アウトサイド 冬 02

 一氏ユウジという人間は、考えれば考えるほど難しい。自分に彼に関する知識があまりないから当たり前なのかもしれなかったが、しかし研究しようという意思と結びつけるのも少し違う気がする。けれど気になる。これが板ばさみというものかと気づけた時、なぜ自分は他人にこれほどまで時間を使わなければならないのかと悩む昔の悪い癖が出た。誰もいない部室でボールを扉に投げつけたら、狙ったように扉が開いて金太郎の顔面にぶつかった。泣きそうになる彼にたこ焼きを奢らされて、ストレスはたまったが小遣いは綺麗に消えた。
 ある日、旧レギュラーで食堂に集まる恒例の昼食の時間に、一氏を見つめてみた。
 白石にその視線を気づかれた。なんや財前、ユウジになんか用でもあるんか。はよ話したらええやないか。端整な顔立ちのくせに余計な世話を焼く人だと眉間に皺を寄せた。すると忍足が、心配事か? ほんまか? 俺やったら相談にのるで財前、なんて滅多に使わない気遣いのようなものを臆すことなく示してきたものだから鳥肌が立って逃げ出した。小春は助けてくれなかった。

「お、財前。なん慌てとると?」
「先輩らがきもい」
「愛されとるなあ、財前。贅沢言うたらいかんばい」

 出身地のためかはたまた彼の性格の為せる業か、千歳に愚痴は通用しない。2年7組の女子たちはその達観した雰囲気を見て黄色い声でも上げれば可愛らしいものだが、如何せん男子よりたくましい女子たちなので「仙人」とあだ名をつけた。千歳には言っていない。

(人の気も知らんと、よう言うわ。ちゅうかあんたや、あんた。先輩がはよ全部気づいたら済む話やないか……!)

 次の食堂の時には一氏をにらみつけてしまった。にらめっこか、と一氏に変な顔をされて一気に萎えた。
 どうしてこんな男が好きなのかと問いかけてみたい相手とは、しかし言葉を交わしたこともないまま、2学期の終わりが近づいていた。



 お、と呟いてしまうことが日に日に増えていった。
 もちろん声は出さない。喉の奥が少し震えるような感覚だ。だから自分しか分からない。
 廊下ですれ違うことがたびたびあった。人数の多い学校なのになぜこんなにも出会う確率が高いのだろうと一度すれ違ったあと振り返って考えてみたこともあったが、なんてことはない、自分の意識が向くようになったから。ただそれだけだった。相変わらず、他人にさほど興味はない人生である。

(……しっかし。これはちょいやりすぎなんとちゃうか)

 財前は腕を組んで考える。誰が仕組んだものでもないと分かってはいるのだが、まるで自分が誰かの考えた物語に乗せられてしまっているような抵抗感がないと言えば嘘になる。

「学期末の大掃除は、今年は本気でやらへんと大変なことになると思うんで。せやから今日みんなに集まってもろたんはですね、大掃除の日程と当番を決めよう思て」

 図書委員長が淡々と委員たちに告げる。3学期制の学校ではあるが、委員会は生徒会選挙に合わせて前後期の2期制となる。12月を迎えた後期の今、当然図書委員長は2年生だ。受験を控えた3年生の図書委員が全員揃うというのはなかなかに珍しい。
 部活を抜け出して訪れた図書室は、既に各クラスの委員たちが集まっていた。少し遅刻したらしい財前は、申し分程度に頭を下げながら2年7組の席へとつく。1年と2年の席は制服だったり財前のように部活姿だったりと色彩豊かだったが、さすがに3年生の席は制服で統一されていた。
 長机を四角くロの字型にした会議の場で、最近また伸び始めた身長のせいか財前は窮屈さに負けて足を伸ばす。たしなめられるか、と視線を上級生の座る向かい側に向けた時、財前はいつもの癖を使いそうになった。あ、と言いそうになるのを懸命に堪える。
 3年8組の委員の席には、が座っていた。

(図書委員やったとか俺知らんし。……会議はさぼってないはず、多分。あんま聞いてへんけど。せやけど会議言うたら絶対この席やったやんか、向かい側におるのになんで今まで気づかへんかったんや)

 机に置かれていた書類に助けられながら、読んでもいない文字に視線を向けながら考える。答えはすぐに出た。自分は、他人に興味を抱かない人間だった。気づかなかったのではない、そもそも見ていなかったのだ。見る必要がなかったから。
 まさか、一氏という存在で自分の生活で変わる部分がここまで出てくるとは。嫌味ではなく素直に、しかも彼が引退した今の時期にこうなってしまったことを、財前は首を傾げながらも納得するしかないようだった。

