アウトサイド 夏 01

 人は彼を、魅力的な人間と呼ぶ。
 だが忍足は白石を、素直な人間だと思っていた。いや、素直を通り越して不器用。しかも器用ではない自分から見ても、ここぞという大一番に関して盛大な失敗をやってのける。それは、素直すぎるから、真面目すぎるからだというのが中学3年になってようやく手に入れられた答えだった。それを本人が理解しているかは別として。

「おーおー、女子の試合っちゅうのはなんでいつもあそこまで白熱するんや。火花散ってんで、あれ。絶対。説明してくれ、白石」
「説明もなにも、それがうちの女子やろ。ほんまはあははうふふて笑っといたらええねん、って母さんが……うわっ、危な!」
「白石、余計なツッコミなんかいらへん! 味方になる気がないんやったらチャチャ入れんといて!」

 飛んできたバレーボールのなんと鮮やかなことか。下からではなく明らかに上から力をかけて飛ばされてきたボールは直線の軌道を描いた後、白石の真横に激しい音を立てて落ちた。ボールを避けるようにして慌てて視線を向ければ、コートの中央には女子バレーボール部の部長が立っていた。
 クラスのレクリエーションと題して行われたバレーボールだったが、6時間目という時間帯もあいまって、忍足も白石もコートの中に立つことよりも体育館の壁にもたれて観戦する気分の方が勝る。
 試合に早く負けたから暇だとはお互いに触れ合わない約束なので、忍足はそう思うようにしていた。

「コートは聖域やで、白石。邪魔するもんとちゃうな」
「それは俺らかて同じやないか。せやけど部活以外ではあそこまで熱くはならへん……うわっ、ちょ、もうやめ! なにすんねん今宮!」
「うるさい白石! あんたが黙らへんからやろ!」

 1点を奪い合い続ける、体力も気力も必要な試合では精神状態も常なるものとは異なるらしい。それは同じ運動部である白石も忍足も十分理解していることだ。クラスメイトであるバレー部部長の怒りの理由が集中ゆえに発生している事実を思えば、自然反抗的な態度もなりを潜めた。

「……で、おばさんはなんて言っとったんや、白石」

 小さく体操座りをして、そっと白石に尋ねる。バレー部員のいない2組の男子がバレーをしたところで、試合はいたってシンプルな運びになるに決まっているのだ。もはや白熱しているのは体育館の西半分の女子のコートだけで、こちらは会話に花が咲くばかり。

「ああ、女子は男子の前で可愛く笑っとったらええって。それだけ」
「それだけ?」
「それだけ」
「……なんやねんそれ、意味分からんを通り越して意味深やないか。お前母親になんでそんなこと言われとんねん」
「知るか、妹にでも聞かせたかったんとちゃうか」
「いや、お前の妹があははうふふ笑ても何か企んどるようにしか見えへん」
「せやなあ、謙也にはそうするかな、あいつ。可愛えとこあるやろ」
「俺にはってなんやねん! しかも可愛いとかあるか、お前と一緒の顔しとるくせに!」

 部長に飛ばされてきたバレーボールを白石に投げつける。
 こういう時は決まって当たらない。予想通り、白石は予想していたかのような軽い身のこなしであっさりとそれを避け、ボールが女子のコートに戻る道筋を作ってしまった。
 あ、と小さく叫んだのはどちらが先か。
 女子テニス部よりも女子バスケット部よりもどこよりも恐れられている女子バレー部部長の足に、白いボールが吸い寄せられたかのごとく派手にぶつかる。忍足と白石はすぐさま立ち上がり、怒声が飛んでくるよりも先に体育館の壇上へと逃げ去った。

「もっと考えて行動せえよ、謙也」

 珍しく白石が愚痴を零す。壇上の端に腰を下ろし、体育館全体を見渡せる場所に移動すると開け放たれた窓から夏の風が流れ込んできた。

「アホか、考えて行動してもあいつには絶対勝てへんわ。お前かて一緒に逃げたくせになに偉そうなこと言うてんねん」
「そうか、それもそうやな。絶対2組の女子は3年の中で一番強いと思うわ、俺」
「それは同感」

