| 桃色に染まりし |
夏が近い。そう思うに相応しい太陽が、容赦なくグラウンドを照らす。今日は随分と暑くなりそうだ。 天気予報をもっと信じるべきだった。は右手で日差しをよけながら空を見上げ、小さくため息をついたあと長袖の体操服を肘までまくる。まだ太陽は南中に達していないのに、お世辞にも5月の爽やかさとは無縁の熱気をもって輝いている。今日という日に相応しいといえばそれまでだが、天気予報よりも自分の肌を考えて長袖を着てしまったにとってみれば、それは八つ当たりの標的とするには十分すぎた。 「あー、暑い。ドッジボールなんて選ぶんじゃなかったかな」 「本当。体育館の方が涼しそうだよね、バスケットにすればよかったかも」 「バスケか、そうだよね。バスケにすればよかった」 「壇上に座ってもいいしね。あそこなら涼しそう。たしか男子が何人かもう寝そべってたんじゃないかなあ」 「ああ、いいなあ。羨ましい!」 公園脇に植えられた樹木の下、体育用のハーフパンツをはいているのをいいことに石のブロックの上に腰掛ける。慰めのように手に団扇の役割を任せながら呟けば、隣に腰掛けた親友の桃子も同意した。 視界右横で繰り広げられるのは、青天の下での女子ドッジボール。その様子を学校と会場までの通り道にある公園の中から見つめていると、桃子の口にしたバスケットいう単語がとても素晴らしいもののようにすら聞こえた。 氷帝学園の学校行事は非常に充実していることで有名だ。幼稚舎から大学部までが附属となっている学園の利点を応用させた学園行事に始まり、幼稚舎には幼稚舎の、中等部には中等部の学校行事が、まるでなにもないことは悪いとでも考えているかのように毎月続けられる。箱根に遠足に出かけたことは記憶に新しい。しかしそれから中間考査をおいてすぐに今日の球技大会と、本当に忙しい学校だとは改めて思った。 「学校の外のグラウンドまで借り切らないとだめだなんて、本当に人数の多い学校だよね。おかげで外に出られるんだけど」 「そうだね。この時間に校舎の外に出るのって、やっぱり不思議かも。楽しいからいいんだけどね」 さすがに2回目ともなれば去年ほどの新鮮味は感じられなかったが、しかし平素であれば教室に閉じ込められている時間帯に校外に出るというのはやはり不思議な感覚だ。 視界の中央に滑り台やブランコなどの遊具を迎えながら、は公園の右手側に設置されたドッジボール会場を見つめる。同時に女子の甲高い歓声が上がった。どうやら勝者が決まったようだ。 「やっぱり、A組かな」 「じゃない? だってA組、北条さんがいるでしょ」 の左手側に腰掛けていた桃子が笑いながら答える。その名前にもああ、と納得する。しかし納得はするものの、思わずため息が零れてしまうのを防ぐことはできなかった。 この太陽の下、あと数時間後 「優勝したら全員にジュース買ってくれるって、先生本当かなあ」 暑さを吹き飛ばしてくれるような、なにか楽しいことを考えよう。ドッジボールへの憂鬱を期待に変えてくれるような、そんな楽しいことを。 自分にそう言い聞かせ、は膝を抱えてぽつりと呟く。地面ではそんなの思いなど知らぬことと蟻が懸命に歩いていた。そして蟻を見つめて呟いたようにしか見えない親友に対し、桃子はただ笑うばかりだった。 「優勝するって思ってないからそういうことを言うんじゃない?」 「ああ、そうか。なるほど。桃子賢い」 「さすがに2年連続で担任だとね、先生の考えることぐらい分かるよ。まあでも、今年はどうか分からないけど」 「今年?」 歓喜と悲哀、両方の感情がない交ぜになった声のかたまりを右方より聞きながら、が頬杖をついて尋ねると、桃子は首を若干傾けて少し意味ありげに笑った。 その笑いには目を丸くする。すると、桃子の細い指がそっと左脇のグラウンドを指差す。そこは男子の野球の会場だった。 「野球? 野球がどうかした?」 公園の左手側にある緑色のフェンスの向こうに、小さく動く男子たちの姿が見えた。ここからでは体操服の色で学年は同じ2年だと判断することはできても、クラスまでは分からない。