支配の行く末

 シーツの上に波打つ黒髪を見ることには慣れている。自分を見上げてくる視線を真正面から受け止めることにも慣れている。言い換えればこの空気、空間すべてに自分の身体は慣れている。
 彼女の肉体的自由を奪うことには、慣れている。
 何度目だろう、もはや数えることも馬鹿らしいキスをひとつ。睫毛の長さを改めて実感する距離にまで顔を近づければ、お互い自然と目を閉じる。柔らかいベッドに沈み行く身体を左肘で支えながら、ひとつ、またひとつと離れては近づく、触れるキスを繰り返す。その都度瞳はそっと開くが、その黒目に不安の色はない。あるとすればそれは暗黙の了解。
 支配欲とは傲慢なもので、その従順な視線を受けるごとに増長を繰り返す。はじめはもっと謙虚なはずだった、話をするだけでも幸せだったはずなのに。そんなことを思いながらのキスは、ますます深みを求める。
 そしてお互いの境目が分からなくなる口づけに心地よさを覚えたのはいつ頃だろう、そんなことを思えば欲は更なる利権を求めて動き出す。やり場をなくしていた相手の左手に指を這わせ、否応なく五指を絡ませる。自分とは違う温もりを指が、肌が神経が感じ取れば、もはやブレーキはきかない。

「……英二、お母さんが……」
「分かってる」

 それがどれほど無責任な言葉なのかは分かっていた。

「ごめん、でも久しぶりだから」

 自分勝手な言葉なのかも分かっていた。けれど。
 英二は、それを許してくれるこの温もりの前では自分の欲を抑えることができなかった。
 どのように表現すべきなのか分からない、とにかく衝動的なものに飲み込まれて何度となく唇を重ねる。自然の右手が英二のカッターシャツをつかみ、顎が幾分か上を向く。触れ合う場所がひとつずつ増える。いや、ひとつずつ増やしていく。
 頬。額。鼻先、時には睫毛。
 ただそれだけで、学校では見せないの表情、態度を手に入れることができる。

「っ……」

 室内に響くのは壁掛け時計の秒針の動きと、あとはが言葉を飲み込む音。
 自分の欲求は際限というものを知らず、しかも作り出そうともしないのか。冷静にそんなことを思いながら、それでも英二はその行為を止めず、ただ黙って右手を動かした。
 額にかかる前髪をさらりとのけてから、頬へ。滑ることしかしらないその肌の滑らかさを堪能した後は顎、そして首筋。鎖骨の窪みに触れればどちらのものとも分からない唾が飲み込まれ、その喉が軽く動いた。

 すべてが細く、小さく、そしてもろい。改めて英二は思う。
 そしてそれらを自由にする権利は今、自分にある。その意味を改めて考える。

 その時の右手が英二の左手へと伸び、自分がの皮膚をなぞるのとはまったく異なる感覚が背筋を襲った。まるでそれが縋りを求めているようで、英二は愚かなまでに安直に支配欲を意識させられる。

「……お母さんがいるから、じゃなかったの?」
「だって英二が……!」
「まあそうだけど」

 からかうような言葉には頬を火照らせる。けれど、その右手は離れない。
 その意味は。英二は自分を不満げに見つめる視線を真正面から受け止めながら考える。自分の視界、ベッドのシーツのみによって形勢された視界の中で自分だけを見つめるの視線の自由を奪ったこの状況で、思わず笑みを零しながら考える。
 自由の奪われた身体、けれどそれを拒絶しないこの状況。それがなにを意味するのか。
 答えは、自身の反応によって確認することができた。

「珍しいね」
「……え?」
「その気がなかったらいつも怒るくせに。……今日は怒んないんだ」

 セーラー服は便利だ。着服したままでもその手は腹部に進入可能、頬と同様滑らかな肌(幾分か体温は高かったが)に指を這わすことができる。あと少しで下着に手が届くか、その距離で呟いた一言に伊織はかっとなって慌てて起き上がろうとしたが、しかし所詮はその動きすら英二の手の届く範囲でのこと。

「!」

 左肘を使ってが上半身を起こそうとしたその瞬間、英二は触れていたの右手をぐっと掴んで引き寄せる。押し倒されるとこそ思えど、まさか起こされ拘束されるとは予想だにしなかったのだろう。今一度の口付けのために顎をつかんで視線を向けさせれば、の目は驚きに負けて丸くなっていた。
 立っていればそれなりの身長差があっても、座ってしまえばほぼ同じ。高低差の少ない唇に触れてその呼吸を奪うためには、その顔を上に向けさせるより他にない。少しばかり強引な方法に言葉をなくすに苦笑ししつ、英二は唇を寄せた。