 せやろ、と白石は笑う。しかし白石がそのようなことを言ってもまるで嫌味がないように感じられるのは、彼の性格の為せる業か、それとも自分が白石に対して甘すぎるのか。そのどちらもなのだろう、と思うことはあまり難しいことではなかった。
 白石とともに過ごしてきた、中学校生活最後の夏だった。

「あー、バレーやなくてテニスしたいわ。なんでレクリエーションにテニスっちゅう選択肢はないんやろな、白石」

 足を上げ、あぐらをかいて女子の試合を見つめる。白石はまた笑った。

「参加できる人数が限られとるやろ。クラス全員がテニスコートに集まってもコートに全員立てへんし、それに俺らがいい餌食や。無理難題ふっかけられて終わるで、多分」
「そうか、そうやな。それやったらサッカーか、いやでもなあ」
「お前は単にテニスがしたいだけやろ、謙也。部活始まるまでもう少し我慢せえ」

 淡々と受け答えをする白石を、ちらりと見つめる。言葉だけをなぞれば随分冷たくも感じるが、その表情がここ最近柔らかくなることが増えていることを、忍足は知っていた。気づいていた。
 女子の歓声が飛ぶ。白石の視線の先をそっと追う。
 そこに、白石の彼女がいることを知っているのは、2組の中では自分だけだった。

「白石、どっちが勝つと思う? あれ」
「左側」
「なんで?」
「今宮の指示が的確なのと、それを全員が素直に聞いとる様子」

 それだけではないだろう、とコートの左側にばかり視線を向けている白石に言ってしまいたかったが我慢した。
 左側のコートに立つ、自分の彼女の様子を見つめる白石の表情は、長年の友人であるはずの忍足が見ても少し恥ずかしくなりそうで言葉をかけられなかった。親友の恋人の存在というものはどうしてこうもくすぐったいものなのか、自分が特別な感情を抱いているわけではないのに(絶対ない、断じてない、彼女のいる自分がそんなことを思ってはいけない、……と呟いたのは一度や二度のことではない)どうしてもいてもたってもいられなくなる時がある。
 白石に倣うように、忍足も静かにコートを見つめる。がトスをあげて今宮が相手コートに叩き込むと、笑い声と歓声が入り混じって随分と楽しそうに見えた。

「ええ勝負しとるやんか」

 白石の呟きは優しさに溢れていた。
 忍足はを見つめたあと、そっと窓の向こうの青空に視線を逸らした。
 、という名字の印象しかない女子だった。そもそも名前を知ったのも4月になってからのことだ。今まで同じクラスになったことはなかったし、今年2組で初めて顔を合わせたといっても機会がなければ話すこともない。白石と同じクラスになってしまったからなおさらだった、忍足にとってこのクラスといえば白石なのだ。

(せやのに、俺の知らんところでこいつらいつのまにか仲ようなっとったんやもんなあ、人生どうなるか分からんもんや)

 白石の真似のように頬杖をついて女子のコートを見つめる。白石が沈黙を気にする風もなく試合を見つめているのは、つまりそういうことなのだ。

(俺の話もあんま聞いてへんかったやろ、お前。付き合うとるの隠したいのかばらしたいのかどっちやねん、気づく人間が見たら絶対気づくでこれ)

 だが、その小さなからかいのような危惧は口にはしない。自分の親友は、それが分かっていない男ではなかった。
 分かっていないはずなのにやってしまう、その気持ちが分からない自分でもなかった。

「ま、元に戻ってよかったな、ぐらいは言うとくわ」
「なんやねん、いきなり」
「うるさい。俺一生ネタにし続けてやるからな、お前とがこの3ヶ月どれぐらい俺をヤキモキさせたかっちゅうことは」

