不二周助くんの3年6組日記 英二の魅力編

 3年6組という場所は、なかなかに侮れない。
 改めてそんなことを思う。そんな、梅雨まっさかりの雨を見つめるある日のお昼休み。
 4時間目の英語が終わった後、「大石のところに行ってくる」と一言言い残して、僕の親友は3年2組へ行ってしまった。あっさりとそれにOKサインを出したものの、既に10分経過しているというのにその親友は戻ってくることはおろかその気配すらない。僕は色々と諦めて、窓際の席で1人でお弁当箱を開けた。
 今日も相変わらず雲は濃灰色だ。やってくる雨たちも日を追うごとに太くたくましいものになっている気がする。せめて小雨なら室外トレーニングも可能だろうに、と思いながら、僕は母さんが作ってくれたサンドイッチを口に運びつつ物思いにふける。

 そんな時。ただでさえお昼休みで騒がしい教室内から、まるでここまで逃れてきたかのようにひとつの会話が僕の耳に入ってきた。

「でもさ、菊丸くんって格好いいっていうよりは可愛い、でしょ?」

 ウィンナをものにしようと動かしていた箸がぴたりと止まる。雨たちを見つめていた視線がおもいきり教室内に向けられる。
 別に、彼の名前が会話にあがることは大して珍しいことじゃない。なにせ彼はなにかと目立つのだ。必要以上に目立つのだ。そんなことを言ったら「不二の方こそ女子をキャーキャー言わせすぎなんだよ」と反論されたが、それは不可抗力なので僕の知ったことではない(と、言ったらおもいきりタオルを投げつけられた)。
 そう、それは確かに珍しいことではないはずなのだけれど。

(珍しい。滅多にそんな会話は許さない子だと思ってたのに)

 ウィンナをいただきつつ、僕はしっかりとその会話をする集団を見つめる。
 机を4つ、綺麗にくっつけて。そして色とりどりのランチマットを用意して、箸片手にご飯を食べることよりも言葉を発生させるために忙しそうに口を動かす、その集団。
 ……そこには、紛れもなく僕の親友の彼女がいた。

(……彼氏批判か?)

 次の卵焼きを食べつつ、僕は限りなくそしらぬふりをしながら会話に耳を傾ける。
 別に女子の会話それ自体に興味があるわけではなかったけれど、会話の主役が彼なら話は別だ。そしてその会話をするサロンの中にその彼女がいるのなら、既に特別例状態だ。
 そんな僕に気づく様子もなく(なんてナチュラルに盗み聞きをしているんだろう、僕は)、女子4人組はそのまま会話を続ける。

「そりゃ身長は低くはないけど、でもあの目って反則じゃない」
「あー、わかる。あれ反則だよね。女子よりもぱっちりしてる」
「マスカラとかいらなそうだよね」
「肌綺麗だしねー、案外手入れとかしてるんじゃないの?」
「菊丸君が?」

 瞬間、教室中に響き渡る笑い声。けして侮蔑の色は含んではいないけど、それにしても……大きすぎるよその声は。
 しかし、当の本人の彼女を目の前にしてする会話とは到底思えない。
 少なくとも僕の親友――つまり3年6組6番菊丸英二という人間と、その彼女の恋愛話は校内じゃ結構有名だ。色々な意味で、有名だ。例えば、

「俺、きっと邪魔者なんだよ……」

 と、ダブルスのパートナーである大石は視線を落とし、

「つーかあれってみせびらかしてるんですよね、エージ先輩が」

 学年が違うのに、それでも桃はあっさりと2人のデートコースを報告し、

「飼いならされた猫とそのご主人なんじゃないんすか」

 むしろ君の方こそああいう爽やかな恋愛トークをすべきだよ、とつっこみをいれたくなるほどに越前は冷めた瞳で見事な定義づけを果たし、

「いや、俺、先輩には色々と世話になってるんで、下手なことは言えないっす」

 というかどうして君が彼女の方と接触があるのかな、どういう繋がりなのかなと結局つっこんでしまった海堂は、あれ以来彼女の話題を振ると妙にそわそわし。
 しかし、なによりすごいのは。

「不二、これを菊丸に伝えておいてくれないか」
「あれ、手塚。英二なら今日は欠席だよ、風邪だって」
「なに? 仕方ないな……じゃあ、彼女に」

 という、この会話。
 あの手塚国光との会話の中に、「彼女」という単語とともにその存在を認識されていた、彼女の存在こそ。これこそ、天変地異もいいところではないか。

(……とりあえず、あの子は色々な意味で特別なんだ)

 僕としては海堂との関係を聞きたくて仕方ないのだが、今日のところはとりあえずその話はおいておくことにして。
 とにかく、学校内の大多数の人間が認知しているその英二の彼女の前で、まさか英二批判は……しないだろう、しないよね、そうだよね? なんて心の中で確認をとっていた、まさにその時。