「じゃあ、大掃除はやるってことでええですか? ええですね。はい、決まり。あとは分担。あんま3年生の人とか拘束したらあかんかなとは思うんですが……」
「ええで、そんなん。気晴らしになるやろし、そんな特権あったらもっと昔に使てるしな」
「あ、そうですか。やったら仲良いメンツでやると絶対話しだして効率悪いと思うんで、これで決めますわ。ええですか?」

 委員長が取り出したのは、職員室脇にある印刷機の横から取ってきたというわら半紙だった。なんのことだと財前は話の半分も聞いていなかった自分を責めることもなく、頬杖をついて委員長が何かを書いている様子を見つめる。
 そして出来上がったのは、定規が使われなかった歪んだ線の集合の図。

「公平に、もちろんあみだくじで」

 3年1組の委員から回っていくわら半紙を見守る。はあまり表情を変えないまま、そしてあまり悩むこともないまますぐに自分の名前を書き加えていた。3年、1年の順で回ってきたあみだくじの残りは少ない。左手でシャープペンシルを回しながら思わず考え込む。

「財前、はよせえ。なにかっこつけとんねん」
「うるさいわ、お前これどんだけ歪んでんねん。名前かぶるわ、隣の人と」
「遅刻したやつに文句言う権限あらへんわ。お前テニス部遅れてもええんか。俺は構へんで」
「アホぬかせ」

 の名前があった。思わず顔を上げる。ただ紙がここにあるからなのか、それともテニス部という言葉に反応したのか今着ているこのジャージに反応していたのか。と、目が合った。
 知り合いでもない、もちろん恋人関係でもない。それなのにこの微妙な距離感という、14年しか生きていない財前には対応の仕方ひとつを取っても悩まなければならない。妙に気を遣って疲弊するのは避けたいと思ってしまう。

(……隣に名前書いたら、同じチームにはならへんやろ。たかが掃除で焦りたくもないし)

 綺麗に書き込まれたの名字の隣に、母親がため息をついたことのある字で財前と書く。
 それにしても自分はなんて先輩思いなのだろう、委員会に来てものことで半分以上の時間を使っているような気がする。そろそろ自分の身体が持ちそうにないので、一氏をけしかけた方がいいのだろうか。そんなことを考えていると、わら半紙は委員長の手に戻っていた。

「はい。じゃあチーム発表。えーっと、来週月曜。1年の森ノ宮さんと、3年の先輩と、2年の財前。それから」
「は?」

 自分の名前が出てきたことではない。その呼ばれた順番に聞き覚え、もとい見覚えがあって、財前は思わず素っ頓狂な声を上げる。

「は? って、なんや。は? って」
「ちょ、お前……それって。線書き足してへんやないか。ちゅうか一本線なままやんか」
「なんやねん、立派な省エネやろうが。俺は地球に優しい男やで」

 頬杖を解いて抗議の視線を向ける財前に、委員長は飄然とあみだくじの紙を見せる。
 左から順に5人ずつ、月、火、水とくくられていたその結末に、財前はもはや返す言葉がなかった。
 はただ、まっすぐに財前を見つめていた。



「財前、年上の女と話す時のコツ教えんでもよかね?」
「やらしい言い方せんといてください。ちゅうかなんで先輩知っとるんですか」
「仙人たい、知らんこつなか」

 月曜、部活に行こうとする自分を珍しく引き止めた千歳の笑みから、財前は慌てて逃げ出した。月曜の6時間目は苦手な国語である。気分が前を向いていない状態でいきなり全力で走るというのは、なかなかに厳しい。
 12月の切り裂かれるような寒さに構いもせず、金太郎が目を丸くして見つめているのにも気にも留めず、財前はすばやく制服からジャージに着替える。副部長である同級生に指示を伝え、部室を出て図書室へと向かった。
 足取りは、いつのまにかゆっくりになっていた。

(付き合えばええとか、そんなん周りの人間が言うのは簡単や。他人やからな)

 ジャージのチャックを一番上まであげ、マフラーをおいてきた失態を隠すように口元までうずまる。両手をポケットに入れてしまえば、冬の風にさらされるのは顔だけだ。
 巨大校とはいえ、所詮は100年近い歴史を有する公立中学校。暖房機が備え付けられている場所など限られていて、昇降口から廊下に出て屋内に入ったという安心感は、廊下の底冷えに負けてすぐに姿を消す。財前は考えることに集中した。

