君が大切

すごい秘密知ってしまったんやけど、
これはどうすればええんやろ?   21:15

21:18 誰の?

光くんの             21:18

      シャレにならへんのか?−−
21:21  めっちゃ慌ててるやん、小春

中学ん時みたいにみんなに一斉送信
したい!のを止めてる。これで意味
を察してちょうだい蔵リン
ああせやけどアタシの口はもう限界
ユウくんもケンヤくんも銀さんも千
歳くんもケン坊もいるこの居酒屋で
小春の口はもう限界よー!     21:22




「アホ、小春! ほんまアホやろ! なに俺抜きで飲み会しとんねん! 普通俺も呼ぶやろそこまで揃っとったら!」
『せやかて蔵リン、今日打ち合わせのあと彼女とデートや言うてたやないの。あの会社と話したあとに会える元気ってこれなにかしら言うて私は首をひねったわけやけど、大人げない質問はやめとこう思てなにも聞かなかったのよ。小春の大人な親切心に対してなんて口の利き方よ、邪魔しなかった言うてほしいわ』
「こんな思わせぶりなん送っといてよう言うわ、ちゅうかほんまは言えへんとちゃうんか、ケンヤたちに。それぐらい重いんか?」
『……そうねえ、重いというか、なんというか』
「なんやねん」
『光くんがいきなり大人の階段のぼりすぎちゃってどうしようってこういうことよ!』

 小春が絶叫してんで、なんやねん。そんな小さな声が聞こえたことには気づかないことにする。
 つんざくような声に一度携帯電話を耳から離したあと、白石は何度かの瞬きを経て眉間に皺を寄せた。なにごとだ、とあまりに想像のつかない小春の言葉に首を傾げる。
 記憶の糸をたどる。愛想はないが愛嬌はある、そんなひとつ年下の部活の後輩が、大学を卒業したあと高校教師になったと聞いたのは数年前。あの石田ですら珍妙な表情を浮かべ、沈黙せざるをえなかったあの衝撃から早数年。
 ぼんやりと、白石はネクタイの結び目を緩めながら考える。電話の向こうでは小春の沈黙の中で忍足たちの騒ぐ声が聞こえたが、あえて反応せず考える。
 今日、予定が思っていたよりも早く終わってしまったのはこのためなのか。持て余していた夜の時間の中に突如わいてでてきた話題に、白石はふと思う。部活を引退し学校を卒業した今でも結局、彼の存在は自分とは切っても切れない関係なのだろうか。
 本人は嫌がるに違いないが、と苦笑してネクタイをベッドへと放り投げる。そろそろ電話で小春を独占しすぎだと一氏が怒りだしかねない、自分もその場に向かうべきだろうと白石が出かける準備をしかけた、その時。

『そりゃね、そりゃあね。奥様は女子高生なんてそんな甘い響きの言葉はないけどね! 羨ましいったらないけどね!』

 しみじみと呟く小春の言葉に一度動きを止め、そして悲鳴に近い大声をあげるのは白石の番になっていた。



「ちょっと、なあ。聞いて。また財前に嫌味書かれたんやけど」
「嫌味? なんなん、それ」
「『お前の字、読みにくい』って。ちゅうかいつもなんやけど。財前、私のこと目の敵とでも思うてるんとちゃうかっちゅうぐらいむかつくんやけど……!」
「……まあ、お世辞にも綺麗な字とは言えへんわな、あんたの字は」
「え? それやったらみんなはなんて書かれてんの、このコメントのとこ」
「よくできました、とか」
「次も頑張れ、とか」
「なにそれ。うっわ、もうめっちゃ嫌味でしかないし、こんなん! は」
「え?」
「あんたはなんて書かれてんの、英語のノート」
「……ええと、私、ないけど」
「ない? なんも書いてへんってこと? もう、なんなん財前! 私だけ嫌味書いて!」
「それ、茉莉子。もしかしたら財前に好かれてんとちゃうの」
「うわ、ありえる。好意の裏返しなんとちゃうの、好きやから気になるとか……あはは!」
「いやや、いらんわあんな無愛想の好意なんか!」