桃子の笑みの意味が分からずが疑問を投げかけると、聡い親友はまた笑った。 「先生には悪いんだけど、今年はうちのクラスには梶原くんがいるからなあ。全国大会常連のうちの野球部で、2年生にしてスタメンな梶原くんに優勝するな、なんて。それは逆に難しい課題なんじゃない?」 「あ、そっか! そうだ、梶原くん野球だったよね」 「そうそう。先生の約束は、『どの種目で優勝しても』だったから、きっといけるよ」 肩にかかる黒髪をさらりと揺らして、桃子は楽しそうに野球グラウンド(球技大会用に臨時に借りられた自治体所有のグラウンドではあったが)を見つめる。テストの点数対決は絶対にしたくない親友が、言葉はそれ以上用いなくとも絶対の自信を浮かべていることがその笑みから分かる。 ジュース1本で現金な話だとは思ったが、今日の太陽のおかげでその話題が随分と楽しいもののように聞こえる。も思わず表情を明るくし、この初夏の陽気を素敵な脇役として迎えられる冷たいジュースを求め、野球グラウンドに希望の視線を向けた。 と、その時。 「お前のクラス、負けてたぞ」 背後から突然投げかけられたのは、そんな冷めた言葉。 まるで見計らったかのように、同じタイミングで野球グラウンドから歓声が上がる。よくよく瞳をこらせば、フェンスの内側で応援している女子がクラスメイトであること、その女子が歓喜にまったく反応せずつまらなさそうにフェンスにもたれていること、そしてドッジボール会場から出てきたA組の女子たちが、ドッジボールに引き続き喜びの声を上げてグラウンドに向けて走っていったこと 「ほら。A組が勝ったんじゃねえ? Aってたしか和田がいるんだよな。『2年生にして野球部4番』の」 その声はまるでとどめをさすかのように、あっけらかんとした口調で会話を続けてきたのだった。 しばらくの沈黙のあと、はそっと振り返る。自分の左横に腰掛けていた桃子は既に視界に相手の姿を収め、ああ、と軽く声をあげている。 しかしは、そんな桃子の落ち着いた雰囲気に従うことなどまるでできなかった。 「……岳人」 いつのまにか頬杖は握り拳に変わっていた。それは野球グラウンドを見つめる高揚の視線が成せた業だ。 しかし今、期待の感情が妙な苛立ちにとって代わられる。それは、 「優しくない。岳人全然優しくない!」 この、目の前の親友の言葉が成せた業だった。 「な、なんだよ。俺は真実を言ったまでだろ? 負けたのだって事実じゃねえか」 中学に入学して以来の親友は突然のの暴言に一瞬たじろいだものの、しかし完全にはひるむとなく苛立ちを顔に出した。綺麗に整った凛々しい眉が、そして男のくせにとまた暴言を吐きたくなるほど輪郭に無駄のない唇が絵に描いたように歪む。 しかしそのような苛立ちの表情に、とて臆することはなかった。 「自分で知るのと他人に教えられるのでは意味が違うでしょ! あーもう、岳人のバカ!」 「バカってなんだよ、バカって! そんなところで遊んでるお前に言われたくねえよ!」 座ったまま見上げる視線で喧嘩を売れば、遠慮のない買い言葉が返ってくる。しかし同じ色の体操服に身を包んでいて、しかも低身長。そこに威厳などあるはずもない。 遊んでいるとはなんだ、とが躍起になって言葉を返そうとした時、岳人に焦点を合わせた視界の中に突如体操服とバランスのとれていないものが飛び込んできた。は思わず開きかけた口を閉じ、握り拳を作ったままじっとそのものを見つめる。 「なんだよ」 沈黙に先に屈した岳人が、不機嫌な口調そのままにを見下ろす。しかし。 「学校を抜け出してコンビニに買出しに入った人に、遊んでるとか言われたくない。私」 「あ」 の冷めた視線を受けて、言葉をなくさなければならないのは結局岳人の方だった。 「向日くん、諦めたほうがいいんじゃないかなあ」 桃子が苦笑しながら岳人に降参を勧めたのは、の右手が無言のまま手のひらを空に向けた瞬間のこと。 無言のまま妙な笑顔で差し出されたその手のひらと、そしてこの場を冷静に観察する桃子の一言に、岳人が屈することはさほど難しいことではなかった。 