宵闇に埋め

 冬になってしまえば日暮れが早いなどというのは当然のこと。3学期という時間の枠の変化も、部活引退という生活の流れの変化も、馴染んでしまえば変化とすら思えない。今という日常の中に溶け込んでしまったこの放課後という時間は、気づけばあっさりと終わっている。まるで夜の闇を迎えるためだけに存在している、昼間との紐帯役でしかないようだ。

「髪、伸びたね。随分切ってない?」

 頬杖をついた姿勢のまま、英二はそっと視線を右横に向ける。そこには恋人であるの、宿題の集中力の途切れた恋人を気遣う色をもってこちらを見つめる目があった。
 昼と夜のわずかな紐帯の時間。放課後、ふたりでいることの多くなっていた英二の自宅リビングで宿題をしていた、その時の出来事だった。

「切ってないね。誕生日ぐらいに切ったから……もう2ヶ月ぐらい?」
「男の子って伸びるの早いよね、不二くんとかもいつも見てて思うんだけど」
「短いからそう見えるだけだよ。タカさんとか桃とかめっちゃくちゃ目立つじゃん、ほら」

 ああ、と素直に合点の表情を見せ、は英二の横髪に手を伸ばす。触れられることに穢れも卑しさもなにもない、むしろそれこそ必然だと思える温もりを享受する。自分の好きな細い指は、今日も優しい温もりを持っていた。

「なに、短い方が好き?」

 無言のまま横髪をいじるをよそ目に、英二はふと笑って問いかける。いつのまにか動きを止めてしまっていた彼女の利き手は、その時やや強く筆記具を握り締めた。

「好きか嫌いかと言われれば」
「そうなんだ」
「うん、長すぎるよりはね。その方が英二らしいというか……長いのは不二くんに任せればいいよ」
「なんだそれ」
「不二くんの短髪が想像できないのと一緒。英二はその方が好きだなあ、私は」

 カラカラと笑うも、は素直に、そして真顔で胸をくすぐる言葉を紡ぐ。そこに媚びる色はまるでないのが心地よい。
 髪の毛をいじる手の細い手首を柔らかく握り締め、そっと引き寄せる。身体が細いからなのかそれともその場の居心地の良さを熟知しているからなのか、の身体は何の抵抗もなく英二の腕の中に収まった。
 自分のものとは異なるシャンプーが、そっと香る。頬や口元や鼻をくすぐる柔らかい髪の感覚に頬を緩めると、胸元で今度はが笑った。

「そうするのが好きだよね、英二は」
「……そう?」
「うん、部活を引退してからかな。時間がゆっくりになったのかな、ただ黙ってこうしてるのがすごく多くなった」

 愛でるような優しさと、恋い慕うような温もりを感じさせる言葉に、英二は苦笑する。

「どっちが好き?」
「どっちも」
「答えになってないじゃん、それ」
「テニスをしてる時と今を比べろって、そっちの方が無理だよ。どっちも格好いいからなあ」

 言葉ひとつに常々心震わされるほど、身体は優しくはできていない。時間が流れる分その感覚は埋めて埋めて、ここまできてしまった。冬の夕方が早く訪れるのと同様、それは抗うことのできない自然の摂理だ。
 ただ、そこに忘却の意味はまるでない。

「好きだからかな、バカみたいだけど」
「……え?」
「なんかもう全部、全部とにかくもう全部。俺好みにしたくてたまらなくなる時がある」

 むしろ累積されるからこそ与えられる、感じられる感情がある。
 が一瞬目を丸くする。本意を問いただそうとする唇が開くその瞬間、英二は右手でそれを封じる。力などなにも込めていないというのに触れただけでの唇は一瞬で閉じ、視線だけでその行為の真意を問いかける。その従順な瞳に我慢ができたのはわずかでしかなかった。

「キスしたい」

 返事はなかった。ただは黙って英二を見つめたあと、そっと瞳を閉じる。
 従順な恋人は、いつどこでも我がままな自分に優しかった。触れるだけのキスをしたあと、開かれようとした双眸を左手で隠して再び口付ける。今度はやや深く。抵抗の力など最初から込められていなかった唇を自分の思うがままに舐め取ることは造作なかった。

「……どうしたの? 英二」

 今までならばそのような問いかけがあってもおかしくなかった。けれど最近はまるでそれがない。
 それは自分が相手に言葉を発させる暇を与えないほどにその唇を独占しているからなのか、それとも問わせる心情の芽を摘み取るほどにその心を支配しているからなのか。問いかけたことがないため真実は分からなかったが、事実目の前には自分に従うがいる。