 クラスメイトの悲痛を装った怒りの声は、その後延々と続く。火に油を注いだのは財前という教師の本意はどこかという話題に触れた瞬間だったことは言うまでもない。お世辞にも字を丁寧に書いているとは言えない親友の茉莉子は、おぞましいものでも見たかのように身をよじらせながら反論を口にしてやまなかった。
 それを聞かなければならない立場の、なんと因果なことか。
 は今日返却された英語のノートを見つめ、押し黙る。ひとりが黙ったところで場の空気はとどまることを知らない、財前という愛想がなく言葉尻が冷たく、愛嬌も当然のごとくない教師に対する罵詈雑言で教室は満たされている。
 だから、その時。黙ったひとりがなにを考えているかなど、誰も気にとめることがない。

(……私だけ、なんも書いてへんかったんや)

 胸の内にどのような想いを秘めているのかも、気にされることがない。
 財前と刻まれた印鑑だけがノートの片隅に押されている。褒め言葉も辛口な感想もどちらもない。字はある程度丁寧に書いてしまった。問題は実力にふさわしい量で間違えた。可もなく、不可もなく。まさに特徴のない自分のノートに、ため息は自然と生まれてしまう。

「ええやん、。あいつの嫌味なコメント書いてあらへんのに、ため息なんかつく必要ないやろ」
「うん、そうやね。なんも書いてへんからね」

 その返事に安堵の意味など欠片もない。はノートをとじ、頬杖をついて教室の外を見つめる。話はまだ終わりそうにない。そもそも授業後にわざわざ購買部に行って飲み物と菓子を買ってしまっている段階で、早い帰宅など望むべくもない。

「……せや、私思い出した。図書室行かなあかんかった。先行っててもええ?」

 はふとあることを思い出し、片付けをしながら尋ねる。
 ええよ、財前の愚痴はうちらが聞いといたる。小声でそっと返してくれたもうひとりの親友に笑って手を振り、は夕暮れを待つばかりの静かな廊下を歩いて図書室へと向かう。先日中間テストが終わったばかりの図書室はさすがに人気も少なく、受付をしているはずの図書委員の姿もない。
 その代わりに、別の人の姿があった。
 そっと覗いたカウンターの奥、書庫にその姿を見つけては微笑む。

「先生」
「……あ? ああ、お前か」

 ネクタイを緩め、シャツを肘までまくった姿で本を抱えていた教師は、の声に顔を向ける。表情はひとつも変わらなかったが、その足はカウンターへと身体を運んでくれた。
 はそんな彼の姿に、カウンターに体重を預ける姿勢で上目遣いの視線を送る。

「珍しい。先生が部活よりも委員会を優先するなんて」
「怒られたんだよ、教頭先生に。テニス部ばっかり顔出しすぎやって。大会に勝て勝て言うといて、ほんま調子ええ」
「……それで、今日は片付け? ひとりで?」
「しゃあないわ。今日当番のやつ、今部活忙しいやつやからな。こっちの都合で委員会の時間延ばさせるわけにはいかんやろ」

 本をカウンターに置き、教師は受付係の席にため息とともに腰を下ろす。黒髪が少しだけ乱れていたのは、書庫の中で立ったり屈んだりを繰り返したせいか。利き手の左手を避け、右手で頬杖をつくのは学生時代からの癖だと聞いている。そしてそれは、心情に関係なく出てしまう気が緩んだ時の癖だとも。

「……なんやねん」

 笑うのを堪えているに、ちらりと視線が向けられる。まるで拗ねた子どものような表情は、クラスメイトの男子たちが忌避して浮かべることのない類だ。だがある程度大人になったら見栄を張って表面を取り繕うのは馬鹿らしいのだと、無表情のまま呟いた時を、はその時を覚えている。
 それは、初めてこの手がその左手に触れることを許された時。

「先生」

 カウンター越しに、誰もいない図書室ではそっと手を伸ばす。
 ちらりともう一度、こちらを向いた教師の表情は変わらない。頬杖も崩れない。無表情にも近く、愛想がないという言葉はまるで彼のためにあるのではないかと思えるほどに一見冷たい。
 だがは手を引っ込めることはしない。
 数秒と待たず、この手は受け止めてもらえると知っているから、引っ込めることはしない。

