| 3年6組日記 猫は猫でも編 02 |
僕は英二の本心を知っている。彼は猫っぽいと言われることには抵抗はないが、ことテニスに関しては中学生活の基本にしている分だけあってこだわりがある。だからテニスプレイについて猫っぽいとしか評されることがないのには、複雑な思いを抱えている。 それをこの人は知っているのか知らないのか。僕は新聞部部長の興味津々な瞳を見つめながら、そして遠くにさんを見つめながら。ことの成り行きを見守ろう…… いや、少しいじって遊ぼうと。いつものことながら、そう思ってその言葉を振った。 「へえ。じゃあ英二はどういう猫を目指してるの?」 今度は英二がぎょっとする。それはそうだ、助けてくれるものだと思っていた僕にてのひらを返されたのだから。でもこれぐらいはしていいはずだ、だって今朝僕は英二のために購買部に走らされたのだから。本当は自分が行くはずだった買い出しを、日直だったとかいう突然の理由で僕に押し付けたのは他ならぬ英二なのだから。 しかも僕には、特権がある。このクラスである以上、ふたりの関係にちゃちゃをいれてもよいという特権がある。 英二の反応を楽しみながら、同時に教室の中央 さあ、今までの態度の理由を教えてもらおうかと。僕は動揺する英二と、そして顔は背けても耳はこちらに向けているであろうさんに向けて、会話を続けた。 「ど、どういう猫って……!」 「ほら、猫にもいろいろあるしね。どういうタイプの猫が目標なの?」 「猫が目標って……! な、なんだよそれ」 「うわあ、それ興味あるなあ。なに? なにかイメージしているものはあるの?」 英二のトーンがいきなり下がる。自然、会話そのものも小声にならざるをえない様子にさんが思わず眉根を寄せる。気になるらしい。その反応があからさますぎて面白く、僕はたじろぐ英二に満面の笑みを向け続けた。 内心「裏切り者!」と叫んでいる英二の心理なんて簡単に見通せたけれど、そんなものに構っている暇はないからかい度100%の勢いで、僕は英二を追いつめる。 この時、僕が求めていたのは。本当に知りたかったのは、この光景を見つめているさんの本心。だから英二にはどんな態度をとってもらってもよかった、「猫じゃねえ!」と逆ギレされても一向に構わなかった。けれど。 「イメージって……ロ、ロシアンブルーとか」 そんな予想外の言葉を返されては、いくら柔軟な僕でもすぐには対応できなかった。 それは僕ですら初耳の言葉。英二は自分が猫っぽいと評されることを知っているとはいえ、それを自慢に思っている節はない。むしろそれだけで自分のテニスを説明されることにはあまり良い印象を抱いていない。 だからこそ僕は逆ギレするとふんだ。そして質問がそこで終わって、そう。 (……さんの反応がもう少し分かりやすくなるかと思った、んだけど) そんな僕の心中なんて無論察するはずもなく、英二はそのまま話を続ける。 「あー、あとアビシニアンとかかな」 「アビシニアン? うわあ、ちょっと意外だなあ。そういう雰囲気の猫が好きなんだ」 「アビシニアンはさ、スマートで格好いいっしょ? ロシアンブルーもさ。そういう、格好いい猫がいいんだよね。俺」 むしろその会話は自慢げに続けられる。僕の動揺なんてお構いなしで、僕の中の定説なんて知ったことではないという顔で、英二は猫の話をする。 どうやら個人的な疑問でしかなかったらしいその質問を終えると、満足げに部長は笑みを浮かべ、「じゃあまた来月お願いします」ともう一度頭を下げて去っていった。 残されたのは、僕と英二。そして、いつのまにかこっちを見なくなっていたさん。 (……なにかおかしい) 僕は腕を組んで新聞部部長が去っていった教室のドアを見つめる。考え込めば考え込むほど、僕の横で英二は「いきなり質問って困るよな」と僕が十数分前まで思っていた言葉を口にし、そして僕の視線を簡単に無視してさんはお昼ご飯を終え、そのまま女子と談笑していた。 なにかおかしい。なにか納得できない。僕は英二とさんを交互に見やりながら、釈然としないものを抱く自分の心の中、頭の中を整理する。 そう、本当であれば。僕はこの空気を楽しむことができる一番の人間だったはずなのに。 「あ、やっべ! 俺数学の教科書忘れてきたんだ。タカさんに借りに行ってくる」 そんな疑問が頭を占拠する。そう思えば思うほど、なぜ今の自分はこの空間にしっくりきていないのかという自問が強くなる。慌てて飛び出していった英二に言葉をかけることもなく、僕はひとり残されてそれを考え続けるものの、どうにも納得のいく答えは出なかった。 これではまるで、自分だけ負けたような気分になる。自分が勝者だと思った空間で浴びせられる敗北の風など、嬉しいはずがない。 (どうしてだろう? どうして英二はあんなに猫の話を自慢げに……) 英二がいない窓際で、僕はひとり首を傾げて考え込む。その時。 「さっきの最後の質問、なんだったの?」 ひょいと、突然お構いなしにさんが僕の視界の中に飛び込んできた。慌てて焦点を合わせれば、その顔には幾分か怒りの色がある。 あれ、という疑問が一気に僕の思考回路を真っ白にする。 見間違い出なければ、そう、それは明らかな不機嫌の色。 「最後って……新聞部の人が戻ってきて聞いた質問?」 「そう。なに?」 それだけを言うと、さんは有無を言わせない沈黙を伴って僕の目の前に座る。そこはつい数秒前まで英二が腰を下ろしていたところで、英二がいなくなったのを見計らってさんが僕の前にやってきたことは明らかだった。 さんは怒っている。怒る理由といえば、英二が他の女子と話したからに他ならない。それは先ほど僕が考えていた疑問とは、まったくもって反対の現象でしかない。 (……なんなんだ、一体。最近分かりにくいよ、このふたり……!) 昼休みはもう終わる。今日は水曜日だから6時間目に体育がある。疲れる。それならばもういっそのこと本人に確認した方が早いんじゃないのか。 僕はますます先の見えなくなってきたこの空間に少し困惑して、逃げを許さないさんの視線を真正面に迎えて結局答えてしまった。 「英二は猫っぽいってよく言われるけれど、モデルにしている猫はいるのかって」 「え?」 「そういう、個人的な質問」 僕としては、この昼休みを楽しむことはおろか身体を休ませることもできなかった敗者の気分での質問。そう、いわば僕には今の空間を楽しめるほど君たちふたりの心理を読み取ることはできなかったよ、ははは。という敗北宣言。の、つもりだった。 けれど、さんは勝者の笑みを浮かべるでもなく僕をけなすでもなく。 「ロシアンブルーとアビシニアン」 そう、あっさりと言ってのけた。 沈黙。本気で沈黙。沈黙というのは本当に無意識にすることができるものだと、自分の表情が唖然としたものに支配されていることに気づいてようやく理解する。 けれど今日は、そんな僕の驚きすら置いてきぼりだった。 「そう答えたでしょう、英二」 「……どうして?」 「あのね、私言ったことがあるんだよね」 「……なにを?」 もはや僕に返す手はない。従順に答えを待てば、さんはにっと笑って。 「猫っぽいっていうのは可愛いっていう意味だけじゃないでしょ? って。それなら猫の中の王様を目指せばいいんじゃないの? ……ってね」 そして最後、彼女にしか許されないのろけの笑みを見せられては、僕に攻撃の機会も意欲もなくなるより他になかった。 ことの次第はこうだ。 ある日英二は、自分は猫系とも犬系ともとることができない、両方に通じる部分があると家族に言われた。別にそれはそれでよかったらしい、英二は動物好きだから犬であれば格好よく、猫であれば凛々しく思える部分があるという意味で捉えたようだ。 ただ世間一般の目からすると、彼は猫系と認識される。 それでもよかった。英二は猫も好きだ。猫の良さをきちんと認識している彼にとって、それは普通に褒め言葉の類に属するものだった。 ところがある日、いつも試合を見にきていた後輩の女の子にこ言われたらしい。 「菊丸先輩のプレイって、猫みたいで可愛いですよね!」 その瞬間、彼には思うところがあったらしい。 猫みたいで可愛いとはなんだ。俺のテニススタイルは可愛いだけなのか? そもそも猫って可愛いだけか? いやまて、ということはつまり俺ってまわりからは「可愛い猫」としか思われていないのか? ……14歳の少年の心は、ひどく傷ついたらしい。 そこで自分のことを一番好きでいるだろう自分の彼女、つまりさんに相談をした。 「なあなあ、俺ってもしかして可愛い猫って思われてる?」 「……」 「……なに、その沈黙」 「……気づいてなかったの?」 そこでまた彼は救いようのないほどに傷ついたらしい。 彼女の前では男前でありたい。なにもおかしいことじゃない、男であれば普通に抱く夢だ。正直僕だってそう思う。僕もそんなことを言われたら、とりあえず笑顔でかわす余裕ならあるけれど、普通のテンションでいられるかと聞かれたら答えはノーだ。 ただし、英二の場合は少し事情が違っていて。 「でも猫って、可愛いだけじゃないでしょう? 英二が一番知ってるじゃない、それは」 「え? あ、うん」 「じゃあ、スマートで格好よくて理知的な猫を目指せば?」 「スマート?」 「ほら、たとえば……」 「……そこで、ロシアンブルーとアビシニアンの名前を出したっていうオチ?」 「さすが不二くん」 満面の笑みを浮かべるさんを前にして、けれど答えが分かったはずなのに僕は心から晴れ晴れとすることができなかった。 むしろ、英二に対するものすごい同情の念ばかりがわいてきて涙が出そうだった。 