3年6組日記 猫は猫でも編 01

「要は英二がなにに納得するか、だと思うんだけどな」

 勝ち誇った笑みは、彼女だからこそ許されるんでしょうか。親友というものは彼氏彼女の関係の前では敗北を認めるしかないのでしょうか。いや認めたくなりました、今日。
 そんな3年6組の昼休み。僕は相変わらず英二とその彼女の現実を知らされる。
 今日、あの猫の飼い主はやっぱりこの人か、と僕は本気で思いました。
 ことの始まりは、いつもと変わらないはずだった昼休み。

 僕と英二は窓際の席でお昼御飯を食べていた。何度席替えしても僕と英二のどちらかが窓際の席になるおかげで、僕たちの昼食場所は3年生になってからほとんど変わっていない。ちなみに今回は僕の席が窓際後ろから2番目だった。だからこの日も僕はサンドウィッチ、英二はおにぎりを食べながら、他愛ない会話とともにつかの間の休息を楽しんでいた。
 その時、突然やってきたのが新聞部だった。

「菊丸くん、不二くん! ちょっとインタビューしてもいい?」

 それは1組の新聞部部長だった。毎年廃刊になるだの廃部になるだのと囁かれ続けてきたらしい(かつて大和部長がのんきにそんなことを言っていたから間違いない)新聞部の歴代部長の中でも、珍しく敏腕で、今年になってからの青学新聞を面白おかしいものにさせていた張本人だった。
 僕と英二はアポなしのその面談に、お互いサンドウィッチとおにぎりを手にしたまま思わず目を丸くする。けれど部長は人当たりのいい笑顔を浮かべて(女子というあたりがなんとも卑怯な気がする)(だって無下にできない)、本当は迷惑も甚だしいはずの突然の行為に僕たちを無理やり引きずり込んだ。
 ただ僕たちは(手塚に比べると)随分と人当たりが良いので、内心「面倒なことこの上ない」と思いながらも、新聞部部長に営業用の笑顔をすんなり返してみせた。

「なに? 僕たちでよければ」
「手塚や乾じゃなくて俺たちっていうところが。さすが今年の新聞部は違うねー」
「本当? ありがとう! 2人に協力してもらえると助かるわ!」

 相応に美人という部類にカテゴライズしても問題とないと思われるその新聞部部長の言葉に、僕たちは悪びれることもなく丁寧な愛想笑いを浮かべる。僕の十八番だったそれは、いつのまにか英二も習得するところとなっていた。

 とりあえず、僕としては早く終わらせたかったんだ。そのインタビューを。
 もともとその予定があったわけでもないし、なによりまだご飯を食べていなかったし。今朝は大石の機嫌が良すぎて早朝練習がとても実のあるものになってしまったから、午後からの練習に備えて少しでも身体を休めたかった。これは別に僕だけが思っていたことではないと思う。英二の愛想笑いを見れば、同じ思いであることは簡単に見て取れた。
 だから僕は、このインタビューを終わらせるためには、相手に逆らうことなく柔軟な態度である程度の質問に答えればいいと、そんなふうに思っていたんだ。過去の経験上。

「じゃあ、早速質問させてね。あ、この椅子借りていいかな? いいよね?」
「どうぞ」

 クラス中の視線が僕たちに集まる。そんな視線なんておかまいなしに、部長は僕の隣の席の椅子を引っ張ってきて僕たちの視界の真ん中に陣取る。英二は窓側の壁にもたれながら、その様を何気なく見つめていた。

 その時、僕の視界の中にあるものが映った。
 部長は他愛ない言葉を繰り返しながら自分がインタビューをできるように準備をしている。英二はその会話に付き合いながら(もともと人付き合いがうまい人だし)、残りのおにぎりを口に運んでいる。
 そんなふたりの会話に耳を傾けながら、僕はそっと視線をクラスの中央に向けた。
 そこには。

(……ものすごく分かりやすいんだけど。さん)

 箸を持っている手を中途半端な位置で止めてしまっている、英二の彼女の姿があった。
 さんは僕の視線に気づいていない。ただ唖然として新聞部部長(今更だけど名前は忘れてしまった)と英二が会話をする様を見つめている。僕は午後の紅茶ミルクティーの紙パックを手にしながら、冷静にその様を観察していた。

(嫉妬……している様子じゃないよな、あの顔は。なんだろう、英二がインタビューを受けるほどの実力者だとは思っていなかったのかな)

 いつのまにか紅茶を飲む方が惰性になる。好きなミルクティーを堪能するよりも、さんがなぜ驚いた顔をしているかの方が気になって、気づいたら紙パックは空になっていた。

(いや、テニスの実力はさんだからこそ知っているはずだし。本当になんだろう)