「英語のノート、みんなにコメント書いてるん?」
「……コメント? なんや、それ。ああ、あいつか。九条のノートか」
「字読めへんって書いた」
「書いたで。だって読めへん」
「みんな、茉莉子のノートだけそんなこと書いてあるから先生が茉莉子のこと気に入ってるんちゃうかって笑って話しとるよ」
「いや、読めへんねんほんまに。下手したら男子よりきついぞ、あれ。それをなんやねん勝手に……お前らの妄想っちゅうもんはほんま恐ろしいわ。聞きたくもない」
「私のノートは、やっぱりだめやった? もうちょっと正解増やさへんとあかんよね?」

 温もりが手のひらから、腕、そして身体全体へ。たったひとつの場所しか触れていないというのにこの力はなんだろう。いつも疑問に思うのだが、その答えを探したり尋ねようとする前にいつもなにも考えたくなくなってしまう。自分だけに訪れるこの温もりに浸っていることだけにすべてを捧げたいといつも思ってしまう。
 カウンターの隠れた向こう、誰かが入ってきてもすぐには見つからない場所でだけ触れている関係で、教師はしばらく目を窓の向こうに向ける。書いてほしかったんか、とぽつりと尋ねられ、否定することができずが押し黙るとやがて小さく笑った。

「こうして直接言えるんやったら、書く必要ないやん」

 視界に緩められたネクタイが映った時、頭を優しく撫でられた。
 耳に残る優しい言葉は、肺腑を貫く熱さに変わる。は頬を赤らめて、立ち上がった教師を見上げる。いつしか手は離れてしまっていたが、その顔が正面からこちらを見つめてくれている事実の前では気にすることでもない。

「……先生、また私を子ども扱いして」
「子どもやんか。まだ17のくせになに言うてんねん」
「そうやけど」
「なんやねん、言うこと素直に聞くんやったら今日俺ん家来てもええでって言うつもりやったのに。そうか、来たくないんやな。そうかそうか、そら残念」

 そもそも、彼の前では考えることはすべて後手になってしまうのだ。改めて思う。
 その顔に勝者の笑みが浮かんでいたことに気づきながら、自分を突き放す言葉を向けられた瞬間には手を伸ばしてしまう。太くはないがしっかりと鍛えられた左腕を両手で掴んで彼の視界から自分の姿が消えないように必死に留めようとすれば、やがて笑い声が零れた。
 愛想がないのはこのためなのだと、はいつも思う。愛想がないと思わせるからこそ、この瞬間。気を緩めた瞬間に向けてもらえる笑みがどれほど痺れるような心地よさを与えるのか、自分以外の誰も知らなくていいと思う。

「俺このあとテニス部にも顔出さなあかんから、7時すぎるけど。……どうする?」

 その笑みも、勝ち誇って見えるのは自分だけでいいと思う。虜になっていいのは自分だけ。黒髪に女の自分が嫉妬してしまいそうな艶が宿っていることを知っているのも、自分だけでいいと思う。触れていいのは、自分だけ。そう思わせてもらうだけで胸が熱くなる。
 は真っ直ぐに教師を見上げ、ゆっくりと一度うなずいた。

「お母さんに言うとく。9時までなら塾の自習室って言えるし。先に先生の家におってもいい?」
「ええよ。それやったら勉強できるな。明らかにマルの数が足りひんかったからなあ、あのテストは」
「……やっぱり怒ってるやん!」
「叱咤激励やんか、反抗するなら鍵なしやで」
「あっ、だめ! 返して!」

 渡されかけた自宅の鍵を慌てて取り返す。怒るにしても縋るにしても、想いを寄せるにしても見上げなければならない財前は、珍しく声を上げて笑ったあと、もう一度頭を優しく撫でてくれた。
 英語のノートにコメントがしたためてもらえないのは、この表情にすべてをこめてもらっているから当たり前なのだと。そう思えるのは、自分だけでいいと強く思った。
 財前という名前に、特別な感情を抱いていいと認めてもらうのは自分だけであってほしいと、財前を見つめては強く願った。