「目」
「……え?」
「上目遣いは困るよね、これ。続きがしたくなる」

 頬を両手で包み、視線をずらせないまま顎を上げさせる。弱い喉元を無防備にさらけださせれば、手のひらに伝わる体温は冷えるどころかますます熱くなった。
 自分好みにしたいとはよく言ったものだと。静かに言葉を吐き出したあと、が一瞬息を飲んだのを悠然と笑んで見守ることができる自分に思う。
 なんて単純な男の欲求。答えはそれだけで十分だった。

「ねえ、しよっか」

 利き手を頬から離し、リボンに手をかける。一瞬震えた身体が硬直するのが分かる。

「……英二、本気?」

 さすがにも問いかけの言葉を用意した。無理もない、そこは家の人間であれば必ず利用するリビングであり、庭が広く塀が高いことと周囲が夕闇であることをいいことにカーテンすらまだ閉じていない。うろたえに近い表情が見えても仕方のない話だった。
 英二は、静かに首を横に振る。
 それを「冗談だよ」の意にとったのか、が一瞬気を緩める。その時だった。

「……うそ、ちょっと! 英二!」
「本気じゃなかったらまず言わない。ていうかその前に部屋に連れて行くって」

 首筋に唇を押し付け、扱いなれた制服の隙間から指を這わせる。体温差の激しい異物の侵攻に肌が震えた。

「だめ、無理……! こんなところ誰かに見られたら……!」
「学校よりは大丈夫だと思うけどなー」
「そういう問題じゃ……、っ!」

 初めて抵抗をみせるの身体を、両脇から抱え持つようにしてさらに自分の側へ引き寄せ、ソファに背を預けさせてから顔を真正面に向けさせる。
 自分に対してではなく、この場所とこの時間という外的要因にのみ反抗する姿だけでは、その続きを止めることなどできるはずもなかった。

「じゃあ、ばれないようにすればいいんだ? たとえばが声を抑える、とか」

 わずかに開いた下唇を親指でなぞる。は言葉を失っていた。
 視線は落ち着かず、窓の向こうやリビングのドアを見ようとする。来訪者の存在を最初から肯定するその不安そうな表情に、英二は一度軽く息を吐いてから左手で頬をなぞる。大きな手のひらの温もりに、視線は一瞬で英二に戻ってきた。

「大丈夫だよ、まだ誰もいないし」
「でも、英二」
「……大丈夫だって」

 まるで説得力のない言葉だと自分でも思いながら、英二はそれ以上言葉を発しなかった。代わりにもう一度唇を重ね、一瞬隙を作ったの身体に手を伸ばす。
 スカートの内側に忍ばせれば、柔らかな大腿が擦りあってくる。だがそれはもはや抵抗の種類に入らない。英二は強引に唇を割って顎を上げさせると、手は思うとおりに足の付け根にたどり着いた。

「英二」

 あえぐ声が小さく漏れる。緊張と高揚に震わされた声だ。思わず漏れてしまったその声にが慌てて右手に塞ぐ役割を与える。抵抗したい気持ちと恥じる気持ちとをない交ぜにした瞳が、潤みながら英二を見つめる。

「……だから、その目が駄目だって」

 背筋が震えるとはよく言ったものだ。一瞬で思考回路の舵を奪われそうになった自分を戒めるために言葉を呟くものの、手は素直だ。髄をぐらりと揺さぶる熱に従うままに、自分のものとは到底似つかぬ柔らかさを備えた大腿を一度撫でたあと、迷うことなく中心へと指を這わせれば、はきつく目を閉じて声を堪えた。
 幾分かその緊迫した空気を楽しんだあと、英二は断りなく熱の中へと指を這わせる。短く小さな悲鳴が聞こえたがそれに留まる必要はない。逃げ腰になったの足を左手で制止させ、膝裏に入れ込んだ。プリーツの下からのぞく白い足があらわになる。いつからか触れることが安堵にもなっていたその大腿の内側に軽く口付けると、声にならない悲鳴が空気を揺らした。

「だめ、だめだって……!」
「知ーらない」
「お兄さんたち、帰ってきたらこんなところ」
「それよりもこっちの方気にしたら?」

 の声はそこで途切れた。予想通りの反応に、英二はそっと顔を上げて口元を緩める。そこには赤く染まった頬に気づかない、下唇をかみしめることと顎をひくことに全神経を集中させているようなの顔。
 しかし、その反応はすべて英二の行動如何だった。声が漏れそうになるのも、呼吸が苦しくなるのも、やがて。