相変わらずむすっとした表情は変わらなかったが、しばらくの沈黙を経た後に岳人はの右横に腰掛けることを返事に代えて、がさがさと袋の中をあさる。ようやく木陰の涼しさに身体中が満たされるようになった、そんな清々しい思いで桃子とふたりでその様子を黙って見つめていると、突然目の前に細長い長方形が飛び出してきた。 なにかと思って眉根を寄せて見つめてみれば、それは一口サイズの個装されたチョコレートがつめこまれた見覚えのある菓子だった。 「ええ、チョコ? この暑いのに?」 「ありがとうね、向日くん」 「あ、いや。どういたしまして。……お前も少しは見習え!」 「すみません」 はしばらくそのピンク色の外装を黙って見つめたあと、小さく「いただきます」と岳人に声をかけてからビニールのパッケージをめくる。やはり初夏の暑さは嘘ではないのだ、と改めて実感させるような微妙な柔らかさを宿すショッキングピンクの個装紙に包まれたチョコをひとつ、つま先で取り出してそっと桃子に渡せば、苦笑とともに受け取られた。 そしては自分のものをひとつ続けて取り出したあと、岳人に残りを渡そうとすると、彼の利き手である左手が左右に振られた。チョコレートを口の中に含んでしまうと言葉を発せない。その代わりとしてが首を傾げれば、岳人の手はコンビニの袋の中からペットボトルを取り出していた。 「チョコはいい。こんなに暑くなるとは思ってなかった、やるよ」 言い訳というよりは限りなく本音に近いように聞こえる言葉をあっさりと吐き、岳人は興味なさそうに水滴のしたたるペットボトルに口をつけた。 朝、学校にくる前に購入するしか入手方法のない菓子を体操服姿で食べる。その不思議な感覚と、少しだけ柔らかくなって妙に甘さを主張するチョコレートの味にどこかおかしな気分になりながら、は個装紙を岳人のもつコンビニの袋の中にしまおうと手を伸ばす。気づいた岳人が右腕にかけていた袋を無言のまま差し出してくれた。 この関係が築かれて、2回目の初夏を迎えようとしていた。 はチョコの甘さを堪能しながら、ふと自分の右横に腰掛けた元クラスメイトの男子の横顔をちらりと見る。 向日岳人というどうにも目立つ名前をもったその同級生は、目立つものが名前だけではないことを色々なもので教えてくれた。 たとえば、テニス。彼は氷帝学園の中でも最も伝統と成績のよい男子テニス部の準レギュラー枠に、2年生ながらその名を連ねるほどの卓越した技術をもっていた。そして毎年全国平均身長前後を行き来する、テニス部の中においてはかなり小柄に見える身長をカバーする跳躍力と瞬発力をもっていた。 たとえば、その外見。赤茶というよりも既に赤に近いその髪を、女子も羨むほどの透明感のある状態で保っていた。その目は大きくとも男子独特の鋭さをけして失うことはなく、肌は紫外線や冬の北風に負けることなく常に一定の質を維持していた。 そんな男子、向日岳人は、よくいえば親友。悪くいえば腐れ縁。 今年数えで14歳を迎えるにとって、そして今までの人生で一番充実していると信じて疑わない中学生活において、その存在はよくも悪くも大きなものだった。 「それにしても、よくばれなかったね先生たちに。見張りはいなかったの?」 今年になってクラスは離れてしまったが、このように会話をすることはまったく変わらない。こうして隣に並んで座っていると、まるで去年に戻ったようだ。そんな嬉しい錯覚に背中を押されて、は膝の上に両手をおいて尋ねる。岳人はその言葉に「ああ」と思い出したかのように口を開いた。 「あそこの店員、顔見知りだから」 「え? なにそれ」 「仲いいんだよ。昨日、今日が球技大会だってこと言ったら差し入れしてやるって言ってくれてさ。で、今休憩中だからもってきてくれた」 「……それ、どういう裏技よ」 「部活帰りのテニス部員の通いつけなんだよ、あそこは」 岳人は淡々と事実を話し、そして再びペットボトルに口をつける。途中目の前を通り過ぎるクラスメイトに右手で挨拶をしながら、「あ、きちんとお礼は言ったしお金も払ったからな」と繋げた。 