 そんな僕の視線には相変わらず気づかないものの、さんが僕たちの方に視線と心を奪われていたのは確かだ。その時タイミングよく他の女子が彼女の名前を呼び、それに慌てて答えていた様を見れば心ここにあらずだったことに違いはない。
 そんな様子で、机2列分をはさんで、6組の恋人は妙な位置関係にいた。そして僕はそれを楽しんでいた。いつものごとく。
 ほどなくして、部長は無印良品のノート片手に質問を口にした。

「じゃあ、まずは今年の男子テニス部について。今年は調子いいみたいだけど、その理由は何だと思う?」
「理由? なんだろ、不二」
「去年と比べると、レギュラーの中でダブルスとシングルスの役割分担がきちんとできたことと、あとはそれを可能にした越前の加入じゃないかな。皆が団体戦の中で自分の役割を認識できたから、個々の目標が明確になったというか。まあ変動はあるけどね」
「ああ、なるほど。だって」

 今の英二の受け答えを見て、彼が本気で答える気がないのがよく分かった。ないがしろにするわけではないけれど、きちんと細かく考えて答えるつもりはないらしい。やっぱり僕と同じ気分のようだった。
 早めに切り上げよう、と。僕は改めて思い、部長に先を促した。

「じゃあ、不二くんは主にシングルス、菊丸くんはダブルスだけど、練習中に苦労していることとか気をつけていることはある?」
「部活に遅刻しない。大石の練習の妨げにならない。あとは……」
「英二の場合は、新しいフォーメーションの練習時間確保のためにいつもの練習時間を減らさなきゃならないことかな。逆に言えば、その分今まで以上に効率のいい練習をしなければならないということ」
「あ、そうなの?」
「……そうだよ」
「不二くんは?」
「僕は腕力がないからね、他のレギュラーと比べると。基礎体力づくりを丁寧にきちんとすることと、あとはダブルスをする時はダブルス2だから初戦勝利を目指すこと……チームのモチベーション的にね。それからシングルスだとシングルス2が多いから、1敗している雰囲気を打ち消して前向きな気持ちで次の試合に進めるような勝ちを収めるようにする。こんな感じで、いつも意義のある勝利をきちんと手に入れることができるような精神状態をキープしていたいなとは思っているよ」
「……長いよ、不二」
「新聞部の部長さんは有能だから、きちんと編集してくれるよ。ね?」
「え? あ、う、うん! 大丈夫、任せといて!」

 丁寧に笑みを向けると、部長は慌てて頷いた。その頬が緩んでいるあたり、僕はこの質問の時間が僕たちに有利に働くことを悟る。
 おそらくあと2、3問を今のような感じで丁寧に答えれば、この質問の時間は終了するだろうと僕はふんだ。予約なしのインタビューだったし、なにより今は放課後ではなくて昼休み中だ。それほど長い時間拘束することは、僕がその立場であれば普通は憚られる。

 たとえば。昼休み全部を占領するというのは、乾が僕たちのところにやってきて延々と栄養価計算を唱えて「今の時期はこの野菜がミネラルが豊富でいい」とか「部活が始まるまでのエネルギー消費量を考えると、6組の場合午後に体育がある水曜日と木曜日は購買部で売っている一口ドーナツをおまけで食べるといい」とか言って説教をすること。
 桃が「聞いてくださいよ、先輩! こんなこと部活中じゃ言えないんですよ!」と週に1回の割合で彼女相談をしにくること。
 大石が「英二、諦めたら駄目だ! 今ここで赤点を取ったら次の試合に響くだろう? 赤点を取ったことが理由で試合に負けるなんて情けないだろう? だからほら、この数式を解く! ……違う、だからxの4乗マイナスyの4乗は因数分解の公式を2回使わないと駄目なんだ!」と涙ながらに英二に数学を教えにくること、とか(この時は僕は隣でひやかすだけだけど)。
 ……まあとにかく、テニス部の面々がいじめでやっているんじゃないかと思うような、そんな濃い時間のことを指すわけだ。僕たちの中では。

 けれど、今僕たちの前にいるのはテニス部の人間じゃない。僕にいたっては名前すら思い出せない他のクラスの他の部の人間だ。だから、これ以上の質問は一般的にはアウトだろうと僕が思うには十分に正当性がある。

「なるほど、よく分かったわ。ありがとう、突然の質問なのに答えてくれて」

 そして案の定、部内の様子はどうだとか、次の関東大会に向けての意気込みだとかを聞かれた後、質問の時間は終わった。教室の前にある壁掛け時計を見れば、昼休み終了まで予鈴が鳴るのも含めてあと10分。適当な時間だと思った。
 けれど撤退の準備を始める部長に、英二は何気なく会話を振った。

