拝啓 身分違いの恋

「冗談、て突っぱねるにしては真剣すぎるというか、まさかがそういうこと言うとは俺は想像もできひんくて、正直答えに困るんやけど」

 慣れ切った答え方だと思った。夕暮れの化学準備室に沈黙が響く。
 各学年の化学担当の教師しか在籍しないそのこじんまりとした部屋は、他の教師が校内の重鎮のような存在であることも手伝って、ほぼ彼ひとりが独占する部屋と言ってもよかった。それはこの学校に通う生徒であれば誰でも知っている。そして、彼に教師に対する感情以上のものを抱く女子であれば、誰もが知って、訪れる理由にしている。
 頬杖をついて、窓の向こうを見つめる。ひとつひとつの線が細い人だとは改めて思った。決して弱々しいという意味ではない、流麗な繊細さで溢れている。本当はその左手が学生時代にずっとテニスラケットを握り続け、引き締まった体躯をしていてることは周知の事実で、スーツ越しには細く見えてもか弱さなど微塵も感じたことがない。だから本当であれば、繊細という言葉は相応しくない。これも、知っている。
 だが、夕陽に染められるその表情は、やはり何度見ても繊細だった。は手を強く握り締める。

「……私も、なんで先生に言うつもりになったんかよう分からんのやけど」
「分からんのかい」
「だって絶対ふられるやないですか。先生今までどれだけの子に告白された? 傷つくだけやったらほんまは口にせん方がええんとちゃうかなって、そんなことむちゃくちゃ思ったし」
「思ったんかい」
「……せやけど、どうしてか」

 言葉につまったを、ようやくその繊細な瞳が見つめる。
 細められてはいたが、笑ってはいない。ただし冷たさではなく真剣みを帯びた眼差しであることが、に次の言葉を口にさせる。

「きちんと気持ち伝えへんかったら、余計苦しいだけなんとちゃうかって。勝手やけど他のみんなが先生に話しかけとるの見て、もう勝手にイライラするんは嫌で。ふられたらいっそ、イライラするんだけは終われるんちゃうかなって」

 半分は本音だったが、半分は建て前だった。いや、それすらこの部屋に来る口実だった。好き好んで好きな人に拒まれたい人間などいるはずがないだろう、心のどこかで頭のどこかで誰かは笑っている。
 納得できそうな言葉を並べただけで、そんなことを理由にしてまでもふたりきりの部屋でふたりきりで言葉を交わし、たったひとりでその視線を独占したいという勝手きわまりない恋愛感情を自分で制御できなくなった、それだけだった。
 白石は、静かにを見つめている。
 学校の中で一番若手の化学教師だった。その容貌と芯のしっかりした優しさと厳しさを持ち合わせた彼は、赴任からそう長い時間を経ずとも生徒の人気を勝ち得ていた。恋愛感情を抱く女子が少ないはずがない。はその中でも、ただ化学を教えてもらうクラスの女子のひとりという立場でしかなかった。白石がの名前を覚えているだけで奇跡、そのような状態だった。
 身分をわきまえない恋。立場とつりあわない想い。抱き続けて、それは半年以上。

「……それで、今日。先生に言いにきました。好きですって」

 最初の第一声こそなにかを吐き出すような苦しさがあった言葉も、一度枷が外れてしまうと勝手に量産される。繰り返し恋愛感情を口にするに、白石は頬杖の姿勢のままもう一度窓の向こうを見た。
 先日、3年の女子が白石に告白をしたらしい噂は流れていた。
 当然のごとく断られたという結果に誰もが納得する空気も、流れていた。
 それでは自分はどうなるのだろう、考えた。我慢し続けるには気持ちは強すぎた。わがまますぎた。諦めるには気持ちは大きすぎた。勝手すぎた。どちらにも行けない袋小路で、が選んだ方法が今日この時間だった。
 言ってしまった、とぼんやりと白石を見つめる。もう後にはひけない。沈黙が長い。

(……ふられる言葉でもあててしまおうか)

