雪解けの路 02

「うんうん、またそういうことになってしまったのね。まあ仕方ないわよね、蔵リンは基本向こうから言い寄られるんやから。そんで本命のいない蔵リンはまあ、男の矜持とかいう格好ええ言葉を都合よく利用して、誘われたら断りきれへんとかのたまって、そっちの数だけはこなしてしまうのよ。それをアタシは高校の時からずっと見てきたわけよ。そのね、そっちの数だけケンヤくんたちと競い合うのやめてくれないかしら。もともとケンヤくんとユウくんなんて、そら一般人に比べたらモテる方かもしれへんけどね、蔵リンとはステージがちゃうわけよ。あ、だからって光くんに聞くのはご法度よ。別れた彼女のこと諦められへんくせに実はそっちの数だけ増えてましたとかになったら、もうアタシ悲しくて聞くに耐えられへん」
「いや、ちゃう。俺から誘ったんやで」
「それを先に言いなさいよお姉さん生中2つ!」

 眉をきりりと上げて怒声とは異なる種類のはっきりとした声で、金色が叫ぶ。天王寺駅前の通い慣れた居酒屋で、スタッフの中にもいくつか見知った顔がある。そのおかげとは言わないが、金色にしては珍しく遠慮ない注文をして、やがて驚きを隠せない顔で白石を見つめてきた。

「……ねえ、今の聞き間違いかしら。アタシの妄想かしら。蔵リン、もう一回言うて」
「え? 俺から誘った……」
「嘘やん蔵リンのくせに! 積極性皆無の男が!」

 時には強引に行けと背中を蹴る勢いで罵りながら、今日はそれを否定にかかる。言葉だけを聞けばけなされていると思うのだが、金色の慌てようを見ているとそれはきっと瑣末なことでしかない。むしろ派手さを演出しながら冷静沈着に物事を進める彼をここまで驚かせた自分は、素晴らしい第一歩を踏み出したのではないかと白石は思った。しかし思った後で、すぐにため息のような自嘲のような吐息が零れる。動揺する金色に見つからなかったのは幸いだった。

(まあ、予定しとった結果には程遠いからな)

 笑みを浮かべながらジョッキを運んでくれた顔見知りのスタッフに、白石が礼を言って受け取る。どうしたんです、と笑う彼女にはとりあえず適当な言葉を返し、金色の前にビールを置くと、当たり前のように三分の一程度があっさりと彼の体の中に消えていった。

「ええ……ちょっと待ってね、蔵リン。アタシの情報が古かったとか、それはアタシの沽券に関わることやからきちんと更新させてちょうだい」
「いつまで小春の情報は更新され続けるんや?」
「みんながお嫁さんをもらうまでよ」
「お前は姑か」

 似たようなものよ、と全く否定せず金色はしばらく考え込む。医学部にあっさりと現役合格して早4年、白石たちは今年大学卒業という節目を迎える一年を送っているが、彼はまだ医者の卵の折り返しである。既に22歳ともなるとアルコールとの付き合い方も個性が出てくるが、四天宝寺仲間での飲み会で一番酔いつぶれない、酒に最も強い男という名誉ある称号は、彼から外されたことは一度もなかった。もちろん一番面倒な飲み方をするのは石田と小石川である。
 今日も称号の名に恥ずかしくない、素面のような顔だった。傍から見れば何を考えているのか分からないほど、思考回路を見せない男である。白石はしばらく沈黙に付き合いながら、その間、あの日の出来事を思い出していた。

 あの日も、始まりは居酒屋だった。突然の誘いを何のためらいもく快諾し、指定された待ち合わせ場所は神戸。天王寺駅よりは少しばかりこぢんまりとした三ノ宮駅の海側、いくらか歩いてたどり着いた洋風居酒屋は、白石が男友達と飲むには縁のない落ち着いた雰囲気の店だった。成人してからできた恋人たちは、大抵の場合もっと背伸びをした瀟洒な店を指定するばかりだったが、話したいことをかいつまんで伝えた瞬間彼女は「お酒飲みましょう」とその店に連れて行ってくれた。

「大学こっちやったんやな。知らんかったわ」
「ここまで遠くなかったですか? すみません」
「ええで、全然。ちゅうか誘ったんは俺やし。結構懐かしいで、練習試合でよう来とったから」
「あのメンバーを引率するのも大変ですね」