その言葉を受けて、は向日岳人という人間を、自分の中でどのように位置づけているのかを思い出した。 (岳人って、口は悪いし表情は顔にでるしすぐ怒るしわめくし、宿題はやってこないし授業中に寝るし) 去年のクラスでの出来事を思い出せば、そのような岳人の特徴はいくらでも挙げることができる。木陰の下からぼんやりと澄みきった涙色の空を見上げて、懐かしい1年生時代をは思い出す。 (でも、絶対に嘘だけはつかなかった。間違ったことはしなかった。……まあ、漫画はもってきてたけど。授業中に携帯もいじってたけど) たとえば。左横に当の本人を迎えながら、なぜ過去の話を今更思い出すのかも分からなくなっていたが、チョコレートをもうひとつ口に運ぶとその回想はとまらなかった。 たとえば、岳人の口は悪い。洒落にならないほどに悪い。ただしそれは悪口ではない。特有の口の悪さに辟易した女子もいたが、そこに悪意のひとつも見つけられないことに気づけば、それは彼のキャラクタでしかないのだと認識することはとても簡単なことだった。 そしてはそのように認識してしまい、それを岳人に見抜かれた。はじまりはその程度のことだったが、そのの判断は彼の中では随分と珍しいものに映ったらしく、それ以来友人と称していいだろうこの関係は続いている。 自身も、自分たちの関係には岳人の嘘偽りのないあっけらかんとした性格に甘えられる点が大きく関係しているということは理解していた。クラスが分かれてもいまだに去年と同じ関係でいられることは、この関係がクラスメイトという共通項の上に成り立っていたのではなく、自分たちの相性の上に成り立っているのだということを教えてくれている。 しかし、チョコレートをもらったことでそのようなことを改めて思い出すとは。現金な話だ、そして現金な性格だと。はひとりでため息をついた。暗い、辛気臭いと眉根を寄せながら呟く岳人にはなにも返事はできなかった。 「。私、そろそろ審判に行かないと。まだここにいる?」 その時、既にチョコレートを食べ終えていた桃子が声をかけた。慌てて視線を桃子に戻せば、その手には丁寧に折りたたまれた小さなピンクの個装紙の姿。 「あ、ううん、いいよ。私も行く」 自分も岳人のがさつさを馬鹿にできない、と悲しく思いながらは立ち上がろうとした。しかし、その行動を先に立ち上がっていた桃子の手が制する。 「ううん、違う。ここにいるなら、私が戻ってくるまでここにいてっていう意味。ついてきてもらうの悪いし。向日くん、まだここにいる?」 「え? あ、うん。まだいいけど」 突然桃子に会話をふられた岳人は、さきほどのとまったく同じように慌てて視線を上げてそう答えた。その反応に桃子はいつものように柔らかく笑いながら、小さく頷く。 「じゃあ、ちょっと待ってて。帰ってきたらご飯食べようよ」 「うん、分かった。頑張って」 岳人に軽く会釈をして、桃子は体育館のある学園の敷地内へと戻っていった。 公園内に岳人とふたりで残されたは静かにその後ろ姿を見送ったあと、何の審判かと問いかける岳人に桃子がバスケット部であることを告げた。ああ、と岳人は合点がいったが、しかしすぐ後に、 「なんであんなにできたやつがお前の友達なのか、俺には分かんねえ」 そう言って首をひねった。回答に対する反応がそれか、とは岳人の足を軽く叩こうとしたが、しかしすぐにやめた。 そんな自分と友達で、球技大会というクラス対抗試合のこの瞬間に自分の隣にいる人間は誰か。その事実に気づいた時、は怒るよりも前に苦笑し、岳人にチョコレートを差し出す。岳人は一瞬目を丸くしたが、案外あっさりと左手を差し出した。 初夏の風がさらりと互いの髪の毛を揺らす。随分と暑さから解放されていた。 「お前、見つかるなよ? 先生に見つかったらなに言われるか分かんねえから」 「コンビニの袋をもってる岳人こそ気をつけてね」 「……」 「事実ですから」 しかめ面をする岳人の手のひらに、笑いながらチョコレートをひとつ。 まだとさほど変わりない大きさの手のひらは、無言のままそれを受け取って適当に包みを開き、口に運んだ。甘すぎる、と再び顔をしかめるまでそう時間はかからなかった。 