 この大胆さ、行動力、もとい、お節介を焼く力はそもそも個々人の才能として備わっていたものではないと断言できる。自分たちをこのように甲斐甲斐しい性格にさせたのは絶対にあの男の力だと、同級生の誰もが少なからず思っているはずだった。
 それを許すだけの空気が、あの学校にはあった。母校四天宝寺中学が誇りとする笑いの空気の中で、最初こそ愛想なしで煙たがれていた財前光という男はいつしか愛嬌ありという性格を付け加えられ、そして成人した今になってもたった1歳という年の違いだけを理由に自分たちにからかわれ続けている。かつてのいずこかの王族なみにプライバシーというものをはぎとられた自身の立場に、財前は興味なさそうにしていた。代わりになにかしらの報復を誰かが受けたのだが。それが後輩という立場の彼なりの対応の仕方だったのだろう。
 だが、それは必要な関係だった。白石は今日という日ばかりは強くそう思う。

「ねえ蔵リン、正直な話、どっち派?」
「なにが」
「止める派? それとも、応援する派?」

 淡々とした声のわりには、随分と入り込んだ質問だ。小春らしい直球の問いかけに、白石は苦笑を浮かべる。

「普通は止める派やろ。あかんて、そんなん。あいつまだ子どもやんか」
「26歳で社会人4年目やけどね」
「俺らよりかは子どもや。そんで恋愛経験自体お世辞にもうまくこなしてきたなんて言えんやつやないか、それがいきなりこの展開とか。無謀やで、絶対」
「せやけど……もし、契約の話まで進んでしもうたら」

 ちらり、と小春が研ぎすました視線を向ける。
 随分と生々しい言葉を使うものだ、と白石はため息をつく。いや、それが小春だと改めて思わされるのだが。

(まさか、教え子と付き合うとかそんなオチは想像してへんかったからなあ)

 からん、と空いたグラスの中で氷が揺れる。財前が一人暮らしをしているマンション近くのカフェだった。スーツ姿の男がふたり、なにやら神妙な面持ちでグラスを傾ける……しかしそれはアルコールではなくアイスコーヒーという様は人の目には好奇に映るらしく、店員が水をつぎたしにくる回数がいつもよりも多い気がする。だが直接本人と言葉をかわすことが一番の近道であることを知っている以上、こうして彼の帰宅を待つしかなかった。

「あの制服、光くんの学校の子ね。あんな感じの子なのかしら、それとももっと明るい感じなのかしら」

 小春の視線の先には、控えめという言葉が似合う女子高生が静かに歩道を歩いている姿があった。

「なんや生々しいな、やっぱり。実際彼女の姿とかは見たくないかもしれへん」
「そうねえ。ただでさえドキッとするもんねえ、女子高生の彼女やなんて」

 真っすぐの黒髪のその女子の雰囲気は白石は嫌いではない。財前もそのような好みをしていたな、とふと思い出しながら見つめていると、その女子高生はあるマンションに入っていった。
 白石は頬杖をついた姿勢で、目を丸くする。小春が首だけをそちらの方向に向けたまま固まる。
 まさか、とどちらともなく目をあわせかけた、その時。

「……小春、自分財前の部屋の場所覚えてるか」
「3階の一番右の、301」
 
 マンションの一室に明かりが灯る。それは紛れもなく、3階の一番右の部屋だった。
 白石は重苦しいため息を零す。現場に出くわしてしまったという居たたまれなさに、幾度か首も横に振ってみる。まさか本当に付き合ってはいないだろう、という思いを実は抱いていたのだとは、これで口に出せなくなってしまった。
 いや、まだだ。白石はふと思いついて顔をあげる。

「……財前に電話したろ。で、今日の夜飲まへんか言うて誘ったろ」
「蔵リン、それは」
「いや、ほんま、ちょっとこれはな。小春が昨日意味分からん内容送ってきた理由が俺にもようやく分かってきた」

