雪解けの路 03

 欠伸を堪えたら涙が出た。
 昔に比べると、涙は簡単に零れ落ちるようになったと思う。決して涙を見せてはいけない人の前では極力不快を招く言動は忌避していたから、彼はもしかしたら自分を冷めた人間、涙とは無縁の人間だと思っていたかもしれない。財前の絡んだ話で親友は何度か彼の前で涙を流したことがあったけれど、その時の彼の表情は他人の自分から見て非常に優しく、羨ましかった。
 先日、初めて彼の前で涙を流した。その時に口をついて出てきた言葉を思い出し、は授業開始前の大学の机に突っ伏してため息をつく。ずっと秘めておくべきだった感情を簡単に口にしてしまった自分が情けなく、簡単に言わせたあの人が恐ろしく、けれど、忘れられなかった。

「一限目はやっぱりしんどいわ、私もみたいに下宿するんやったな」

 のため息に友人が隣で笑う。彼女はと同じ大阪出身で、西宮の大学までは大阪の地下鉄や環状線など、名前を思い出すだけで混雑の様がありありと思い起こされる路線を乗り継いで登校している。彼女ならまだしも、大学近くのマンションに下宿している自分が欠伸をするのはただの寝不足でしかなく、は曖昧に笑って誤魔化した。
 寝不足の原因は分かっている。というよりも、原因など一つしかありえない。寝つきが悪くなってしまったのは最近の話で、その証拠に今テキストをめくる手は動いているように見えて頭の中にはその文字も、周囲の言葉も何一つ入ってきていない。小さな活字がただ羅列する視界に、見えないため息を零すばかりだ。

(諦めなあかんって分かってるのに。調子になんか乗ったら、絶対後で痛い目にあうって)

 何度目だろう、自分を諫める言葉を心の中で呟く。分かっているのだ、不相応な悩みに浸かっている今の自分は、本当は喜んでいる。厚顔無恥なほどに。彼にかけてもらった言葉に、触れられた温もりに縋ってよいはずがないと言い聞かせなければ、図太い未練が寝不足などというおこがましい理由を振りかざし、彼の言葉に甘えようとする。だから何度でも、夢に彼が出てきたとしても目覚めてすぐに、自分を戒める言葉をまるで呪いのように唱えるのだが、その時に零れるのはもはやため息ではなく涙だった。
 女子大ゆえに、周囲を飛び交う声は高くて柔らかくて可愛らしい。鼻をくすぐる香水の種類は、大学に入学してから異様なほど覚えてしまった。華やかな教室にその時初老の教授が入室してきて、スマートフォンを触っていた友人が鞄の中にそれを片づけると同時にも少しだけ姿勢を正す。
 あの一夜が明けてから、何度メッセージを無視しているだろう。ふと窓の向こうの木枯らしを見つめて考えていると、今朝の夢を思い出して史奈は涙の代わりのため息を零した。



 校内でも名の知れた女子と白石が付き合うことになったのは、高校2年の7月に入ってすぐのことだった。期末テストが終わり、親友が財前から渡された指輪をついに学校につけてくるようになって、財前の表情が少し緩み始めた頃だったかもしれない。相変わらずの前では無愛想な顔をするのが常だったが、親友と揃いの指輪をつけられるようになって確実に隙が見えるようにもなっていた。そんな財前を、は白石たちと笑っていた。

「桜井さん、ですか?」

 食堂は、学年の違う白石の視界に映ることができる数少ないチャンスの場だった。無理やり彼の視界に飛び込みに行くような愚かな真似はしない代わりに、偶然に縋る心だけはいつまでも捨てきれなかった。だからその日、2年になって同じクラスになれた(おまけのように財前も同じだったが)親友と食堂で昼食を取っていた時、忍足と金色が突然たちの目の前の席に座って尋ねてきたことから全てが始まってしまったのは、自分で蒔いた種だった。