「……ほら、その気になった」

 大腿にかけていた左手を、あの細い指が小さな熱をもって縋ろうとしてくるのも。すべて英二の行動如何、すべて英二の右指如何だった。
 羞恥と興奮の狭間に突き落とされ、自分ではもう収拾がつかなくなっている時の表情でがじっと英二を見つめる。わずかに開いた下唇からは、耳を澄まさなくとも湿り気のある吐息が零れた。

「嘘はよくないよね、いろんなものにさ」
「……っ!」
「ね?」

 濡れそぼつ場所を無遠慮にかき乱せば、左手をつかむ手がますます熱を帯びる。自分でそう導きながら声を出せないのが可哀相だと思えるほど、喉の代わりに頬が、指先が熱を訴える。制止を懇願しているのかそれとも違うなにかを希求しているのか、分かっていながらもはかりかねるこの沈黙の中で、英二はそっと左手での指先を包んだ。

「……えい、じ」
「……なに?」

 の視線が英二と、掴まれた自分の右手とに交互に動く。熱に侵されてその軌跡すら見つけられてしまいそうな緩慢とした動きは、逆に潤みばかりを誇張して生々しい。時折呼吸するタイミングを見計らって身体の中心を指先でいたぶれば、胸を締め付けるような息を飲む音だけが響いた。
 下肢から響く水音とその呼吸がない交ぜになると、自分の理性がもった試しはない。

「ねえ、なに?」

 右手は止めないままに手首に口付ける。そっとその肌を舐め上げ、が再び息を飲んだ瞬間に唇を重ねる。零れる呼気もそのままに何度も何度も角度を変えて様々なものを奪う。思考回路であったり呼吸のタイミングであったり。ふるふると小さく首を横に振ろうものならば、左手で頬を包んでこちらを真っ直ぐに見つめさせる。悲哀の色すら感じかねない瞳が、睫毛にかすかに光るものを見せた時にようやくは口を言葉の形に開いた。

「もう、やだ……やだ」

 吐息がかかるほどの至近距離。瞳の中の潤みが増える様が分かってしまう距離。
 そこで懇願の言葉を受け、英二はようやく口元を緩めて触れるだけのキスをする。

「俺もやだ」

 拒絶の意味でないのは、の右手を見れば明らかだった。
 拘束を解かれ、自由になったの右手が弱々しくも英二の制服のカッターシャツを握り締める。変わらず羞恥に耐えかねるかのように両脚は何度も内側を向こうとするものの、間にいる英二を追い出すほどの力を見せない。むしろ囲い込んでいると言った方が正しいのではないかと思えるほどにのろりとしている。

「いいよ、声出しても。みんな今日帰り遅いって聞いてるから」
「……え」

 触れ、啄ばむキスばかりを繰り返しながら、最後の準備をする。財布の中にしまってあった目的のものを取り出し、そっと視線をずらすの頬に口づけた後、顎に指をかけて視線を戻させる。不要となった下着を取り除く時間が邪魔で、浮かれたようにもう一度キス。
 羞恥と興奮との狭間に揺れ動いていた瞳は、誰にも見せたくない喜悦に染まった縋りの色を見せていた。

「ここまでいじめちゃったお詫び。……いいよ、好きなようにしなよ」

 それ以上言葉は要らなかった。返る言葉も待つ必要がなかった。
 散々に弄した場所に、躊躇することなく自分自身で侵入する。前触れのない衝撃にがきつく瞳を閉じた瞬間、名残の雫が睫毛から離れてカーペットの上に落ちた。
 前にはソファ、後ろにはテーブル。
 いつもと違いすぎる、そして障害の多い場所での行為に苦痛よりも興奮が勝る自分がおかしかった。けれどそれはも同じようで、背中をソファに預け、膝裏から片方の脚を抱え上げられても抵抗よりもむしろその結果与えられる波にばかり身体が反応する。

「っ、……っ、……っ!」

 健気なほどに最初の約束を守ろうと、必死に声を出さない恋人に英二は自分も苦しくなりつつある呼吸のまま荒々しく口付ける。動き方を忘れてしまった舌に吸い付けば左手がシャツをより強くつかみ、過剰なほどの水分を奪って唇から顎、首筋へとなぞり下れば右手が肩から首にかけて抱きつこうと必死になる。それに応えるためにはより深い侵入が最もであり、英二は思わず笑みを零してから前傾姿勢を取った。