 小春が戸惑うのをよそに、白石は携帯電話を取り出して財前に電話をかける。午後7時前。さすがに顧問をしているというテニス部の活動も一区切りついているころだろう、強豪と謳われた四天宝寺で生活をともにしてきた感覚がこんなところで役に立つ。
 本当は、誰と付き合っていてもいいのだ。響くコール音を耳にしながら白石は思う。
 あの滅多に他人に興味を抱かない財前が、テニス部以外の人間に心許す瞬間があるというのならば、それは歓迎すべきことだと分かっているのだ(テニス部云々のくだりは誰にも否定させるつもりはない。当然財前本人にも。それはある意味白石のプライドに近い)。
 だが、相手が未成年となると話は別である。忍足が付き合えば笑いのネタとなる話も、財前が主人公となるとこの不安感は比ではない。どうにかして確実に不幸せにならない道をたどるようにしてもらいたい、その気持ちは実は、どうにかして自分を落ち着かせてもらいたい。そのような意味があることを、本当は白石だけでなく小春も気づいている。だから小春は、今電話をかけるのを止めない。昨日白石にだけ、メッセージを送った。

「まるで彼女の父親みたいね、蔵リン」

 小春が神妙な面持ちで呟いたその時、コール音はやんだ。

「あ、財前か。元気しとるか。悪いな、急に電話して」
『ああ、別にええですけど。なんかありましたか』

 財前の声とともに騒音が響く。どこか屋外にいるのだろうか。ふとカフェの窓越しに外を見つめれば、外はとっぷりと闇につかって藍色が果てしなく空を覆い尽くしている。

「今、外か。ちょうどええわ、あんな、今小春と会うてるんやけどな」
『はあ。それはまた、ケンヤ先輩が怒りそうな』
「なんでケンヤやねん。……いや、ケンヤはええねんって。財前、お前な、暇やったらこっち来へんか? 久しぶりに飯でもどうや」

 闇の中、財前の部屋には既に明かりが灯っている。白石が見つめている間、財前は電話の向こうで沈黙していた。
 さあ、どうでる。小春の視線も問いかけている。からん、ともう一度グラスを揺らした、それが合図になった。

『今日はちょっと無理ですわ。先約あるんで』
「なんや、誰かと会うんか」
『まあ、そんなところ』
「彼女?」

 小春が一瞬息を飲む。小春の予想を上回る直球の質問に、さすがの財前も電話の向こうで違和感の伴う沈黙を流す。

『俺もそういう年なんで』

 はい、とか。そうですとかどうでもええやないですかとか、中学時代からの彼の口癖を思い起こせば、返しうる言葉は数多くあったはずだった。白石の頭にもいくつか候補は浮かんでいた。
 だが、そのような返答の仕方をされる予定はまるでなかった。今度は白石が押し黙る。
 白石の沈黙に違和感でも覚えたのだろうか、小春が肩を揺らす。ああ、と内容を伝えようとした時、小春の目が窓の向こうを見つめていることに白石はようやく気がつく。
 ふと顔をあげ、外の通りを見つめる。冬の装いを徐々にし始めた秋の夜の道に車のヘッドライトが眩しい。その光と、カフェから零れる明かりを受けた財前が、今まさに真横を通り過ぎようとしていた。

『そろそろええですか? 今日待たせてるんで、はよ帰らんと俺怒られるんですわ』

 視線が高い。なぞるようにしてその先を追えば、財前のマンションがある。
 口元に笑みがある。記憶を辿りながら見つめれば、愛嬌を感じさせるひねくれた中学生の時の財前の姿が思い浮かぶ。

「……お前が怒られるんか、それは珍しい」

 ああ、と白石は心のどこかで納得しながら、そして窓越しに財前を見つめながら尋ねる。カフェの前にある交差点で、財前は赤信号を見上げながら立ち止まっていた。向けられた背中は心なしか大きく見える。小春が黙って見つめている。

『怒られますよ、俺結構勝手するし。ちゅうか俺あんま気持ち読み取ることとかできひんし。ああ、そういえば今日も怒られましたわ』
「なんて」
『他の子にしとることを自分にせえへんのは、自分があかんからかって。あ、これ心配かけたっちゅう方か。……まあ、そんな感じで。まだかみ合わへんところたくさんありすぎて、怒られてる気分なんです』