 気取らない、飾らない後輩だった。様々な人の縁のおかげで高校時代に知り合ったは、白石が高校を卒業してからしばらくは音信不通だった。なぜなら自分たちは、財前というテニス部の後輩とその恋人に関わる話をすることしかない関係だったからである。卒業して彼らが視界に映らない生活になったり、もしくは話題にすることもないほど彼らが平穏な関係を維持してくれたりすれば、話すことは本来ない。だが状況は変わってしまった。財前が21歳の誕生日を迎える前に、二人は5年以上続いた関係を終わらせてしまったのである。

「あんま驚かへんのやな。もしかして、予感でもあったんか」
「うーん、まあ、はい。なんとなくですけど、去年ぐらいからかな。まさか白石先輩が心配されるほど、お互いが傷ついてるとまでは思ってませんでしたけど」

 結構深刻だったんですね、と呟いた時のの表情は、高校で見たものとまるで違った。3年以上会わなかった間に随分と大人びた雰囲気になって、暖色の照明の中では年齢差を忘れそうになる。
 財前に関しては、高校までであればたとえ何か問題が起こったとしても白石と金色との3人で対処すればよかったが、今は対処どころではない。むしろ別れてその後、吹っ切れた生活をお互いがしてくれれば話は違う方向に進めることができたのにと思う。
 だが財前の落ち込みようは白石の目にも明らかで、そして財前の恋人だった相手も聞くところによると憔悴しきっているということだった。それならばどうして別れた、と第三者としては眉を顰めるのだが、そこは当人たちにしか分からないとは困ったように笑う。

「それで、久々に私も出番がありそうですか? 助っ人に使えそうって、白石先輩のお眼鏡にかなったから今日来てくれたんですか?」
「そうやなあ。いつまでやらなあかんのか全く見当つかへんけど、お願いできるか? さすがにあの財前の顔は、見続ける気がおきひん」

 もちろん、とテーブルの向こうでは笑った。その時、親友を思う心以外のものが反映されたその笑顔に、白石はすぐに気づいた。
 自分の恋愛事情について、どのような交際を経ても実りがないと金色たちはけなし続けるが、人の内面を読み取る力だけは無理やり鍛えられたと白石は思っている。少なからず、の顔には白石と久しぶりに会えて、話すことができた嬉しさがにじみ出ていた。
 彼女も同じだろうかと、一瞬考えた。自分に好意を寄せてくれる様々な種類の異性を見続けてきた白石は、最初に応援を頼んだことを少しだけ後悔した。申し訳ないと思った。だが二人で話し続けるうち、がその感情をわざと露呈させているのではなく、むしろ必死に隠そうとしている様子に気がつく。あれ、と思った時には食事は無事に終わり、機会があればという前置きとともに、作戦会議の飲み会をまた行うことを約束して、三ノ宮駅で別れた。

「蔵リン、蔵リンってば。聞いてる? で、どんな子なのよ。更新の準備万端やから早く話してちょうだい」
「え? ああ」

 とんとんと指先で机を叩かれて、途端騒がしい居酒屋へと意識を戻される。神戸のあの店とは違う、客の笑い声が遠慮なく響き渡る馴染みの店は、いつもであれば最も落ち着く場所であった。だが今日はなぜかあの淡い蜂蜜色の、掘りごたつの落ち着いた雰囲気が妙に頭の中をよぎる。
 ぬるま湯のような温かい照明の中、冬の装いのは高校の時よりもすらりと手足が整って、アルコールの入ったグラスを持つ指先は綺麗で一瞬見惚れた。
 小さな沈黙すら金色にはある種の回答であることを忘れて、白石は小さな泡が残ったグラスを見つめながら考える。どこから、何から。どう伝えるべきか、どこまで話すべきか、何を尋ねるべきか。ここに来て迷う一瞬の沈黙を、金色がふふふと笑って埋めた。

「嫌やわあ、嫌やわあ。どうしたの蔵リン、何があったの誰に会えたの、その沈黙が意味深すぎて、小春いてもたってもいられないわ……!」
「誰って」
「え? 誰よ。アタシの知らない人でしょ? 大学の人?」

 喉元まで出かかったの名前を、白石は飲み込んだ。三度目の食事の時、居心地の良さに負けている自分を自覚した白石が付き合わないかと尋ねても、納得しなかった相手だ。答えを聞くまでは帰らないという至極勝手な理由で一泊し、拒まないという都合のいい解釈で抱いたものの、朝陽の眩しい三ノ宮駅で保留を申し渡してきた人だ。
 そのの名前を、ここで第三者である金色に告げてもいいのか。相談はしたいが自慢をしたいわけでも、そもそも自慢できる段階でもない。自分にすら今まで黙っていたの心情を、勝手に暴露するのもおかしい。堂々巡りしかできない悩みにわずかに眉根を寄せれば、金色はまたも笑って沈黙を押し流す。