 押し黙る白石に奇妙な苛立ちが募り、は緊張を投げ出した。君の名前を知らない、はありえない。と呼ばれた。生徒に興味はない、そんなありきたりすぎる返事はつまらないので突き返す。好みじゃない。これは痛い、しまったもう少し化粧なり髪型なり誰かに教えてもらえばよかった、いや白石の好みとはそもそも一体どのような雰囲気なのか、と。
 ぐるぐるどころではない、ぐちゃぐちゃと混ざり合うふられ方にそろそろ頭が疲労を訴えてくるのではないか、それはそんな頃合だっただろうか。

「とりあえず、断るわ」

 ぽつりと、白石は呟いた。
 ふられた、と瞬時に理解できる余裕はあった。ただしの眉間に皺が寄る。

(とりあえず?)

 不可解な表情を浮かべるに、白石は教室の中と同じ、他の女子に向けるものと同じ笑みを浮かべる。

「テストしよか。、気づいてへんみたいやから先に釘さしとくで。自分、今むっちゃ危ない橋渡ってるからな。自分にとっても俺にとっても」
「……え?」
「そらそうやろ。滅多に話すことのない俺と距離を埋めるよりも先に告白してきてどこに勝算があるんや。あとは世の中の事情。あのな、26の俺が17の自分とこういう話をするんは本人同士がよくてもいろいろと問題があんねん」

 独り占めしたいと思った声が、淡々と言葉を紡ぐ。だがそれが完全に否定を意味する言葉を繋いでこないので、は目が離せない。
 理解ができない、と顔だけではなく全身で訴えてしまったのだろうか。やがて白石は珍しく声を上げて笑い、顔だけではなく身体の正面もに向けて、五指を緩く組んでそっと呟いた。

「せやからテスト。悪いな、俺軽い気持ちで教え子と他の関係持ちたくないねん」
「……はあ」

 返事に困る相手をさして気にする様子もなく、白石は机の横にあった紙切れを一枚取り出す。
 夕暮れに染まる化学準備室で、は一度目を細めてその紙を見つめたあと、見覚えのあるその内容に慌てて手を伸ばした。が、届かない。

「慌てるところがあかんわ。やましい気持ちでいっぱいですて言うてるようなもんやんか」
「や、先生それ返して……!」
「返すってなに言うてんねん、。教師の俺がお前の答案持つんは当たり前やろ」

 の手が宙をかいた。白石の手にあった紙はひらりと高く持ち上げられ、夕陽に自慢げに照らされる。
 ただし中身は、にとってはまるで自慢できない化学の中間テストの結果だった。
 慌てて手だけを伸ばしたのも間違いだった。目的のものを掴み損ねた手は、行く先をなくして身体ごと引っ張るように前に崩れそうになる。そしてあっさりと、今まで見ているだけだった白石の腕に触れた。いや、支えられた。

「無謀すぎるで、どんだけ後先省みずやねん」

 スーツ越しにじわりと伝わる温もりに、は慌てて離れる。望んだものがすぐそばに、いや直に触れられる場所にあったというのに離れたに、白石は一度目を丸くしたあと笑い声をあげた。

、見た目とずいぶんちゃうなあ。ほんまおもろいわ」
「お、おもろいとかそういうのとは……!」
「なに。別にええの? ここで『無理。嫌だ。諦めろ』とか言うても」

 それは嫌だ、と言う前に思わず涙が溢れそうになる。予想はしていても、白石本人の口から出るその言葉は恐ろしいほどに心を抉った。がそんな直な反応を見せてしまうと、また笑い声が飛ぶ。

「ええで、のった。無謀な賭けに付き合うたるわ」
「……え?」
「テストや。毎週の単元テスト、分かるな?」

 その勝ち誇った笑みをなんとかしてほしい。悔しいのではなく目を離せなくなる。そんな情けない本音を飲み込んで、はうなずく。毎週火曜の化学の授業で行われる1週間分の単元テストは、にとって日々の苦痛のひとつだった。意味の分からないアルファベットや数字が続く化学の勉強そのものがうまく確立していない以上、それは負担以外のなにものでもない。そんなことは点数を管理している白石が一番知っているはずだ。
 その笑みは先週のテストが10点満点の4点だったことを知っているからか。問いかけられる内容でないことに言葉を繋げられないに、白石は優しく微笑んだ。

