太陽と君とアイスキャンディ

「これは生徒に与えられた唯一の休息だと思う、いやそうじゃないとだめだ」
「俺たちだってこんな暑いとこに閉じ込められてたら水分が欲しくなるんだって!」

 そんな戯言を繰り返す英二に向かい、私は冷めた目をして。

「言い訳は終わった?」

 と尋ねたならば。

「すみません」

 とあっさり自分の非を認めたこの菊丸英二という男を、どうしようか。
 昼休み、ご飯の後に食堂で久しぶりにゆっくり話そう。そう自分から約束しておきながら、すっかりその約束を忘れているこの彼氏を、どうしようか。



 私たちの学校である青春学園は私立なのに冷房代を渋っている、それは生徒たちの間では結構有名な話だ。
 その分学費と一緒に払ってる施設費みたいなものはどこにいってるんだ、という疑問に答えてくれるような真実はいまだ浮上せず、そして生徒は買い食いに走る。それは純粋に水分補給を目的とする人からそれを言い訳に単に食べ歩きの旅に出る人まで、まあ理由は人それぞれ、私も常習犯だから何もいえない。
 そして、今目の前にいる私の彼氏も見事そのコースを辿っていた真っ最中というわけで。

「まあまあ、とりあえず。もここに座って」
「暑いのにどうしてこんなところに座らなきゃ駄目なのよ」
「コンクリート自体は冷たいよ、今日あんまり天気よくないし」
「というかね、水分補給とか言いながら今英二が食べてるそれ」
「え?」
「それはなに」

 薄汚れたような灰色のアスファルトの上、英二が何も知らないという雰囲気で顔をあげる。ついさっきまで口にしていた小倉のアイスキャンディ(それにしてもなぜ小倉)には見事なまでに英二の頑丈な歯型が残されていた。

 天気はよくないと英二は言うけれど、それも所詮青天ではないというだけの話。時折顔を覗かせる太陽はもちろん健在で、今だって見事に私たちはその直射日光にさらされている。なぜならここは屋上だからだ。
 迂闊にも日焼け止めを忘れてきてしまった私は、自分を照らしつける太陽も目の前に座る英二も両方睨みつけるしかなかった(世に言うやつあたりの部類に入るんだろうけれど)。
 そして、私の質問に対して英二は。

「……アイスだけど?」

 と、至極真っ当な回答をした。
 いやそうなんだけれど。たしかに今あなたが持っているものは、うちの購買部で絶賛発売中のアイスキャンディ、その中でもコアな人気を誇る小倉アイスキャンディです。既に半分近くなくなっていたけれど。
 ただ、今日の私はその英二の(ごく普通の)答え方を素直に受け止められるほど、冷静でも優しくもなかった。そう、思い出せばこの屋上に立っていること自体、もとをただせば私の「怒り」が始まりだったのだ。

 ゆっくりと視線を英二に戻せば、この誰もいない屋上でただひとり。何が楽しいのか(それとも寂しいのか)そんなアスファルトの上に腰を下ろして、晴れにも曇りにも属さない空を見上げてアイスキャンディをただひとりで食べている。
 私は半ば呆れ、ひだが崩れないようにスカートを丁寧に押さえながらそんな英二の横にしゃがみこむ。そして横のラインが綺麗な英二を覗き込むようにして、ひとつだけ質問をした。

「あのね、英二。なにかひとつ忘れてませんか」
 
 相変わらず小倉を手から離さない英二がこちらを向く。不細工覚悟で私は少ししかめつらをしながらそれを見つめる。

 昔ならこうして目を合わせる度に「肌綺麗だな」とか「顎のラインも綺麗だな」とかいろいろ観察がてら思うことはたくさんあったのだけれど、時間の経過というものは恐ろしいもので今となってはさほど動揺しない。言い換えればそれこそ昔はこれをネタにされて英二にからかわれたこともあったのだけれど、英二もそんな遊びには飽きたのだろうそんなからかいも最近はめっきり減っていた。
 そして今日も例に漏れず、英二は何気ない顔をして。