 苦笑が零れる。電話越しでも分かるその柔らかさに、白石は息を飲む。
 幼いとばかり思っていた財前の横顔に、愛想がないとばかり思っていた後輩の横顔に、優しさという言葉が似合う笑みが浮かんでいる。

「……結婚する気、あるんか? その子と」

 自分はなにを聞いているのだろう。ふと出てきた質問に白石は慌てて訂正を加えようとしたが、

『するつもり、なんて言うことはできませんけど、考えてへんのは失礼やとは思いますよ。そうやなかったら付き合わへんし、そもそも』

 いつかは知りませんけど、と最後に昔ながらの雰囲気を漂わせながら、しかししっかりと断言した財前に、白石はもう返す言葉を持たなかった。
 邪魔したな、と電話を切る。信号が青に変わる。財前は少し足早に自宅へと向かう。部屋には、既に明かりがついて彼の帰宅を待っている人がいる。

「……判定の結果は?」

 分かっているくせに、と苦笑したくなる小春の笑みがある。白石は結局苦笑を浮かべ、首を横に振った。

「女子高生の奥様持つことになっても、止める気にならへんわ」

 そう、と小春は笑う。同じ気持ちだったのか、というよりもむしろ同じ意見を持つ人間を探したくて今日この場所を待っていたのだと言っているような表情だった。
 安心以上のなにかをもらってしまったのか、少し身体が重い。自分の恋愛を振り返ってしまうような重みが心を、この場を包んでいる。まさか財前に諭される日が来るとは思ってもみなかった、そう呟けば小春はただ笑った。
 だが、しかし。四天宝寺中学というあの学校で出会った仲間同士である。財前もその一員のはずである。

「さて、小春。俺これ持ってきたんやけどな、使ってもええかな」
「あらまあ蔵リン、奇遇ねえ。アタシもよ。ほら」
「さすがやな、俺ら。こんなに後輩思いな先輩もおらんで」

 支払いを済ませ、白石と小春は颯爽と長居した店を出る。
 当然その足は財前のマンションへと向かい、

「せやからそういう登場の仕方はそろそろ卒業してくれ言うてるやないですか!」

 昔ながらの反抗の仕方をする財前を笑顔でかわし、部屋の中に押し入り、

「あ、どうも。あいつの部活の先輩やった白石いいます」
「金色です、どうもどうも」

 逃げる隙もなかったためになにをどうしていいのか分からない制服姿のが唖然とするのも構わず、自己紹介を勝手に進めたあと、

「せっかくあの財前の彼女になってくれたいうことで、これは絶対見たいんちゃうかなと」
「プレゼントよ、どうかしら」

 にふたつ、分厚い冊子を手渡した。
 の存在をごまかす余裕もなかった財前は、ただ訝しげに白石たちの後ろから覗き込んで、やがて慌てて手を伸ばした。だが当然小春が華麗な身のこなしでその腕を封じる。

「ちょ、それ反則やし……! あかん、!」
「なに言うてんの、光くん。せっかく付き合うてくれた子に光くんの過去を知ってもらうええチャンスやないの!」
「はい、ちゅうわけで。中学の財前と高校の財前、お好きな方からどうぞ。中学財前は生意気ざかり、高校財前はひねくれざかり、どっちもおいしいで」

 ふたつの卒業アルバムを差し出されたは、財前が必死に止める声に困惑しつつも白石の誘いに負けてぱらりと開いてしまう。
 そして学生服姿の財前を見つけて顔を赤らめる様は、昔自分たちが経験した懐かしい思い出とどこか重なってしまう。

「素直に羨ましいなあ、財前。ええ子やんこの子」
「ほんまそろそろ気づいてくれませんか、部長がそういうこと言うとシャレにならへん!」

 懐かしいその生意気な口調に、白石は堪えきれず笑ってしまう。
 心配も安心も楽しみも与えるこの後輩はいつになっても切っても切れない関係だと、小春の顔にもそのように書いてあったので白石は当分はこの恋を見守ることが使命なのだと自分に言い聞かせる。それはとても心落ち着くもので、罪作りな男だと白石はしみじみ思うのだった。



21/01/31再録