 今日一番の歓声が飛ぶ。試合が終わったようだ。が笑顔を浮かべながらクラスメイトたちと手を叩いている。
 白石は、困ったような嬉しいような、忍足には真似のできない笑みを浮かべる。
 こちらの言葉に困っての笑顔に嬉しがって、こういうところは器用だと感心した時、チャイムが鳴り響いた。
 白石とが付き合い始めた時、自分はもっと心に余裕があったと忍足は思う。
 むしろその事実を歓迎した。白石に付き合えと切々と説いてきたのは他ならぬ自分であったし、その過去を考えれば諸手を挙げて喜ぶべき一番の人間が自分であることを、忍足は自覚していた。そうしていた。最初の、1ヶ月は。

「彼女がおったら、まあ色々あるにしても。普通は楽しいもんやろ、絶対」

 片付けの始まったコートに戻るべく、壇上から下りる。あたりに転がっているボールをひとつずつ拾い集め、抱えきれなくなった分は白石に投げて渡す。白石はただ黙って受け止めた。

「別に隠れて付き合う必要もないと思うねんけどな、俺は。楽しむのはお前らふたりだけやなくてもええんとちゃうのって」

 白石は答えなかった。小さく笑ったように見えただけだった。
 ボールを集めにが駆け寄ってきても、挨拶と返事だけの会話だった。これを狙っていたのか、とが去ったあとの白石の視線が若干の冷たさを持って尋ねてきたが、忍足は盛大なため息をつくばかり。

「いちゃつけ言うてんのとはちゃうのになあ、なんでそこは真面目モードやねん」
「いって! なにすんねん、謙也!」
「ああ、はがゆい。字はよう知らんけど意味は知ってんで、今の俺の気持ちははがゆいっちゅうやつやねん」

 担任の呼ぶ声に促され、男子の列に整列する。
 視界の中で偶然にも綺麗に横並びになった白石との後ろ姿を見て、どうしてこうもこの親友は不器用なのかと、忍足はそれしか考えなくなっている自分に気づいた。



 魅力的ゆえの試練なのかもしれない、とは千歳の言葉だった。

「お前らも少しは落ち着いて見守ってやらんとね。白石も子どもじゃなかとよ」
「そうは言うけどな、千歳。歯がゆいっちゅう便利な言葉が世の中にはあってやなあ」
「歯がゆい? ケンヤが?」
「……なんやねん、その目」
「俺からすれば、お前と彼女の関係の方が歯がゆい……いってえ!」
「うるさいわ、少し男前やからって上から目線すんな! 九州の彼女の話なんかもう聞きたないわ、お前に惚れまくってこの前もこっちにきとった彼女の話なんか!」
「ケンヤくん、それは敗北宣言ってやつよ、理解してる?」

 千歳の言葉はいつも重い。言葉の上面だけなぞっていては本当の意味は理解できない気がする。そもそも彼の生き方自体、同級生とは思えぬ密度を持っている気がしてならない。なにを考えているのか分からないのではなく、なにを考えているのか分からせない、そんな印象があった。
 その千歳が、白石には敬意に似たなにかを見せる。白石の生き方にある種の尊敬を抱いているように振舞う。一番の親友である白石をそのような目で見てくれるこの男を、嫌いになれるはずもない。だから今日も、彼に相談してしまうのだ。

「まあ、惚れさせるのは簡単たい。問題はその後、惚れ続けさせるこつね。本人の努力しか頼れるもんがなかと。白石がそれに気づいとらんとは思えんばい、俺には」

 また難しいことを、と眉根を寄せそうになるが、財前が神妙な面持ちで会話を聞いているのを見て忍足は黙る。何度か頭の中でその言葉を反芻させれば、少しだけ意味が分かるような気がした。

(あいつ、不器用やしなあ。しかもよりにもよって、恋愛に)

 外見と中身がそこまで一致しないのはどうなのだ、と思いつつ、しかしそんな白石が嫌いではない自分もいるというこの矛盾が面倒だった。夏の暑さに拍車をかける。下敷きでいくら強風を作ろうとも、生まれるのは暖かな風ばかりだ。