「はいはい、まだ言える段階やないのね。それならあえて聞きません。せやけど蔵リンが今日アタシを呼んだんは、スムーズにいかへん何かがあったからよね? それを聞きましょうよ」
「スムーズ……スムーズねえ」
「何よ。また向こうから告白されたからとりあえずOK出して、けど珍しく蔵リンが先にその気になるような子やったんでしょ?」
「いや、付き合おう言うたんは俺で」
「それをもっと早く言いなさいよお姉さんモモのたれと塩とスパイス追加よ!」
「せやけど向こうが答え渋ってな」
「後出しじゃんけんやめなさいよお! なんなのよ唐揚げととり天も追加よお姉さん!」
「渋ったけどホテルにはついてきてくれて」
「もう追加できるお腹じゃないわよなんなのよお姉さんコーラハイ!」
「せやけど朝になったら、やっぱり考えさせて言うて断られてん」
「……どこで話を落とせばええのよ、なんなのよその意味の分からない一連の流れ」

 にこにこと笑顔で大量の焼き鳥とコーラハイをご丁寧に2杯、金色の前においてスタッフは去っていく。だが目の前に注文の品が届けられても、金色は手を伸ばすことはなかった。明らかに今までの白石の恋愛事情と異なる何かが起きている、と悟った彼は、しばらくの沈黙の後に静かに残った生ビールを飲み干した。

「……先に聞いておくわね。蔵リン、その子のこと本気ってことね?」

 騒々しい店内の雰囲気とは真逆の、落ち着いた声で尋ねてくる。真っ直ぐに見つめるその目は隙を見せられるようなものではなく、そして誤魔化しを入れずともよいと伝えてくれているようでもある。相変わらず身内思いな男だと、最初に金色に打ち明けるつもりになった自分の判断は間違っていなかったと白石は確信して、思わず笑ってしまう。

「なによ。やっぱり冗談やったの? 適当? お遊び?」
「いや、ちゃう。多分本気なんやと思うで」
「多分ってなによ」
「自分から告白したの、初めてやからな。程度がよう分からん。自分でもどうしたもんかと」
「え?」
「思いっきり、普通の知り合いのつもりやったからな。こっちに転がる予定は全然なかった」

 それは、自分だけだったかもしれないが。相手は、必死にその想いを5年も隠し続けていたが。
 時間の流れに触れると高校が接点ということを暴露することになるので、あえて金色には伝えなかったが、話の起点は彼にはさほど重要ではないようだった。白石が言葉に出すことができた感情だけで、ある程度を察してしまうこの男の頭はどのような働きをしているのか、いまだに舌を巻いてしまう。

「つまり、元々知り合いやったけど蔵リンは最初全くその気がなくて、せやけどなんかの拍子に『あー俺この子好きかも』になってしまって、そこで相手が告白するよりも早く蔵リンが言うてしまったと。あらまあ、それだけでもえらい進歩やけど……なんなの、向こうが好みの子になってきてくれたん?」

 食べつくされた焼き鳥の串を片手に、金色は白石が伝える言葉の中からこれまでの事例にない部分だけを正確に取り上げて確認をしてくる。しかしどこまでも、相手が白石のことを慕っている前提で考えているのは申し訳ないようなおかしさがあった。

「そら、向こうは先に好きになってくれとったらしいけどな。せやけど今まで一度もそんな素振り見せんかった」
「え? なによそれ」
「俺に言うつもりは一切なかったらしいわ。多分俺から言わな、今も黙ったままやったと思うで。それで急に俺が付き合わへんかって言うたもんやから、逆に拒絶されて。せやから振られてんねん、一応」
「……好きなくせに?」
「自分は釣り合わへんって言い張っとる」
「好きなくせにね」
「結構何回か聞いたんやけどな、答え。結局今も教えてくれへん。なんなら音信不通やで、軽く」
「それはねえ、ほんまに蔵リンのことが好きやからよ」

 目の前に居並ぶ串揚げを見つめながら呟いていると、金色がコーラハイ片手に笑う。今までで一番ね、と付け加えて。
 金色にこのように自分の恋愛事情を問いただされる場面は、そういえば高校時代に何度も経験していた。その時確かに彼女は金色の隣にいて、自分の情けない話を笑いながらも真剣に聞いてくれていたように思う。