「3年生ですよね? 先輩たちの方が知ってそうやのに」
「いや、同じ女子から見てっちゅう話や」
「どんな感じかしらと思ってね」

 親友は少し困惑げに、忍足と金色の顔を交互に見つめる。は黙っていたが、忍足の言わんとすること、金色の考えていることは全て手に取るように分かった。特に忍足に至っては、財前とは違う種類ながら分かりやすい性格の上級生である。明らかに自身はその3年生を好いていない、と眉根の寄った表情が教えてくれていた。

「有名ですよ、美人さんですもん。ねえ」
「ん? ああ、まあ。そうやと思います」

 レモンティーの紙パックのストローを触りながら、親友が窺うように史奈に尋ねた。いつもの笑みで心情を読ませない金色はさすがだったが、忍足はどう見ても不機嫌の一歩手前の顔である。そういうことか、とあっさりと見当をつけられてしまう自分を、は少しだけ持て余していた。

「もしかして、白石先輩に告白してきたんですか?」

 淡々と尋ねれば、親友が目を丸くしてこちらを見つめた。突飛すぎる方向に話を飛ばしたと思ったのだろう、慌てて忍足たちの顔色を窺ったが、二人が揃って「正解」と呟いたので親友ただ一人が唖然とした。
 美人で快活で、女子バレー部の副部長で、その存在感ゆえに学校行事がある度に他学年にその名を知らしめていく有名な3年生だった。同じ女子でも思わず目を見張るほど見た目は可愛らしく、その彼女が白石に想いを告げたとしても不思議ではないというのが正直な感想だ。それほど白石は文武両道で品行方正、教師が学生に用いたい四字熟語を全てかき集めてもなんら支障がない人物であることを、自身がよく分かっていた。

「……付き合うんですか? 白石先輩」

 の代わりに親友がそっと尋ねる。心に秘めた感情を彼女に伝えたことは一度もなかったから、単純に興味だけで聞いたのだろう。はあまり興味がないという素振りで紙パックのマスカットティーを静かに飲み続けた。

「まあ、あいつは本命ができひん奴やからな。二股みたいなことは絶対せえへんけど、おらんかったら、まあ……大抵の場合はな」
「しゃあないわよ、蔵リン部活で忙しいし。自分から好きになる子を見つける時間を作れなんて、ウチらも簡単には言えへんし」
「いや、せやけどそろそろ本人のためにも言うた方がええんとちゃうか? 付き合うては別れ、付き合うては別れで、このままやとあいつただの悪い男やで」
「告白も振られるのも相手からの男は、悪い男にはならへんから大丈夫よ。その証拠に桜井さんが告白したんでしょう? どんなに不毛な恋愛をしようが、白石蔵ノ介はええ男なんよ」

 そうですね、と金色の言葉に心の中で相槌を打つ。どれほど底の浅い、ままごとのような恋愛をしていようとも、彼が心からそれを望んでいるわけではないことは簡単に見て取れる。ただ告白を断る罪悪感と、断る誠意との天秤のかけ方が下手なだけである。むしろ告白をする女子たちも、それを見越して近寄っているではないか。短い間でも白石に近しい立場となれるのであれば、それで満足だという女子がどれほどいると思っているのか。

(私はここまでしかできひんけど)

 ああでもない、こうでもないと話し続ける忍足と金色をよそ目に、は自分の手の中にあるマスカットティーを見つめる。110円で簡単に購入できる、唯一の白石とのお揃いだった。安価でどこでも買えて、幸運なことに親友は同じメーカーのレモンティーが好きだったから、自分がこれを購買部で購入することは誰にも怪しまれない。幾度か白石に見つかってしまっているが、本人ですら何の反応も示さなかった。これが秘密の恋が唯一呼吸をすることができる、外に出ることができる場所だと気づいている人間は、誰もいない。

「ええと思いますよ、白石先輩にお似合いの美人やないですか」

 少しだけ笑って呟いて、三人の視線が自分に集まっても気づかないふりをしてストローを口にする。たった110円の共通点。しかも本人には秘密の、一方的に揃えただけの共通項程度のものだ。親友の左手薬指にはめられた指輪が今日ばかりは羨ましくて眩しくて、不器用ながら誠意を見せ続ける財前は格好いいのだと初めて思った。
 それから、二人が付き合いだしたと聞いた。食堂は白石に話しかけてもらえる一番可能性の高い場所だったが、クラスが違うからという理由で昼食を共に取りたがる彼女ができてしまってからは、遠くに見かける程度になってしまった。白石も何かを遠慮しているのか、部日誌をに渡すことはなくなった。気づけば財前の机の上に、面倒くさそうにおかれている部日誌を見かけることが常となった。