「や、あっ……!」

 喉が夕闇に触れる。
 自由のない狭い世界で、動きよりもむしろ別のもの、感覚の自由すら奪われるその深い打ち込みにが顎を上げてようやく声を漏らす。幾度となく揺れる身体を支えるのはもはや背後のソファと英二のみだった。
 宵闇に埋まってしまいそうな濃い藍色の制服から、真っ赤なリボンが衣擦れの音を伴ってカーペットの上に落ちる。けれどそれを拾うことはおろか気づくことすらできないまま、はただただいつもとは異なる刺激の受け方に言葉にならない喘ぎと吐息を零す。違う角度から聞こえるいかがわしい音に幾度もかぶりを振った。
 濃紺の世界の中。冬の空気の中。
 限られた視界の中ではもはや目の前の愛しい恋人しか興味はなく、下げられた温度の中では自分たちの熱に頼ることの合理さを知る。抱きしめたいのか閉じ込めたいのか分からない行為に熱中するのが自分ひとりだけではなく、抱きしめられたいのか縋りつきたいのか分からない行為の中であられもない声を英二にだけ聞かせるだけを見せ付けられれば、この瞬間が間違っているなどとは欠片も思わない。



 最後の瞬間が近い自分の状態を知り、いつのまにか掠れそうになってる喉からそっと小さな名前だけを言葉にして出す。身体が揺れる瞬間と荒い息をする瞬間を重ねることしかできないは、小さく唇を開いたまま顔を上げ、泣きそうな顔で「英二」と名前を呼んだ。
 その視線を受け、縛り付けるかのように抱き寄せて深く己をその身体に刻み込めば、耳横で愛しくてたまらない声が最後の瞬間を迎えた。





 冬になってしまえば日暮れが早いなどというのは当然のこと。3学期という時間の枠の変化も、部活引退という生活の流れの変化も、馴染んでしまえば変化とすら思えない。今という日常の中に溶け込んでしまったこの放課後という時間は、気づけばあっさりと終わっている。まるで夜の宵闇を迎えるためだけに存在している、昼間との紐帯役でしかないようだ。
 けれどその時間に意味を与えることは、もしかしたら人間の自由に任されているのかも知れない。そう思えば目前まで迫っている藍色の空間は、優しさの色にしか見えない。
 英二はくるりとシャープペンシルを回したあと、頬杖をついて横を見る。

「っていう、夢を見たんだけど」

 目の前の恋人が絶句したのは言うまでもない。そして絶句の後、その「現場」とされた場所が今まさにこの空間であることに、は一瞬で青ざめる。

「私、今日用事が」
「嘘嘘、ないって言ったもん。俺今日確認したもん」

 慌てて立ち上がろうとしたの左手を掴み、あっさりと自分の右横に引き戻す。バランスを崩して英二に半分もたれかかるような形になってしまったことに気づいた時には、もう時既に遅い。

「ね、しよっか」

 腕の中に戻ってきた左肩に顎をおき、耳元でそっと囁く。英二は半分笑いを堪えるのに必死だったが、拘束されてしまったにその余裕などあるはずもない。

「大丈夫、今日みんなでご飯食べに行ってるから」
「大丈夫っていう問題じゃない、ここリビング……!」
「夢の中ならすっごい普通にできてたから、それは心配しなくていいよ」
「それは夢だから!」

 たしかに現実は夢のようには優しくない。英二の腕の中では本気に近い力でじたばたと暴れ、軽くではあるが英二の腕も叩く。ただ利き手である右にだけは決して乱暴な行為をしようとしないその優しさは、今この瞬間ではかえって逆効果だ。英二はにっと笑って、強く強くその細い身体を抱きしめる。
 どの行為にも愛しさを感じさせられてしまっては、我慢しろというのが酷な話。

「甘いな、。俺を誰だと思ってるんだよ」

 そして愛しさを感じさせてもらったのならば、それを返したくなるのが男の勝手。
 なにを、という半分怒りにすら似た驚きの目でが仰ぎ見る。英二はその視線にすら笑いながら、耳元に口を寄せてそっと囁いた。

「ね、抱かせてよ」

 が一番弱いと分かっている声のトーンで囁きかければ、それで万事終了だ。
 抵抗が止み、視線が窓の向こうに移り、沈黙が流れ、そしてうなじを隠していた髪がさらりと左右に流れ落ちていけば、それが合図だ。
 英二はうなじにそっと唇を寄せ、わずかに震えた身体を優しく抱きかかえて再び呟く。

の一番好きな俺で」

 返ってきたのは、夢と同じ。振り返らせ、抵抗しない唇にキスを送った後その右手はそっと英二の左手に熱を帯びてかかり、右手はカッターシャツを握り締めていた。



08/01/12