当は。彼女がお前に告白してきたんやろ? お前のその性格も全部知っとるんやろ? で、お前はその子ならと思ってOK出したんやろ?」
「……そうですけど」
言われすぎではないか、褒められすぎではないかと妙に居心地が悪くなる。だが白石の目は興味本位というよりは完全なる優しさの色に染まっていて、一度目を合わせてしまうと逸らすことができなかった。言葉を否定することができなかった。
「せやったら、せめてお前から行動起こせ。手繋いで嫌がる女子なんか、俺見たことないで」
結局この人は、いつも最後は自分をうまく見せる方法しか知らないのだ。頼りがいのある、品のある、テニス部部長という肩書きに相応しい目でしか見させてくれなくなるのだ。
白石に背中を押されるようにして出てきた部室前に、がいること自体もはや白石を普通の人間として考えてはいけないと誰かにも通告されているかのようだった。
春であればまるでテニス部の隆盛を謳歌しているとしか思えない桜の木の下、今は若葉だけになってしまって夕暮れのこの時間では夏を待ちわびていた色のように見えるその木の下に、ややうつむいたの姿があった。悩んでいるのか、と足を止めた瞬間にその顔が上がり、財前の姿を見つけて目を丸くする。
「白石先輩に呼ばれて。びっくりしたわ、まさか財前くんまでおるとは思わへんかったから」
驚いたという言葉は、の口から発せられると嬉しいという言葉の意味になる。
自分に対してだけ幸せの感情を余すところなく見せてくれるに、財前は一度瞬きをした後苦笑する。隠し物がない人間相手に、一体自分がなにを遠慮すればいいのか逆に分からなくなる。
苦笑する財前に首を傾ぐに、財前はそっと利き手を差し出す。
「……なに? どうしたん、財前くん」
「俺も頑張る、証明みたいなもん」
の視線が、財前と手のひらを行き来する。どうしたらいいのか分からないというよりは意味を探る視線で、もっと言葉数を増やして説明しろと言われているようでおかしかった。
愛想がないという言葉は慣れている。しかしそれで損をすることが、最近妙に多い。
それに気づかせてくれたうちのひとりだろうに、手は退くことを知らなかった。
「右利きやなくて悪いな。でも俺と付き合ううちは、これに慣れて」
丸くした目は、しばらく元通りにはなってくれなかった。
やがて恥ずかしさに負けて、財前の方がの右手を掴む。振り返れば白石たちが覗いているような気がして、もう足をその場に留めておくこともできなくなった。
「ほな、帰ろか」
繋いだ手の温もりに押されるようにして呟いた言葉に、ようやくは笑って頷いてくれた。
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