「光くん、白石先輩の彼女さん知ってる?」
「ああ、まあ。目立つし」
「そうやんね、目立つよねえ……美人さんやけど、私はちょっと」
「ちょっと?」
「あんまり、白石先輩には合うてない気がするんやけど、……あ! 内緒ね、内緒」
「別に言わへんし。ええよ、テニス部全員そう思てるし。小春先輩が何も言わへんことを、俺らが言うのも変やからって誰も何も言わへんだけやで」

 指輪をつけてくるようになって、二人が揃って昼食を取る機会も増えた。初めの頃は遠慮したが、財前が意外と嫌がらないのでも親友に呼ばれるままに三人で時間を過ごすことがよくあった。付き合っていることを公にしたとは言え、時と場合という言葉を必要以上に意識する親友だ。そんな親友を恋人として久しい財前は、身内とも呼べるが傍にいることで恋人が落ち着いて時間を過ごせるようにしていたのだと気づいたのは、高校を卒業する頃だったと思う。
 つまらなさそうに昼食を取っているが、一言一句も聞き漏らさないように話を聞いているのは分かっていた。むしろ言葉として本音を出さない分、財前にも思うところがあったのかもしれない。つまらないと思っているのはこの時間ではなく、白石の恋愛に関してだと気づいた時には、財前は小さなため息を零していた。

「もっと他におりそうなもんやけどな、部長やったら。見た目だけ釣り合うてても、どっかバランスおかしく見えるし、あれ」
「バランス?」
「部長って、ああいう人が好みなんかな。あんま自分から言う人やないからよう知らんけど。まあ長続きはせんと思うで」
「え、なんで?」
「そもそもあの人、長続きしたことないからな。1年付き合える人ができたらそれはもう結婚するしかないって小春先輩が本気で言うとるぐらいやし」

 その時、遠山が財前を呼ぶ声が響いた。近くにいるのかと三人で顔を上げたが、彼が手を振っているのはここから最も遠い食堂の入り口だった。声でかすぎやろ、とため息まじりに呟いて財前はトレイ片手に席を立つ。は親友にそっと目で合図をし、先に二人で行くように促した。申し訳なさそうな、けれど少しの嬉しさを滲ませながら親友は「ありがとう」と小さく呟いて財前の後を追っていった。

(二人は、誰がどう見てもお似合いやからええよ)

 近くはないが離れそうにもない絶妙の距離で二人が話しながら帰っていく様を、羨ましいと思うことが増えていた。財前の恋人が親友であることが明らかになってから、財前が他の女子から告白されることはぴたりとやんだという。彼女持ちって分かったから、と親友は気まずそうに話していたが、単に周囲が入り込む隙を見つけられないだけである。それをお似合いという言葉で言い表すと親友は顔を赤くするばかりなうえに、財前にいたっては何か裏でもあるのかという顔をしたので、本人たちに伝えたのは一度きりだったが。

(ええやん。見た目だけでもお似合いやったら。絶対私は言われへん)

 一人取り残された食堂で、財前の先ほどの表情を思い出す。忍足や金色に限らず、あの様子では財前もあまり白石の今の彼女を快く思っていないようだった。けれどからすれば、明らかに自分よりも白石に釣り合う立場の人間である。見た目という他人にとっては最強なバランスが整っている二人に、他人がどんな隙を見つけられるというのか。周囲の視線が関係ない人もいる、と思い直して、最後の水を飲み干そうとしたその時だった。生徒が減って周りの会話が聞き取れるようになってきた背後から、彼女の声が聞こえてきたのは。