「……忘れるって、なにを?」

 悪びれる様子も、慌てる様子もなく。淡々と。むしろ初耳だとでも言わんばかりに。
 ああこれは素だ、間違いなくこの人は素で聞いてる。私はそう思い、ため息すらつくことができなかった。

「……本気で言ってるよね、その顔は」
「え。なに? 俺なんかと約束してた? ていうかこれ食べてたことに怒ってたんじゃないの? 違うの?」
「(私は色気より食い気?)……いや、もういい。もういいよ、私が悪かったから」
「ちょ、ちょっと待って! 思い出すから!」

 ようやく慌てだした英二をよそ目に、私はしゃがんだまま空を見上げる。
 空を流れていくのは太陽の日差しを遮断してくれる、薄いけれど大きな雲たち。今日の天気は午後から快晴だったから、今からどんどん青空が広がっていくのだろう。心なしか風も強くて、髪の毛が乱されるのに比例して雲もたくさん移動していく。きっと太陽がもっと空を独占し始めたら、それは午後の天気予報どおりに時間は流れているということなのだろう。

 そう、青空が広がっていくのは午後を迎えた証拠。お昼休みが終わっていく証拠。

 私はしゃがんだままでいるのも疲れてきて、諦めてアスファルトの上に腰を下ろした。真横ではまだ英二が考えあぐねていたけれど、そんなものはもう捨てておくことにする。
 大体、私がここに来ていることはちょっとした喧嘩の始まりのようで、その実。実は。

(私が負けを認めてるって言ってるようなものなんだよね)

 たとえその横顔に昔ほどの動揺はなくなっても。新しい発見はなくなっても。
 けれどそれが倦厭を意味しているのではないということぐらい、私が一番よく知っている。

 目が合うだけで緊張した、ひとつひとつの会話を家に帰ってから何度も思い出した、同じ想いを抱く女の子の前で自分にだけ話しかけてくれる彼との、そんな一瞬一瞬を小さな誇りに思っていた。そんな片想いの時期を私はけして捨て去る記憶とすることはできない。レギュラージャージを私にすぐに見せてくれたこと、応援に行けば必ず1回は話しかけてくれたこと、どんな時でも私が話しかけたらきちんと会話をしてくれたこと。そんな両想いを期待してしまうような、1日1日を色濃く感じていたあの頃の記憶があるからこそ今があると、そう分かっているからこそ昔の記憶は大切だと分かっている。

 けれど。私はアイスキャンディ型の雲を見つめながら、ただふっと。

「……あーっ!」

 思い出したらしい英二が絶叫をあげたのを聞きながら、ふと。

(そんな昔より幸せな今は、どうしたらいいのかなあ)

 テンションの上がり下がりが激しいわけでもない。恋人同士と呼ばれることにもその視線で見られることにも、既に新鮮味はない。
 それでも断続的にしか、一時的にしか訪れてくれなかった片想いの幸せに対して、まがりなりにも恋人同士となっている今の、この何の不安もいらない落ち着いた気分の心地よさは何にもたとえようがない。それが幸せだということに気づかせてくれたのは、この横の人だということを私は知っていた。

 真横をちらりと見れば、遠い存在だったはずの英二が両手を合わせて謝っている。
 昔もこんなことがなかったといえばそれは嘘になる。私たちは付き合う前からなにかとくだけた会話をしていた。
 けれど、無意識ながらも英二に嫌われないことを第一に、機嫌を損ねないことを第一に言葉を選んでしまっていた昔とは違って。目には見えないけれど、それでも絶対に存在している壊れない「なにか」(それが永遠のものであるかどうかは別としても)がそんな心配ごとを消してくれているのはまぎれもない事実。