「……まあ、蔵リンは真面目すぎるから。アタシらとおる時は普通やけど、そら初めての彼女の前では緊張することもあるに決まってるのよ。なにせ、初めてやから」
「あいつ、名前負けならぬ顔負けやな。別にそう難しく考えんでもええんとちゃうんか、そういうことは。よう分からへんけど」
「仕方ないわよ、ユウくん。努力の人よ、うちの部長は。自分で経験して納得するまで努力することが基本の人に、最初から全部うまくやれって言う方がおかしな話。ねえ、ケンヤくん?」
「お? お、おう」
「その点では、ケンヤくんは先輩なんやから。歯がゆく思うところも、見守ってあげるっていう千歳くんの考えに従わなきゃダメよ」

 椅子に腰かけた財前が、窓の向こうを見ながらイヤホンの白いコードをくるくると指に巻きつけている。興味なさそうに見せているが、その行動がさきほどから変わっていないところを見るとあの耳だけはこちらに向けられているらしい。
 白石の話になると、全員話し合いに参加する。小石川が沈黙しているのは参加していないのではなく、白石を思うあまり言葉がでてこなくなるからだ。

「本当、白石は愛されとるばいね。四天宝寺に来て一番驚いたのはそれたい」

 千歳が笑うと、全員困ったようにしながらも笑う。

「せやけど、さんが彼女でほんまよかったわ、アタシ。そうやなかったら、今頃どうなってたことか」

 小春の言葉に、忍足はふと顔を上げた。
 小春だけが、その忍足の視線に気づいて小さく笑った。

「お前ら、はよ教室戻らんと間に合わへんで。なにのんびりしとんねん」

 その時、既に制服に着替え終わっていた白石が、部室のドアを開けて大声で呼びかける。
 2度目の朝食を食べる千歳、宿題を写す自分、準備が完了しているのになぜか待っている一氏、全員が慌てて鞄を肩にかけた時、無情にもチャイムが鳴り響いて男子テニス部はまた各教室で怒られることになったのだった。

「白石、呼びにくるタイミング30秒遅いわ。俺宿題写し損ねたし」
「アホ、誰がどう見ても俺に非はないやろ。ちゅうかそれ俺の宿題やし、はよ返せ」
「あ、すんませんあと1問」

 朝のホームルームが終了したのち、1時間目が始まるまでの残り数分を夏の熱風を受けながら戦う。
 素直で真面目な親友は今日も相変わらずスマートな1日の始まりを演出していて、中学3年の男子が早朝練習終了後に紙パックのジュースを飲む、その姿すら凛々しく見させてしまう。その行動は真面目ちゃうやろ、とつっこみたい気持ちを堪えなければならないのは、やはりその様が絵になるし、絵になるほど周りが彼の運動量と責任感を理解しているからだった。
 宿題を写し終え、一息ついた時に視線を感じたのも、そのせいだった。
 顔をそちらに向けると、が1時間目の準備をしながらこちらを見ていた。正確には、白石を。白石はなぜかその視線に気づいていないのが彼の不器用たる所以だ。白石のいないところで、忍足はじっとを見つめる。
 は忍足に気づいて苦笑し、小さくなにかを呟いた。

(……なんで『ごめんね』やねん)

 その一言が気になって、その日は白石以上にを目で追う1日となってしまった。
 隠れてである。白石にもにも、クラスメイトの誰にも気づかれてはいけない任務だ。
 なぜならふたりの関係は周囲には秘密のことであったし、なにより、秘密にしたがるふたりの過去が中学3年という年齢にも、そして白石の性格にとっても重すぎた。

(俺からすれば、別れるのを選ぶんもその後また付き合うのを決めるんも、ほんま半端ないことやで。それ乗り越えられたんやったら、もっと喜ぶべきとちゃうんか。なのに)

 なのにどうして、ふたりはもっと楽しそうにしないのだろう。
 素直で真面目で、自分の恋愛下手を本当は理解している親友に、いつまでも聞くことができない問いばかりが大きくなっていった。



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10/06/05