そういえば、と、はこうしてふたりでひとつの菓子を分け合うのは珍しい出来事ではなかったことを思い出す。いつの頃だったかと5月の空を仰いだあと、ふと自分の手元で存在を主張するチョコレートに視線を戻した時、は幾度か瞬いて無言のままそれを優しく両手で包み込んだ。 (これ、私が好きだって言ってたものだ) アーモンド味、カプチーノ味、時には季節限定の味、そして、ストロベリー味。 様々な味で展開されている同型のチョコレートの中で、さきほど渡されたストロベリー味が一番おいしくて好きだと岳人に教えたのはいつのことだったか。隣にいる人物と共有した時間は短くとも密度だけは比べ物にならないものだったから、今となっては本人でも思い出すことはできないけれど。 (……ちゃんと覚えていてくれたんだ) は思わず頬を緩める。自分でも思い出すことができないものが、今相手の記憶の中に残っている。その事実のすごさは、いくら14年弱しか生きていなくとも理解することは難しい話ではない。 「とけるぞ、お前。なに温めてんだよ、余計甘くなるだろ」 それまでとけかけたチョコのくどさにしかめ面をしていた岳人が、ぎょっとした表情で注意をする。その言葉にようやくはチョコレートを解放し、勢いに任せて岳人に手のひらを見せろと主張し、怪訝な顔で差し出された彼の左手にチョコレートをおいた。嫌がらせかと心底嫌そうな顔で問われ、笑顔で否定したら余計に怪しまれた。 しかし、笑顔になってしまう本当の理由を伝えるのはどこか恥ずかしい。はそっと自分の胸の中にだけその嬉しさをしまいこんでから、再び岳人に視線を向けて問いかけた。 「岳人はなにに出るの? 種目」 「俺? サッカー」 「サッカー……?」 「なんだ、その顔。あ、お前俺がサッカーできないと思ってるんだろ。バーカ、俺の運動神経を甘くみるんじゃねえよ」 誰もそこまでは言っていない、とつっこむよりも早く、岳人は自分の俊敏性がどれほど長けているか、それをサッカーにどのように適応させることができるかを自信満々に説きだした。こうなってしまうともう手はつけられない。思えばテニスの話をしだしたら、この男は相手のことを考える余裕もなく突っ走るタイプだった。 今日も混じりけなしの自信たっぷりか、と。は延々と続く岳人の言葉を軽く聞き流しながら、その声が休憩する瞬間を見計らって話の中に割り込んだ。 「じゃあ、応援に行くよ。岳人がおごってくれるなら」 そして覗き込むようにしてそう伝えると、目の前の綺麗な眉はまたあっさりと歪んだ。 「は? なんで俺がお前におごらなきゃ駄目なんだよ、応援にくるお前がおごるっていうのが普通だろ」 「普通ってなに。コンビニの店員さんにここまでやってこさせる岳人の普通ってなに」 「……お前、絶対根にもつタイプだろ。俺は今確信した」 「知らなかったの? 私結構しぶといよ」 「……悪い意味でしぶといんだな、よく分かった」 「岳人と仲良くなってからね。しぶとく根気よくいかないと人間だめなんだっていうことが、よく分かった」 「うっせえ」 そう言って岳人はひょいと立ち上がった。 その口からはまた荒れた言葉が飛び出たが、唯一聞くことを許されたの耳には棘のひとつも感じられなかった。ふと顔を上げてその表情を見つめれば、予想通り不機嫌の欠片はひとつも見つからない。 クラスは離れても、やはり岳人との関係は変わっていない。それを感じることができるこの瞬間に、は小さく笑みを零してから上目遣いで尋ねた。 「試合、いつ?」 「あー、昼メシのあとすぐだったかな。多分」 「分かった、じゃああとでね」 その一言に、小さく伸びをしていた岳人は一瞬目を丸くしてを見つめた。 しかしすぐに笑って、 「敵を応援してどうするんだか」 「失礼な。ちゃんと応援にいくよ」 その言葉を聞き終えるよりも早く、座ったままのに利き手の手のひらを差し出した。は返事の代わりに笑顔と、そして向けられた岳人の手のひらを同じ左手で軽く叩く。 触れた手のひらは、初夏の日差しよりも少しだけ熱かった。 |
| 06/01/27 |