(せやけど、本人たちからしたらそれはむちゃくちゃ抵抗があることで。そら両想いやったらええで、でも両想いやったらそもそもこんな時期あらへんし。さっさと付き合うし。……あの白石部長かてあんな顔しておくてタイプやったんやで? ユウジ先輩が恋愛関係に聡いとか……)

 ないないない。階段を上りながら一氏の顔を思い出して、財前はすぐに首を横に振った。ありえない。千歳が女々しくなるのと同じぐらいにありえない。そもそも、の視線ひとつに気づいていない段階で聡いなどというはずがないのだ。早く気づけと先日願った自分が間違いだったのだと、財前は改めて悟る。
 だが、の視線は財前が今まで見てきた女子のものとは種類が異なる。年齢の差か、想いの差か。それは分からない。自分の付き合っている彼女の視線を思い出してもみたが、よこしまな感情が邪魔をするので参考にならない。白石や忍足の彼女などは彼らの邪魔が入るのでますます参考にならない。
 だから、結局のところ。こうするしかないのだと、財前は改めて思った。

「……先輩しかおらんのですか、まだ」

 図書室の扉を開け、後ろ姿のに声をかける。わりと長身と呼べるのかもしれない、カウンターで書類を見ていたは振り返り、立ち上がる。財前よりも少し視線が低いだけだった。

「財前くん、もしかして聞いてへん?」
「え、なにをですか」
「今日、1年生の子たち集会が入ったんやて。他の3人、みんな1年生やったやろ? せやから、今日はうちらふたりで大掃除」
「は? ちょ、本気で言うてるんですかそれ」
「本気って……ほんまやで? やらんとどうするの」
「いや、そうですけど」

 財前を見つめ、が首を傾げる。仕草自体は自分の恋人でもやりそうなものだが、3年生という壁は予想以上に厚い。言葉遣いに苦慮する隙間を縫うように、冷静に事実を述べてくるに財前は結局言葉につまった。

「テニス部やもんね、早く部活行きたいよね。できるところまででええって紙に書いてあったから、目立つところだけ片付けておしまいにしよ」

 言葉が出てこず、結局しかめ面をしてしまった財前をが苦笑した。はい、と頷くだけでいい言葉の繋ぎ方は、3年と2年の差を知らしめるには十分だった。

(むっちゃ普通やし。これがユウジ先輩の前やと、あんなんになるんやもんなあ。分からんわ)

 記憶の引き出しの一番手前、いつでも鮮明な映像とともに蘇ることができるあの瞬間。一氏を見つめることしかできない、けれどその瞬間すら大切にしていると横顔が呟いていた、あの廊下での出来事。財前はに伝わらないように小さくため息をつく。
 抑揚がないというか、落ち着いているというか。その形容の仕方は、財前の周囲にいる女子とがあまりに違いすぎてなかなか上手くまとめることができない。財前が到着するまで掃除の仕方を考えてくれていたのか、は閲覧室の本の並べ直しから始めようと言った。分類どおりに収められていなかった本は既に閲覧者用の長机の上にその姿を見せている。

「あ、ええですよ。先輩。高いところ俺やります」
「ええの?」
「ええもなにも。手届くやつがやるんが普通でしょう。はよ終わるし。……あ、先輩が小さいとか、そういう意味やなくて」

 椅子に腰かけ、本棚の最上部に収納する種類の本を取り出しながら答える。はじっと見つめていた。その視線に、財前は慌てて訂正を加える。丸い瞳が少し大きく見開かれたかと思うと、はやがておかしそうに笑い声をあげた。

「ごめんね、私の勝手やけど。財前くんってもっとしゃべるん好きとちゃう人やと思っとった」
「……え?」
「うちのクラスに、テニス部の人おるから。よう名前出てくるの聞いてて」

 一氏だ、と財前は一瞬で悟る。だが一氏の名前をは出さない。知られたくないのか、名前を出して意識したくないのか。本意は当然分からなかったが、財前は黙っての次の言葉を待つ。
 使い古された本を抱え、は財前の向かい側に腰かけて窓の向こうを見つめる。テニスコートが小さく見えることを、財前は知っている。の横顔は恋愛感情に精通していない財前でも少しためらいを覚えるほど、憂いと思えた。

「テニス部は、今年はすごかったなあ。ほんま、みんな楽しそうにテニスするから見とるだけでこっちも嬉しくなったし。財前くんは、部長やし。すごいね、白石くんのお墨付きやって?」
「……お墨付きかどうかは。あんま深く聞くもんちゃうと思て聞いたことないですけど」
「そっか。せやけど夏の東京での大会、2年は財前くんだけなんやろ? 試合出たんは。やっぱりすごいわ、そのジャージがよう似合う」