「ねえ、このインタビューはいつ新聞になるの?」
「来週発行の青学新聞の特集で使わせてもらう予定なの。今年の男テニは人気が高くてねー、前々から希望があったのよ、特集を組んでくれって」
「うわ、まじ? それなら前もって言ってくれたらレギュラー全員集めたのに」
「え、本当? いいの? じゃあ次回の特集はそれでいかせてもらってもいいかな?」
「あーうん、いいよ。手塚に許可さえ取ってくれれば、おチビ……ああいや、越前とかも俺が連れてくるし」
「わあ、助かる! ありがとう、菊丸くん!」

 英二は人あたりがいい。それは僕も知っている。あまり敵をつくるタイプではないし、元々英二のテンションが苦手だという人も、一度話してみるとその態度が幾分か和らいでいるというのは今までに何度も見てきた光景だ。
 そう、だから。今僕の目の前で展開されている光景は、さして珍しいものでもない。
 それは6組の人間であれば誰もが知っていることだし、今更あえて取り立てることでもないはずなのに。僕がこうして確認するまでもないことのはずだと、思っていたのに。

(……嫉妬するなら分かりやすい話なんだけどなあ)

 サンドウィッチの入っていた容器をつぶしながら、僕は心の中で呟く。僕の視線の先には、例のごとくさんがいた。
 途中、あたりさわりのない答え方をすることに意識を向けてしまったから、その視線の動向すべてを盗み見ることはできなかったけれど、こうして新聞部部長の意識が英二にだけ向けられていれば話は別だ。インタビューが始まる前と同様、ふたりの会話に何気なく相槌をうつ係として参加しながら、僕は静かにさんの顔色を見つめ、そしてひとりで勝手に想像する。

 今、考えてみると楽しそうなことが僕の前にはたくさんあった。
 まず、さんの視線と表情に嫉妬の色がまったくなかったこと。

(英二が他の女子と話して嫉妬するのは、まったくありえない話ではない。たださんは人前ではそんな様子は滅多に見せないけど)

 次に、それなのになぜかこちらの会話を気にせずにはいられない様子なこと。

(いや、それはいいのか。別に。自分の彼氏がインタビューを受けていたら、誰だって気にはなるものなんだろう。……多分)

 最後に、そうだとすると僕にはその心理が皆目見当がつかないこと。

(……今までなら結構予想通りだったんだけどなあ、このふたりに関しては。なんだろう、なにを思ってるんだろう、今。ものすごい気になる)
 
 今まで散々このふたりに振り回されたきた僕だからこそ、今の状況を楽しめると自負できる。でもそれはふたりの心理状況が手に取るように分かっていたらの話。今僕の目の前で繰り広げられている光景の中にそのヒントはあるはずなのに、けれど今日ばかりは僕は思わず首を傾げたくなった。
 そんな僕の心の内に気づくこともなく、部長は丁寧に頭を下げて背を向けた。その時。

「あ。そうだ、ひとつ聞き忘れてた!」

 慌てて踵を返して、英二の前にもう一度陣取る。僕ではなく英二個人に用があるというその態度に、僕の視界の中でさんがぎょっとした。ちょっと笑いそうになった。

「な、なに?」

 突然の切り返しに、英二も思わず身をひく。しかし部長には丁寧な受け答えをしている時間はないらしく(そういえば1組は次の時間は理科だった気がする)、ひるむことなくひとつの質問をつきつけた。

「菊丸くん、猫っぽいって言われるよね?」
「は?」
「言われない? テニスのプレイスタイルとか、跳躍力があるところとか。俊敏なところとか」
「え? 猫? あ、ああ……言われなくもないけど」

 英二の視線がちらりと僕に向けられる。ヘルプを求められているのはもちろん分かった。
 親友としては、ここでさりげなく質問タイムを終わらせるのが正しい姿なのだろう。
 けれど。奥の方でさんが唖然としたまままた箸を止めていたのに気づいてしまっては、僕の親友に対する誠意が好奇心に取って代わられるのも時間の問題というもので。

「で、でも不二なんか狐みたいじゃん! 目細いし!」

 さらにその上、そんな巻き添えの言葉を向けられてしまっては僕は黙ってはいられない。
 だから、僕は。笑みを浮かべたまま、例によって。

「へえ。じゃあ英二はどういう猫を目指してるの?」

 わざとさんに聞こえる大きさで、まるで目の前の英二に宣告するかのように正面をきって尋ねてあげた。



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05/03/15