「白石とどうなん。この前の約束とか」
「無理無理。部活やって。土日も夏休みも全然おらん言うてた」
「そんな忙しいんや。全然遊べへんやん」
「そうやで。まあ私も部活やけど、男子テニス部ほどやないしなあ。せやけど全然気にしてくれへん、付き合うてるのに」

 背後で交わされる何気ない会話に、は自分が今何を見つめているのかよく分からなかった。ただグラスを手にしたまま、次に体をどう動かしたらいいのかも分からなかった。
 誰と付き合っているつもりなのか。問いかけをぐっと飲み込む。全国大会常連のテニス部の部長をしている男が、気軽に部活以外の選択肢を気にするとでも思っていたのか。むしろそれが当然だと、受け入れるのが彼女という立場ではないのか。恋人という特別な地位に付随する義務ではなく、権利ばかりを主張した会話に、は3年生の彼女たちが立ち去るまで微動だにすることができなかった。
 やがて心を埋め尽くしているものの正体が、淀んだ嫉妬だということに気づく。不相応だ、生意気な嫉妬だと片手でスカートの裾を握りしめた時、彼女たちは会話の矛先を違う人間に向けた。

「ねえ忍足、白石に言うてやってよ。もう少し遊んでやってって」
「アホぬかせ、大会前にそんな余裕あるかい。この前水族館行けたので満足せえよ」
「忍足と何回も行った場所や言うてたし。特別感がないと思わへん? それ」
「そら俺と白石の仲やからな、基本的なデートは網羅してるで」
「笑われへんし、それ」

 言葉とは裏腹な明るい笑い声が響く。やがて三重ほどのその華やかな声はやみ、空気が動いて立ち去っていく後ろ姿だけをは見つめることができた。背中だけでも分かる、明らかに自分よりも整った体つきに艶めく髪。自分は全ての点において、あの恋人に劣っている。勝負をすることも嫉妬をすることもおこがましいと思わなくてはならないのは、やはり彼女が白石本人から特別な地位を与えられているからである。彼女がどのような性格であろうと、白石のお墨付きがある以上そこに自分という他人が挟める感情など生まれることすら許されない。

「背中見とるだけでも分かるな、自分」

 その時背後から飛ばされた声に、振り返る余裕はなかった。返事をしないにしびれを切らした忍足は、大げさなため息をつくと空っぽの食器が載ったトレイを片手にの前の席に移動した。

「俺は別に引き合いに出されるんは慣れとるし、まあ半分は間違うてないと思うし、あれやけど。そこまで怒るんも珍しい」
「……怒ってませんよ、私」
「今にも水かけそうな勢いやったくせに。漫画みたいやな、って後ろから見て思っとったわ」

 氷の膜からむき出しにされた冷凍蜜柑が、忍足のトレイの上で水たまりの中に浮かんでいた。じっとその様子を見つめていると、視界に映らない場所でもう一度忍足がため息をついて長い指で蜜柑を転がし始める。

「言うたらええのに。白石に。あんなんと別れて私と付き合うてくださいって」

 そして突きつけられた言葉に、はゆっくりと視線を忍足に向ける。この男は何を言っているのか、と目を丸くするよりも早く、白石の恋人が去っていった食堂の扉を見つめて彼は少しだけ鼻で笑った。

「少なくともあの女子よりは、自分の方が白石のこときちんと見とるんとちゃう」
「言いません」

 即答するに、忍足の方が目を丸くした。指先で転がしていた蜜柑の動きをぴたりと止め、の顔をじっと見つめてくる。

「先輩の彼女に、水もかけません」
「冗談やん」
「冗談でも絶対にしません」

 意固地は全ての答えだと、今となっては笑い話にできる。少なからず自分を慮ってくれた忍足に対する態度でもなかったと反省することもできる。しかし高校生のあの時は、本人どころか身近な親友にも知られる予定のなかった密かな想いを、金色ではないこの男に知られていたことの恐怖が勝って仕方なかった。親友よりも財前よりも、そして金色よりも白石に近しい人間である忍足が自分の感情をどのように見ているのか、扱うのか、怖くてたまらなかった。
 知られてはいけない、今の関係ですら壊れてしまう。ただ笑いかけられ、話しかけられ、財前と親友に何かがあった時だけ携帯電話のメッセージを交わされる関係ですら大切にしている自分にとって、目の前の男はもはや恐怖の対象でしかなかった。