 褒め言葉を、簡単に口に出せる人だと思った。他人の自分をよくそこまで覚えていて、そして素直な笑みで喜びのまじった言葉をかけてくれるものだと思った。3年だからとか異性だからとか、格好のつく理由はいくらでも頭の片隅に待機していたのに、財前はそれらを使うことをためらう。使っては失礼だと、その時子ども心にも思っていたのかもしれない。
 さらりと、の黒髪が揺れる。財前を見つめ、首を傾いで笑っていた。

「テニスしとる男子は卑怯やね。もう、ほんまに格好ええことみんな絶対分かってへん」
「……え?」
「普段見いひん顔とかするから。ああもうあれは卑怯やなーって、女子はよく言うとるよ」

 そっと本が差し出される。財前が受け取るべき種類の本だった。財前は静かに顔を上げる。
 一瞬、涙でも流れるのではないかと本気で思った。憫笑。誰に。決まっていた。

(自分や。先輩になんも伝えられへんから、もうそんな自分を責めるしか分からんくなっとる)

 確信できるほどの経験も度胸もない。だがふたりきりの図書室で、一氏の名前を一度も出さないようにしているの心にその瞬間だけは触れることができたのかもしれない。
 名前を出さないのは、隠しているからではない。出してしまえばなにかが壊れてしまそうになることを、知っているからなのだと。財前はを見つめ、自分の心臓の鼓動がいつもより早くなっていることに気づかないふりをする。

「そんな、格好ええもんとちゃいますよ」
「そんなもんなん? 私らから見るのとは、多分ちゃうんやろけど」
「多分どころか、絶対」
「……ええ? そうなん?」

 困ったようにが笑う。持論を曲げるつもりはないのだろう、笑ってはいるが財前の主張を素直に受け入れているという様子とは違う。一氏に対する感情の根本にもなっているからなのか、どれだけ寂しそうに笑っても絶対に揺らがない芯が見えた気がした。

「せやけど、本人が気づいてへんからええのかもしれへんしね。うん、絶対そう」
「気づいてへん?」
「無意識やからええって言うか。そういうの、私らは見られる特権みたいなもんやと思うから」

 話ができないと、明らかにしているようなものだった。気持ちを伝えられないと、自分たちの間には越えられない壁があると宣言しているようなものだった。
 どうすればいいのか、財前には分からない。
 がそこまで想いをこめる一氏が、本当は毎日部員たちのことを気にかけ、白石とは異なる角度で声をかけていたりしたことを財前は知っている。テニスコートでその姿を見ているしその気遣いを受けている。自分の笑いのためにしているように見せてかけて、実は他人のためになろうとしている心を持っていることを、知っている。
 その一氏を、財前は嫌いではなかった。も当然嫌いになれなかった。
 自分のことを差し置いてしまう今の一氏でいいと、思ってしまう。

(せやったら、気づかん先輩のまんまでええってことになる。……けどそうすると、いつまでたっても片想いのまんまや、この先輩)

 財前でも分かるようなことだ。が気づいていないはずがない。だからこそのその表情かと、あの廊下の視線かと、すべての符号が繋がって財前は机の下で拳を握り締める。
 人の心の奥底に眠る感情に触れることが、これほど呼吸ひとつにすら困らせるものだということを、財前は初めて知った。なにかをしてあげたいという生意気な感情が頭をもたげるが、しかしなにも思いつかない。じれったさに財前の方が音をあげてしまいそうになる。

「……しゃべってしもた。委員長の子に怒られてしまう。財前くん、ごめんね」
「え? いや、俺は別に」
「あかんって。部活の練習短くさせてしもた。急いで片付けよ」

 は立ち上がり、本を抱いて書棚へと向かう。手際がいいのだろう、財前がゆっくりと本を収めていく間には財前の倍近い速さで仕事をこなした。要領がよすぎる、と呟きそうになった時、は時計を見上げた。部活、まだ大丈夫かな。呟かれて、財前は唖然とうなずく。
 誰のためになんのために急いでいたのか、答えは出ていた。

(そういうの、平気でやれる人か。……ユウジ先輩になんも言わへんのも、もしかして)

 相手のためを思ってか。尋ねようにも、自分たちの会話に一氏の名前は一切出てこない。
 は箇条書きにされていた掃除内容に、丁寧に線を引いて消していく。
 容姿に関しては好みというのもあるだろう。だが、その丁寧にひとつずつをこなすの姿を見て、財前は嫌な気持ちにならなかった。