「1ヶ月連続で満点。これがテスト」
「……ええ! 満点とか! 無理、無理! ていうかなんのテスト、それ!」

 は慌てて首も手も横に振る。だが、

「あ、そう。1ヶ月頑張ったら褒美でもやろうかと思たのに。ああそう、いらへんのか」
「……ほ、褒美って?」
「さっきのに対する返事やろ。きちんと用意したるって言うてんねん。今の俺は、お前の化学の先生。責任放棄して違うこと優先するなんて、そんな俺は嫌やろ?」

 端整なその顔立ちが作り出す笑みは、色々な意味で毒だ。はつくづくそう思う。自分が恋い慕う相手であるからなのか、それともそのような笑みを浮かべるから恋い慕う身分になってしまったのか、もはや始まりは分からない。どちらでもいい。
 ただ手のひらで操られているような感覚に陥るその笑みにすら、自分ひとりに向けられているこの瞬間に身体も心も嬉しさが持つ熱にやられてしまっていたこと。それだけがすべてで、だからはうなずく以外の道が分からなかった。



「これ今度のテストなー」

 意味が分からなくても、白石の言葉が響けばノートに必死で写した。テスト、と赤文字で書き加えた。教科書の同じ文章にマーカーで線をひいた。

「これ計算できるようにならへんと今度のテスト知らへんでー」

 基本計算式を目立たせる癖がついた。資料集で使える計算式に目を通す癖もついた。

「これ用語全部穴埋めなー」

 別のノートに用語と意味を書き写して、覚えるようになった。
 あれ、とふと我に返ったのは1週目のテスト。10個の解答欄の空白がまるで怖くないと思ってしまった、その瞬間。は顔をあげ、教卓の前で自らも問題を解いている白石を見つめる。さらりと髪の毛が窓から入り込む風に揺られ、彼の視界にが映ったらしい。一瞬だけ交差した視線は、だがあの時のような笑みは向けてはくれなかった。
 テストは、10点だった。
 自分で採点をしたあと、は目を丸くして白石を見つめる。白石は気づいてはくれなかった。他の生徒の声にだけ反応して、決しての様子を確認しようとはしなかった。

(……1週目、クリアできたんやけど。せやけどこんな約束、なんの意味があるかよう分からんし。ちゅうかもしかしたら改めてふられるだけとちゃうの、勉強させるんは教師の使命やー言うて。うわ、ありえる。ありえるわ、白石先生やったら。生徒思いやろ、とか言うてあっさりとなかったことに……なるんかなあ)

 プリントで口元を隠してしまったのは、呟きが言葉にならないようにするためだったのかもしれない。じっと白石を見つめているとますますそのように思えてきたのは、言葉を飲み込んで身体の中に蓄えてしまったからかもしれない。はわずかに首を傾げ、今の自分の道が一体どのようになっているか考える。
 けれど、結局それも長く続かない。それは白石に恋をしてしまった瞬間から決まっていた。身分違いの立場に選択肢はそもそも存在しないのだ。
 見つめていれば胸は高鳴る。あの腕にもう一度触れたいと思ってしまう。与えられるものに振り回されるしか、道は残っていないのだ。

『できました。』

 だから、たった一言。3年2組、その名前の横に一言だけコメントを書き記す。
 回収して点数を確認する白石に変化はなかった。一瞬だけ手が止まったように見えた気がしたが、目は決してを映そうとはしなかった。
 2週目。勉強の仕方のコツが分かってきたのか、10点。

『できました!!!』

 回収した白石が、少し笑ったように見えた瞬間があった。
 3週目、10点。進度がゆっくりだったことが幸いした。

『できました!!!!!』

 回収して、白石は点数を確認しなかった。ただし問題を解いている時に一度、目が合った気がした。
 どうなるのだろう、と初めては疑問に思った。4週目。白石が問題を配っている様子を見つめながら、は口元で五指を組んで、まるで祈るような姿勢で考えていた。
 最終週だった。白石が提示したテスト期間の終了を意味する4つめのテストを受け取る。
 そして、目を見張った。