「先輩、私、言うつもりないんです。秘密なんです。絶対嫌なんです」
「お、おう」
「絶対、言わんといてください。お願いですから」

 心からの願いを必死の思いで言葉として絞り出し、忍足の返事も待たずには食堂を後にする。自分に言い聞かせ続けたことであったはずなのに、いざ言葉として現実の世界に生み落としてしまうと、心は簡単に抉られる。絶対に白石には見せてはいけないと固く誓っていた涙は、食堂を出たところであっさりと頬を伝った。
 その後、夏休みに入ってからテニス部の練習が最も厳しくなった頃、白石は財前の予想通り別れを告げられたと親友に教えられた。財前の恋人でありながら「白石先輩を振るなんて」と彼女が怒るほど、身勝手な理由を突きつけられたらしい。けれど白石があっさりその宣告を受け入れたと聞かされた時、少し嬉しくなってしまった自分をすぐに恥じた。部活最優先、その合間の受験勉強を疎かにしない白石に愛想をつかしたというあの彼女に、忍足が人一倍怒っていたことは後日金色に教えられた。

「まるでお母さんみたいやったわ、ケンヤくん。なんやろ、誰の代わりに怒ってたんかしら」

 2学期の文化祭の準備のため訪れていた夏休みの学校で、金色にしては珍しく心から不思議そうに呟いていた。ケンヤ先輩やし、とつまらなさそうに親友の隣で一緒に紙の花を作っていた財前の姿が忘れられない。
 2学期になって部活を引退した白石から部日誌を渡されることはもちろんなかったが、食堂で会えば話しかけられる時間は戻ってきた。彼が卒業するまで続いたあの時間は、高校生活の大切な思い出として心の中にいつまでも眠らせておくつもりだった。



 今朝の夢は、どうしてあの時のことだったのだろう。三限目までの授業を終え、同じ授業を選択していた友人とともに校舎を出ながらは考える。外に吹く風は太陽の下でも随分と冷たさを含むものとなった。遠慮のない冬の到来に、大判のストールを肩で羽織っている場合ではなかった。何重にも首元で緩く巻き、口元を隠すように体を縮こまらせて歩けば、寒がりの仕草を今年も友人に笑われる。

「寒がりには女子の制服は大変やな」

 そのように声をかけてくれた白石が、温かい缶のカフェオレをおごってくれた記憶。食堂に現れる彼は決まって学ラン姿ではなく、グレーのセーターに身を包んでいた。寒くないのかと尋ねようと思ったが、自分から質問をすることはもう控えていた。新しい彼の情報を手に入れても、卒業式を数か月後に控えた彼を恋い慕う心にはかえって毒だと思ったからだ。だから極力食堂にも行かないようにした。視界にその姿を収めるだけで速まる鼓動を抑える術が、もう見つからなかった。

(……嫌やな、せっかく秘密のままでおれたのに。どうして本人にばれるかな、しかももっと気にさせるとか、ほんまあの人は)

 今まで恋人に困らなかったわけだ、と今更ながら思い出し、それを眺めることしかできなかった自分を自嘲する。
 その時、の隣で携帯電話を触りながら歩いていた友人がはたと足を止めた。わあ、と小さな感嘆の声を漏らす。ストールの中に口元だけでなく視線も埋めるように下を向きながら歩いていたは、立ち止まった友人を振り返り、彼女が少しだけ頬を緩めて何かを見つめている様子に気づく。何を見つけたのか、と視線の先にあるだろう大学の正門へと何気なく顔を向ける。そして、絶句した。

「お疲れ。待っとったで」

 そこには、自分を見つけて勝利にも似た笑みを浮かべる男の姿。え、と目を丸くする友人の視線に答える言葉もなく、は自分の視界に映る白石の姿にただ呆然と立ち尽くすしかなかった。



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3年経ってもネタにされる   21/10/23