「ていうか、彼女から見た菊丸君の一番の魅力って、なに?」

 飛び越しもいいところな、突然の急アクセル。
 視線だけはせめて違うところを向いていよう、と無意識に「6組 掃除当番表」を見つめていた僕は、その唐突すぎる質問に思わず吹き出しそうになった。
 いや、しかし。僕はぎりぎりで自らの体勢を保ちながら思う。

(……僕も、それは聞きたいかも)

 黒板の横に貼られた「掃除当番表」には、音楽室の枠の中に書き込まれた「菊丸」の文字。そして僕の名前。ああこれは掃除の時のいいネタになる、と思いながら、僕はちらりと視線をその集団に向けて次の言葉を待つ。
 僕からは背中しか見えない、彼女の姿。周りの3人が一斉に彼女に視線を向け、そして嬉々とした表情で続きを待っている。そして僕も待っている。
 そして、しばらく考えこむ様を見せた後で、彼女は。

「……腕、かな」
「は?」
「腕。ここ」

 夏服の袖から伸ばされた綺麗な自分の腕を指差し、彼女は淡々と答えた。
 周りはかなり絶句している。面白いぐらいに絶句している。
 けれど僕は違った。僕は英二と同じテニス部員として、彼女のその答えは結構妥当というか、的を得ているというか、英二の本質を見ているんじゃないかと思った。残りひとつになったミートボールを食しながら。
 
 僕も英二も、テニス部員だ。テニスにかける思いは並大抵のものじゃない。
 テニスをする人間にとって、腕は絶対に欠かすことのできない部位というよりも、むしろテニスに生きる人生においては、膝と同様に相棒という表現の方が正しいんじゃないかと思うものであって。

 ああ、すごく妥当だ。改めて僕はそんなことを思い、そして英二が彼女のことをすごく大切にしている事実を思い出して、そして、ものすごく当たり前だと思い直して。少しだけ温かい気持ちになりながら、残りのサンドイッチに手を伸ばそうとした、その時。

「英二ね、ここの動きがいやらしいんだよね」

 どうして、こう。
 ……女の子の会話というのは、隙を許さないのだろうか。

 僕はとりかけたサンドイッチをものの見事に床に落とし、前の席に座っていた安藤にからかわれながら動揺する心を鎮めることに必死になる。いや別に僕が動揺する必要なんて全然必要なくて、……むしろ、女子たちはそちらの方が「まってました!」という感じで彼女の次の言葉を期待していて。
 あいかわらず僕の反応に気づかないまま、彼女は淡々と魅力について語りだす。

「あのね、長ジャージあるじゃない。テニス部の」
「うん、あるある」
「英二……っていうか、テニス部の皆結構それ着てるでしょ? 今も」
「あー、うんうん」
「でも試合をする時はあのジャージ脱がなくちゃだめでしょ?」
「うん。それで?」
「英二ね、あの脱ぎ方がものすごいいやらしいんだよね」
「あっはっは!!」

 いや待って。そこ笑うとこじゃないよ。
 大爆笑をおこして皆の視線を集めるところじゃないよ。
 ……というか、というか!
 いやらしいって、それって……!(もはや言葉にならない)

「こうね、チャック下ろして……脱ぐ時のタイミング。肩から二の腕の動きがね」
「いいよ実演しなくて!」
「リアルすぎるから!」
「え、ちょっと待って。ここのね、脱ぎきろうとする時の指がね、」
「マニアックすぎるから!」

 笑い死にしそうな周りの女子が必死に会話を止めようとする。
 僕は俯きながら、心の中で静かに冥福を祈る。そして思わずサンドイッチもそのままに3年6組からごく普通の動きで廊下に出て、そして、避難した。

「い、乾……! ちょっと!」
「ん? どうした不二、笑い死にしそうな顔して」

 11組の教室の中にいた親友を、慌てて呼ぶ。偽装中学3年生よろしくな乾は僕のヘルプをあっさりと受け取り、そして僕の報告を聞いて、言葉を失った。

「……名言だな、それは」

 頬のあたりがひきつっていたことを、僕は一生忘れないだろう。
 僕は乾とともに冥福を祈る。今日は「可愛く格好いい菊丸英二」伝説の消滅日だ。なぜならそんなものはもはや魅力でもなんでもない。

 今日からは、「腕のいやらしい菊丸英二」伝説が青学中に響き渡るのだ。

 彼女公認のこの魅力は、きっと本人でも消滅させられないだろう。なぜなら女子の噂話好きは無敵に近いのだ。しかもオフィシャルときたら、消えるどころかあとはもう浸透するのを待つしかない。

「よし、今日の部活で越前にこれを聞かせよう。どんな反応をするのか知りたい」

 乾のそんな一言を聞きながら、ああ僕もこの新しい伝説浸透に貢献してしまったのかとふと思った。思っただけで訂正はしなかった(なぜなら面白いから)。

 とりあえず、菊丸英二は腕がいやらしい。らしい。



04/02/04