「うわっ、先生! これ抜き打ちやん!」
「アホ、毎週火曜はテスト言うてんるやんか。抜き打ちとか人聞きの悪いこと言うな」
「ちゃうって、こんなんテスト出すとか全然言うてへんかったやんか! ちゅうか10点ちゃうし! 100点満点やんか! 裏切り者ー!」

 笑い声なのか怒声なのかよく分からない声が教室中に響き渡る。他の教師に対してであればもっと全力で抗議するはずのクラスメイトたちも、白石が相手だとどこかおかしげだった。卑怯という言葉に愛嬌の意味が含まれている。
 普段であれば。それは、自分もまざってしかるべき空気だった。親友たちと笑いあいながら、軽口を言い合いながら点数のことなど気にせず解いてしかるべき瞬間だった。
 だが、は白石を見つめることができない。3週間分以外の蓄積がない状況で、見覚えのない問題を見つめる心が穏やかであるはずがない。

『ごめんなさい、できませんでした。』

 4週目、最後のテストに書き記した感想はたったそれだけだった。
 採点をしている途中、これは白石の答えなのかもしれないと思った。テストを乗り越えることができなかったからふられる、そんなことも考えてみた。だが途中でやめた。クラスメイトどころか彼が受け持っている教室の生徒全員を巻き込んでの返答の仕方を考えるなど図々しいにも程がある。そう思った時、この身分違いの恋がいかに無謀だったのかを遠まわしに、もう一度。白石に諭されているような気がした。
 はテストを見つめる。これが最後だ。白石に送る言葉の、最後がごめんなさいだけだなんて少しだけ切ない。
 は小さく、言葉を書き加える。見つからないように裏返し、テストを前の席の生徒に送ったあとで窓の向こうを見つめる。
 空が青く澄み渡って見えるのは、負担が取れたからなのだろうかと思った。
 だから、その時。白石がこちらに視線を寄越していたことなど、気づくはずもない。ぼんやりと書き記した感想に、一瞬顔をしかめそうになったことなど気づくはずもない。
 化学準備室でのその後の運命など、考えるはずもない。

「あ、ー。加島先生見いひんかった? 部活のことで聞きたいことがあるんやけど」

 女子テニス部の部長を務める他のクラスの親友が、昼の休憩時間にのクラスに顔を出したのがすべての始まりだった。の担任は女子テニス部の顧問で、そのように呼びかけられるのは珍しいことではなかった。

「加島先生? 見てへんで、また食堂とちゃうの。先生よう生徒とごはん食べてへん?」
「あ、そっか。食堂行ってくるわ。それやったらこれに任せてもええ?」
「これ? なに」
「これな、男子のやねんか。白石先生に持ってかなあかんもんなんやけど……やったらきちんと渡してくれるかなあて」

 その時ほど、親友という存在が心強くも恨めしいものであると強く感じたことはない。の想いを知っている親友は、こっそりと囁いて化学準備室への道のりを用意したあと、嬉々として去っていってた。
 ふられる言葉をきちんと聞き届けろ、という意味なのかと思った。
 そもそも保証のないテストだった。約束されたのは「返事をする」ということだけだ。満点でなかったら返事すらもらえないという意味ではないのか、と廊下を歩いている時に気づくが後戻りはできない。ただ白石の言葉ひとつにがむしゃらになれた、この1ヶ月間の悔いは不思議なほどにない。
 所詮身分違いの恋は、焦がれるほどが適当なのだ。本気で挑むものではない。
 だから、化学準備室の扉を開けた時。ぼんやりと窓の向こうを見ている白石の横顔に、胸を熱くさせてはいけない。そう言い聞かせることが沈黙を生んで、白石の視線をこちらに向かせてしまった。

「どうしたん、

 白石はなにも変わらない。おかしかった。1ヶ月前となにも変わっていない。
 つまり、そういうことなのだと。は部屋の中に一歩、また一歩足を進めていくことで実感する。テストに合格できなかった自分には、元の生活に戻る道しか用意されていないのだと言い聞かせるにはそれで十分だった。