「ごめん、ごめん! そういえば今日だった!」
「……思い出した?」
「すみません」

 今日2回目のその言葉を呟き、英二は小倉アイスもそっちのけで私に謝っていた。
 約束を破ったことを気づかせたい気持ちはあっても、それを元にして追及を続けようとまでは思っていなかった私は、ようやく小さなため息をひとつついて手のひらを差し出した。
 もちろん、追及する気はなくてもきちんと代償をくださいという笑顔をつけて。

「え」
「ここには水分補給にくるんでしょ? 教室暑いもんね、ここも暑いしね」
「……あ」

 天気予報通り、空からは太陽が垣間見える。また肌に降り注ぐ日差しが強くなる。
 英二は私が言わんとしたことが理解できたらしく、ちらりと自分のもつ小倉アイスを一瞥したあと逡巡して、けれど結局渋々ながらも私にその食べかけ小倉アイスを差し出した。

、小倉は嫌いって言ってたじゃん」
「嫌いじゃないよ。普段食べないだけで」
「この前メロン味がおいしいって言ってたくせに……!」
「それは小倉が嫌いっていう意味じゃないでしょ? まあメロンの方が好きだけど」
「うっわ、ひど! 俺のあずきなのに!」
「なによ、ちょっと! 子どもじゃないんだからアイスぐらいで駄々こねないでよ!」

 約束を破ったこともどこへやら、好物の小倉アイスを奪われたことがよほど悔しかったらしい英二はポケットから携帯を取り出して、無言のままメールを打つ。
 私は少しだけ溶けかけのアイスをかじりながら、その様を見つめて「誰に打ったの」と尋ねれば。

「不二。お金出すから俺の分のアイス買ってきてって」

 両腕を後ろにつき、両足も無気力に投げ出して。青みを増していく空を仰ぎながら呟く英二を見て、私はもうこの空間が怒るとか叱るとかいうレベルのものではないことを知った。
 多分それは拗ねからくる子どもじみた理由ではないんだろう。あっさりと引き下がったのも、きちんと自分が悪いということを認めたからなのだろう。
 
 私は静かにアイスを口にしながら、けれど改めて英二を見つめる。横顔が綺麗だった。

 英二はよく気分屋と呼ばれていて、テンションの落差が激しいのは確かに事実だ。
 けれどけしてそれはわがままなんかじゃなくて、皆がからかうほど物事を理解していないんじゃなくて。たとえば今だって、(……まあ不二くんに買い物にいかせるのは俗にいうパシリと同じなのだけれど)今更だけれどそれでもきちんと「本当に今日ごめんな」と謝ってくれたりして。

 つまり、英二は人が人として生きていくうえでとても大切な素直さを持っている。
 そしてそれは昔と全然変わらない、私がこの人に惹かれた理由だったことを思い出す。

 私は緩む頬をどうしようもなく思いながら、英二と同じように空を見つめて尋ねた。

「不二くんに何を頼んだの?」
「小倉」
「また?」
「と、メロン」

 空を仰いだまま淡々と。そんな差し出された優しさに、私は声をあげて笑う。
 片想いの頃は片想いの頃で、もちろんそれは捨てられない記憶だけれど。あれはあれでもちろん大切で、心地よくて、楽しくて嬉しさで胸がいっぱいになる記憶だけれど。
 けれど幸せという意味では、やはり今のこの瞬間には叶わないなあと心から思う。

 太陽が見え始める。お昼休みが終わろうとしている。

 見事なまでの笑顔を浮かべてアイスキャンディ3本を買ってきてくれた不二くんが屋上に現れたのは、それからすぐのこと。私たちは夏の日差しを届けてくれる太陽の光のもとで、他愛もない話をしながら冷えたアイスキャンディを食べた。好物のはずのメロンアイスは、けれどその前に食べた小倉の妙な美味しさを払拭することはできなかった。
 今度買う時は小倉アイスにしよう、と思って英二を見ると、どんな顔をしていたんだろう私の顔を見て英二が笑って新しい小倉アイスを一口くれた。
 お天道様。やっぱり私はこの人が大好きです。



04/05/09