「ちょっと……!」

 その時、ようやく反抗の狼煙があがる。がわずかに身じろぐ。
 けれどそれも所詮、英二の支配圏の中でのこと。

「だめ。だって怒んなかったもん、。それが答えだろ?」
「そういうわけじゃ……!」
「はいはい、言い訳は聞きません」
「英二の方こそ屁理屈ばっかり!」
「なに言ってんの、こんなにも正直なのに」

 そしてもう一度。言葉を交わすよりも唇を重ねてしまった方が本音を伝えられるなんて、まるで動物のよう。そう思うものの、けれどこの空間では理性よりも本能の方がずっと優秀であることを英二は知っていた。

 抵抗をなくすを自分が抱きしめる。自由を奪われる伊織を自分が支配する。それは冷静に考えれば理不尽な関係で、男はなんて都合よくできているのだろうと思う。
 けれどそれと同時に考えるのは、そんな自分をいつも許してくれるに自分が恋愛感情以上のものを抱くことこそが義務であり、むしろ権利であるということ。
 支配欲や独占欲が生まれる理由をに求められることこそが、幸福であるということ。

「俺、そんなにバカじゃないからさ。自分のことを知らないわけじゃないんだよ」
「え?」
「俺って単に女好きっていうわけじゃないだろ。いや好きだけど、なんていうの、女なしじゃ生きていけないとかそんなふざけたことは思ってないわけ。でも実際、今こうしてを独占してるんだよね」
「……英二、意味がよく……」
「だからさ」

 親指でそっとの下唇をさすり、わずかに開いたその口に軽く触れるだけのキスをしてから英二は笑った。

「俺はどれだけのことが好きなのか、きちんと分かってるんだよ。誰よりも」

 初めて手を繋いだ。初めてキスをして、そして初めて異性の身体を抱いた。
 比べるものをもたない今の状況で、この自分の言葉はどれほど頼りなくまた自分よがりな言葉なのかは英二は分かっている。けれどそれでも口に出さずにはいられなかったこの現実の意味も、きちんと分かっている。

 の瞳がじっと英二を見つめる。霞みも翳りもないその黒目に見抜かれることは、慣れたこととはいえ今でも背筋をなぞりあげられるような感覚に陥ってしまう。その感覚ゆえに相手をかき乱したい衝動を堪えながら、英二は黙ってその視線を受ける。そして思う。

 この場の敗者は、身体的自由を奪われたではないのだということを。
 勝者は、身体的自由を奪った自分ではないのだということを。

 しかしそんな英二の思いに気づくこともなく、は困惑の表情を英二にぶつける。

「……」
「男の言い訳だと思った?」
「否定はしません」
「あ、なんだよ。ひどいな、めちゃくちゃ真面目に言ったのに」
「真面目どころか……!」
「じゃあ教えてあげようか」
「!」

 幾分か乱暴に、けれど礼儀をもって。口内を侵し、息も切れ切れになるほどに口づける。苦しげに眉間に皺を寄せながらぎゅ、とが再び英二のシャツをつかむものの、けれどその行為は止まらない。
 いや、止めないと言うのが正しいのか。舌を噛まれるわけでも両手を使って全力で押しのけられるわけでもない、無言のうちに英二の心情が二人の総意に変わる。言葉よりも行動、動物的であれど理性より本能だとまたも痛感する。

 ただ、こうしてを自分の思考回路に飲み込ませながら。自分の本能に従わせ、その自由を勝ち取りながら。

「……まだ抵抗したい?」

 にっと笑ってそう尋ねたならば。

「……卑怯者」

 しばしの沈黙のあと、は下唇を噛んでそう答える。
 けれど、その瞳に日常の平静さは欠片もなかったものだから。手は、足はこの場所を離れようとしなかったものだから。

「逃げないことが答えなんだって気づいてよ」

 英二は笑ってそっと、その唇に口づけた。
 それ以上の言葉はいらない。無言のままただ時間をゆっくりと見送るかのようにキスだけを続ければ、はそのうち苦笑して、その細い腕を英二の首にまわす。それが合図だということは、いつのまにか決められていた。
 男と女の関係である以上、体格差は否めない。体力差ももちろんのこと。英二はの背中に手を伸ばし、テニスで鍛えている自分とは比べ物にならないほど細く柔らかい身体を抱きしめながら、そっと制服を脱がせながら考えていた。ひとつのことを。

 同意のうえとはいえ、の身体的自由は今から完全に英二の支配化になる。英二はその事実に直面しながら、そしてそれを支配欲の表れであり自分の望んだ結果であることと自覚しながら。
 しかし、だからこそ思う。自分に委ねられたの身体を独占、支配しながら強く思う。気づいてほしいと。伝わってほしいと。
 本当は、自分の方こそ思考の自由を奪われるほどに狂っているのだということを。



05/05/02