「質問です」 「はい、なんでしょう」 「さんの好きな猫はなんですか」 僕の親友の彼女は、結構できた子です。きちんと英二の内面を理解してくれている、親友から見ても全然問題のない彼女だと思います。でも。 「もちろん。ロシアンブルーとアビシニアンです」 僕の質問の意図が分かっていて堂々とそう宣言するさんに、僕はもう返す言葉などもっているはずがありませんでした。 「要は英二がなにに納得するか、だと思うんだけどな」 それはつまり、自分の言葉は絶対の力をもっていると自負しているようでもあり。 でも実際、さんが英二にとって欠かせない存在であることを僕は知ってもいたり。 僕は知っている。この人が英二の部活生活を支えていることを。テニスに熱中できるように、テスト前に全力をもって英二の赤点阻止に臨んでいることを(それこそ大石の比ではないぐらい)(思えば大石が数学を教えにくる日は大抵さんが休みの日だ)。だから英二が彼女に全幅の信頼を寄せていることは、同じクラスの僕は当然知っている。 (でも、ここまで飼いならされているとは……) けれどそれは、知っているようで知らないふりをしていた事実、のような気もする。 教室の中ではさん主導、でも本当は英二がさんを動かしている。このふたりの関係の基底を僕は理解しているつもりだったけれど、まだまだ甘かったらしい。 僕は目の前に君臨する英二の主に、今日ばかりは完璧な敗北宣言をしなければならなかった。 そんな中、予鈴が鳴り響いて慌てて英二が戻ってくる。さんの姿に一瞬びっくりしていたけれど、僕とさんが話すことは別に珍しい話ではない。英二が「数学の教科書忘れちゃってさ」と当然のように会話を振った。その瞬間。 さんの手が、あっさりとその教科書を奪い取った。 教室の中はまだ騒がしい。予鈴が鳴ったとはいえ、あと5分は休みも同然の時間なのだ。けれど僕と英二の前では、さんが冷めた笑顔で英二を見つめていた。 その時、僕は悟る。 「あの子、昔は英二のことが好きだったって知ってるの?」 僕の親友の彼女は、結構できた子です。きちんと英二の内面を理解してくれている、親友から見ても全然問題のない彼女だと思います。でも。 「……は? い、いや、知らない」 「あ、そう。ふうん」 「知らないって! 本当!」 「嘘はあと1回までなら許します」 「……すみません」 内面を理解しすぎているからこそ、上手にでることができるのだと。僕は改めて実感する。 ただ第三者の僕だからこそ分かるというものもやっぱりあるわけで。 (……普通に嫉妬していたのか、やっぱり) ただでさえお人よしなのに、自分のことを好きに思っていてくれた女子なんてなおさら無下にすることができない英二と、こんなことで妬くのはみっともないと思いながらも(だから極力顔に出さないようにしていたんだろう)、あまりに英二が親身に接するから思わず今の感情を伝えてしまったさんとを生暖かく見守りながら、僕は自分の席に戻って数学の準備をし始める。 「というかね、もっと自信ありげに言わないと。アビシニアンの話は。そこだけ声小さくなってたでしょ、聞こえなかったもの」 「え、だって、あんまり覚えてない……」 「可愛いだけの猫じゃ嫌だって言ったの、英二じゃない」 「あ、いや俺もう『脱・可愛い』したから。この前のルドルフ戦で」 「……」 「……」 「なんだよ、お前らは! ふたりして同じ顔するなよ!」 「……いや、別に。ルドルフ戦でねえ、へえ……」 「……ねえ、しかも『脱』ってねえ。ということはこれからは自分で加減ができるって意味?」 「ああ、そうなのかもね。じゃあこれからは後輩の女の子の前では可愛く、さんの前では男前路線で行くんじゃない?」 「うわあ……私、多分見破っちゃうよ? 全部。裏になにかがあるって探りいれちゃうかも」 「多分それすらも嬉しいということで」 「あ、なるほど」 「うるさいよ、お前ら!」 会話に付き合いながら、僕はいつ乾にメールを打とうかと考える。 結局、「俺は可愛いだけじゃないから」とさんの前で断言したいのに、飼いならされていることに気づいていない英二と。飼いならしているつもりでも、惚れた弱みに勝てることができないでいるさんとの関係というわけで。 相変わらずお互い様か、と。結局いつもどおりの答えを僕は手に入れて、今日の昼休みを終えることにした。 (まあいいや、今メールしよう) 小さな痴話喧嘩をし始めるふたりをよそに、僕は目の前で平然とメールを打つ。 そして口では結局さんに言い負かされる英二がしょんぼりとしながら席に戻っていった時、乾から返ってきた返事は。 『結局いちゃつきたいだけなんだろう?』 なんて的を射た答えなんだと、感心するところしきりでした。 |
| 05/03/15 |