(どんなつもりで聞いとったんやろ。俺が卒業するまで、よう隠しきったな)

 現時点で金色が、白石の相手がだと気づいている様子はない。つまりが高校時代から自分に恋心を抱いてくれていた事実は金色もあずかり知らぬところであり、気づかせる要素を微塵も感じさせなかったという努力を証明していることになる。ホテルに強引に連れ込んだ身とはいえ、さほどの抵抗を見せなかった雰囲気や抱いた感触から言えば、これまでに何人かとは交際を経てきたのだろう。好意を自覚した身としては少しばかり苛立たしい気持ちにもなる話だったが、しかし5年も気づかなかった責任は自分にある。5年も、慕う気持ちを捨てられずに不毛な交際をさせてきたのだろう原因は自分にあることを、あの日のホテルでの涙が白石に教えてくれているようだった。
 高校時代は、ただひたすら活発な女子だった。白石に好意を寄せてくるような女子とはまるで違う、自分を着飾ることを一切しなかった。財前に対しては驚くほどずけずけと物を言う性格だったし、金色と一氏のギャグに辛辣な駄目出しをすることもあった。しかし眉間に皺を寄せていた財前はさておき、その飾らぬ物言いの中に悪意のないことは第三者の白石から見ても分かることで、むしろ無理にお世辞を並べない性格を、金色と一氏は重宝していたような素振りがある。そしてなにより、親友思いだった。財前の彼女だった親友に対する誠意の向け方は、ある種羨ましいと思うほどだったと白石は記憶している。

「さすがやな」

 蘇るのは、あの高校3年の初夏。インターハイに繋がる予選が続く日々の中で、長引く雨天の順延の結果、珍しく平日の午後に試合が設定されてしまったあの日。
 4時間目終了後、テニス部は正門前に集合して学校が用意したバスで試合会場に向かうことになっていた。正門で部員の点呼を取る仕事は金色に任せ、白石は雑務を終えてから正門前に向かおうとしていたその時だった。

「よう連れ出すことできたな。しかも小春には見られへん、ええ場所やんか」
「白石先輩」

 西館の外階段を見下ろすことができる、本館の渡り廊下だった。昇降口へと向かう途中、開け放たれた窓から階下を見つめているの姿を見つけて、何をしているのだとそっと後ろから視線の先を追えば、西館の外階段で財前と恋人が楽しそうに話している姿があった。

「そら隠したい言うても、話したくないわけやないしなあ。特に財前の方が」
「お互い様ですよ、あれは。どっちもどっち。むしろあてられてる気分です」
「まあ、そうか。そうやな」

 の隣に並んで階下を見下ろす。わずかにが白石に場所を譲るように右にずれたのは、今となっては単純に距離を取りたかっただけなのだと分かる。距離を取らなければならない、隠さなければならない感情を抱いていたことに、けれど当時の白石はまるで気づいていなかった。
 渡り廊下を夏の風が通り抜け、の髪を揺らす。手に持つ紙パックは白石も好きなマスカットティーで、ほのかに香りが漂う中、正門前で金色と一氏が大声で部員の名前を呼び始めた。財前の名前を何度も呼ぶあたり、もしかしたら金色には既に二人の密会が露見しているのかもしれない。それでもその現場を襲撃しないのが彼の優しさであることに気づいている白石は、かすかに笑って財前たちを見つめ続けた。

「せやけど、のおかげで話せるんやったら財前は感謝せな。それとなくひやかしといたろか」
「感謝とか。そんな大層なことしてませんし、私。というかですね」
「うん」
「ほんまは、私のお節介を許してくれるあの二人が凄いんですよ。こんな茶茶ばっかり入れる他人をそのまんまにしてくれて。私の方が二人に感謝せな、なんです。きっと」

 財前には内緒にしてくださいね、と少し悪戯っぽく笑うに、白石もつられて笑う。同じ女子でありながら、今までに知り合った女子とはどこか違う、屈託のない雰囲気が自分は気に入っていたのだと思う。ただそれが好意と結びつくことはなく、ましてや後輩の恋人の親友という、ある種近すぎる存在ゆえに、一定の距離を置くことは無意識のうちに自分の所作に出ていたのだろう。それに気づいていたに違いないも、白石の生活に無理に入り込んでくるような真似は絶対にしなかった。