「これ、友達から預かってきたんです。加島先生探しに行ってしまったんで、代わりに私が」
「ああ、これ。なんや、あいつと知り合いやったんか」
「知り合いというか、小学校の時からの腐れ縁というか……」
「そうか」

 悲しいほど、普通の会話だった。いや、昔に比べたらふたりで話す時間をもらえたことだけでも幸せだったのか。卑屈な心はあら探しが得意だ。は思わず無気力に笑ってしまう。振り回されてばかりで、自分は結局なにができたんだろう。考えていると言葉は消えてしまっていた。
 白石の視線に気づいたのは、その時だった。

「返事、聞きに来たんかと思った」

 受け取った書類を机の上に置き、白石はあの時と同じように頬杖をついてを見上げた。口元の笑みがあの日を思い起こさせる。はぎゅっと強く拳を握り締める。心臓が勝手に、跳ねた。

「ええの? 今やったら聞けるんとちゃうの、俺と自分しかおらへんし」
「……それは」
「どうする?」

 卑怯だ、と思った。ただし苦しいほどの熱を伴って。
 そのように笑みを浮かべられて、自分だけを見つめられて、自分だけに聞かせられて、冷静でいられるならそもそも身分違いの恋などしていない。
 気づけば涙が頬を伝って、は慌てて両手で顔を隠した。けれど白石に堰を壊されてしまった涙は止まれない。声を漏らさないように必死に声を殺しても、手首に温もりが訪れてしまっては、

「……っ! 先生、」
「反則、ちゅう言葉は誰が使うてええんか言うてあげようか。俺やで。とちゃう」

 白石に手首を優しくつかまれてしまっては、顔を向けるしかなかったし見つめるしかなかったし、恋い慕う気持ちを捨てることなどできるはずがなかった。

「1ヶ月、試されたんは自分やと思うなよ。俺やで。俺が、1ヶ月。ほんまに大丈夫か、試してみた」
「……え?」
「好きなままでおってもええか。好きかもしれへんっちゅうのを、生徒に向ける気持ちとごっちゃにしてへんか。よう考えて、考えて、決めようって。せやからお前がいきなり告白してきて、喜ぶ前に自分で枷作ったはずやったのに。そう思ってたのに、あれや」

 呆然と白石を見つめるに、白石は苦笑を浮かべる。

「毎週あんな綺麗な字でな、手紙書かれてしもたらな、あれはあかんねん。反則や。ごめんなさいなんて書かれて動揺せえへんほど、俺まだ大人やなかったわ。には」

 そっと手首から白石の手が離れる。途端に腕が冷たくなる。心寂しくなる。寒さから逃れるように、はつい白石に手を伸ばしてしまう。それをあっさりと白石は受け止めた。
 身体ごと抱きしめるためにはそれ以上都合のいい瞬間はなかったと、待っていたかのような勢いで抱きしめられる。
 昼の暖かな陽気が、化学準備室を包んでいる。けれど肌に訪れる温もりは、確かに自分ひとりだけに向けられた白石のもの。

「悪いな、俺まだ格好悪いところ結構あんねん。幻滅しても知らんで」

 囁かれた言葉も、自分ひとりで抱きとめてしまいこんでよいもの。
 幻滅する余裕などないのに、背伸びをすることで精一杯なのにと抱きとめられたままは笑う。確認したいことはたくさんあったけれど、言葉がうまく出てこない。格好悪いのは自分だと思うとますます笑いが零れて、白石を心配させた。

「私、先生よりももっとうまく言葉なんか出ません。もう手紙で精一杯」

 白石は最初目を丸くしていた。
 最後まで、きちんと読んでいなかったと教えられたのは後のこと。
 抜き打ちテストが返された時、が最後にするつもりで書き加えた言葉の下に、小さく書き添えられた言葉があった。はそっと笑い、大切にノートの中にしまいこむ。

『ありがとう、先生』
『それは俺の台詞です』

 したためた言葉の数だけ、背伸びをしたら、手が届くところに温もりが訪れていた。それは太陽だけが知っている秘密だった。



21/01/26再録