「……気づいてくれるんは無理かもしれませんけど、せやけどね、先輩」

 自分が口を挟むことではない。そもそも正しい介入の仕方を知らないので、そんなことを言える立場でもない。それは分かっている。
 だが、財前は思わず呟いていた。が顔を向ける。

「先輩の思っとることきちんと伝えたら、絶対に適当にしたりなんかせえへん人やと……俺は思います。それは、俺、知ってますから」

 笑われるか。そう思いながら呟いた言葉に、しかしは表情を変えなかった。ただまっすぐに、財前を見つめていた。やがて緊張がほぐれたかのように、ふっと笑う。

「考えとく。って、誰にやの。財前くん、話飛躍しすぎやで」

 笑い声をあげるに軽く頭を下げ、財前は図書室を出る。
 冬の風が昇降口の前で吹き荒れていた。図書室の暖房に甘えていた身体は格好の獲物のようで、急激に寒さに襲われて財前は強く顔をしかめる。
 これでいいのか。なにも進んではいないのではないか。いやそもそも、関わっていいのか。
 テニスコートまで両手をポケットにしまいこんだまま、ぐるぐると自問を繰り返す。答えは出ない。出すことができるとしたら、それはだけだ。
 財前は薄い青色をした冬の空を見上げ、そして図書室を見つめる。

(せやけど。わざわざ苦しい道ばっか選ぶんは違うでしょ、先輩。きちんと考えてくれる人相手にしとるんやから、そういう目持っとるんやから。そこで立ち止まるんは、もったいないわ)

 白い息がふわりと、図書室を隠すように浮かんで消えた。
 かちりとピアスがぶつかる音が響く。首を傾いでいたことに気づくのはその時。自分は正しい恋愛をしているだろうか、なんて、柄にもないことを考えてしまった時。
 いやいや、と失笑とともに財前はテニスコートへと急ぐ。の真似をしようなどとする身体についていく準備はまだしていないのだ。ひたむきな片想いは、まだ見守るだけでいい。

「あっはっは! むっちゃおもろいわ、ユウジ!」

 金太郎の盛大な笑い声が響いてきたのは、そのすぐ後のことだった。
 1年は集会ではなかったのか、と訝しげな視線を向けながら、財前はコートに戻る。休憩中だったのか、コートに座り込んでいた金太郎は相変わらずのタンクトップ姿で前を指差して腹を抱えて笑っていた。
 なにを、と視線を向けて、そして財前はうなだれる。

「そうか、金太郎。そんなおもろいか! よっしゃ、小春! 今度のS1グランプリネタはやっぱりこれでいくで!」
「そうね、ユウくん!」
「よっしゃ、自分ら。よう見とけよー、自分らにだけ先行公開やからな! 当日腹抱えて笑い死にするぐらいの覚悟で来てもらわんと困るからな、大サービスや!」

 気づけば金太郎以外の部員全員がラケットを持たなければという心とふたりのコントを見たいという心の葛藤にあっていた。財前の姿に気づいた者は慌てて口を閉じるが、金太郎のように背中をこちらに向けている者は部長の帰還にまるで気づいていない。
 財前はコート中央に立つ、女子の制服を着た一氏と小春を生温かい視線で見守る。

(……いや、ちょっと。やっぱ止めとくべきやったかな、先輩。こんな彼氏はちょっと)

 女子高生になりきってネタを披露するふたりに、テニスコートはもはや笑いの渦しか見えない。財前は額を押さえてため息をつく。
 そんな財前の姿にまるで気づかないまま真摯に、一氏は真冬のお笑いライブをその後30分やってのけたのだった。

「光クンが帰ってくるまでの時間繋ぎやないの。委員会、お、つ、か、れ、さま」
「うわあ! なにどさくさにまぎれて抱きつこうとしとるんですか! ほんまきもい!」
「こらあ、財前! お前小春の抱擁を断るとは何様のつもりやねん!」
「いや、抱きしめたら抱きしめたで怒るやないですか、先輩!」

 懐かしい怒声のやり取りがテニスコートに響き渡る。男同士で抱くの抱かないの、会話だけを聞けば間違いなく監督の渡邊が尋問にかけられそうなやり取りをしながら、そして逃げながら。財前は心から思う。

(こんな先輩にあんな片想いとか、もうそれだけで勝者やわあの人!)

 むすっとして見つめる財前に、一氏はまたにらめっこと勘違いをして変な顔を浮かべていた。



10/10/11