「それなら、秘密にしといたるか。のおかげやってあいつが自分で気づくまではな」
「気づく……気にしてくれますかね、あの財前が」
「まあ、あの財前やしな」
「先輩、気づかへんって思ってますね絶対。その顔」

 そんなことあらへん、とさらりと返せばがあっさりと怒るので笑っていると、いつのまにか財前が正門前に集合していた。外階段では恋人が頬に手を当てて俯いている。何をしたのやら、とと笑った後、ほなと白石も昇降口へと足を向ける。

「先輩」

 5時間目の予鈴が鳴り響く、夏の風の心地よい廊下。振り返れば、が頬を緩めて見つめている。

「頑張ってください」

 思えば、それは普段の彼女にはあまり見られない、一瞬息を飲むような優しさに満ちた言葉だった。
 けれど当時の白石はそれの意味が分からず、親しい後輩からの声援に手を上げて返事の代わりとした。自分に好意を寄せてくる人間はむき出しの感情をぶつけてくるばかりで、隠されることなどほぼなかったのだ。ましてや隠された恋情に気づいて拾い上げることなど、テニス部と勉強で忙しい身には優先事項にならなかったのだ。
 あの時のことを、に今尋ねたら何と答えるだろうか。気づいていなかったのか、と一笑されるだろうか。けれど決して嘲りはしないだろう、気づくことですらこちらの機会に合わせてくれる女子だった。白石の日常生活に横から顔を出して、声を挟んで視線を向けさせるような利己的で乱暴なことは決してしなかった。

(そのために、いろいろと犠牲にしとったもんもあるやろな。俺に嘘ついとることもありそうやし)

 白石の恋愛遍歴に明るい未来を用意しようと、金色が何やら作戦を立てている。与えられた沈黙をいいことに、白石はこの機に一つ一つ、の隠し続けてきた本音を探し出してみようかという気になった。今彼女が回答を用意してくれないのは、不甲斐ない5年間の自分に責任がある。今まで気づいていなかった人間が、急に自分の願いだけを伝えてそれに従えと言っても、確かに安易に頷けないだろう。逆に刹那的にも見えるこちらの判断や行動は、彼女の不安材料となりかねない。
 告白というものを初めてして、そして断られるという経験をして、立ち止まる。その全てが新鮮で、白石は傷ついている暇がなかった。手に入れたいと思ったものを簡単に諦められるほど、淡白な性格でもなかった。敗北は一つの勉強材料であることをテニスで痛いほど経験している身にとって、保留という史奈の態度を突き崩す努力はむしろ楽しみさえ見いだせると言ったら、誰かに笑われるだろうか。
 そこまで思い、金色よりも随分出遅れたコーラハイを飲んでいると、やがて金色が小さくため息をついた。

「あかん。あかんわ。アタシの情報と何一つ一致せえへんくて、蔵リンに適切なアドバイスが送られへん。絶対昔の誰かやと思ったのに」

 ふるふると首を横に振って、しかしその可愛げを演出する動作とは裏腹に一気にコーラハイを飲み干す。お姉さん、と呼ぶ声に覇気はない。どうした、と笑って尋ねると、金色はじっと白石を見つめてかすかに眉根を寄せる。

「蔵リン、どこで待ち合わせしたの? それぐらいヒントちょうだい」
「どこって。ああ、まあ……神戸やけど」

 その程度であれば、と直接結びつかないだろうかと若干焦りながら答えると、しかし予想とは正反対の落ち込んだ顔色で金色は盛大にため息をつく。

「ちゃうわねえ……アタシの情報の中では、蔵リンとええ仲になりそうな子って一番西でも西宮なのよ。ほら、あの子。光くんの彼女……と言い張るわよアタシは、別れても言い張るわよ、その彼女のお友達の子。さん」
「……え?」
「あの子、大学が西宮でね。アタシ結構梅田で会ったりしてたのよ。光くんの彼女と、時々アタシを見て可愛い顔してくれる光くんと」

 あの子と遊ぶなら梅田かこっちよねえ、と呟いた後、金色は行き詰ったのか携帯電話を触りだして、やがて忍足と小石川を勝手に呼び寄せた。
 何の話をしていたのだと忍足が除け者にされていたことに若干怒りながら尋ねてくるが、どのように返事をしたのか白石は覚えていない。

(……三宮やなかったんか?)

 再会の段階でも、まだ偽りを口にして自分と会っていた。5年経っても自分の前で何かを偽ろうとすると、腕の中で泣いて好きだと認めたのどちらが本物か、白石には分からなかった。



>>03


同時刻 財前   21/09/22