| 不二周助くんの3年6組日記 |
とりあえず、僕には青春学園中等部3年6組に一番の親友がいる。 彼はテニス部仲間でもあって、けれど1年の頃は正直な話あまりに騒がしいので話すことも滅多になかった。その頃の僕といえばやけに大人びた手塚ややけに世話焼きな大石ややけにデータをとりまくる乾と一緒にいて、まあとにかく彼とはあまり会話をするような関係じゃなかった。 彼はどちらかといえば社交的というより開放的な性格で、タカさんと野球やサッカーの話をしてすごく盛り上がっていた。乾はそんな彼を1年のムードメーカーと称し、手塚にあれぐらい冗談を言うようにしろとつっこむほどに騒がしかった(今思えばまだ2年前の手塚は可愛いもので、感情をむき出しにすることもざらにあった。『あれぐらい話した方がいい』と乾が断言したのはそんな可愛い手塚に対してだったのだから、その時の彼がどれほど騒がしかったのか想像してもらえると思う)。 そんな彼が単なる騒がしさから少しずつ落ち着きを見せ始めたのは、ちょうど1年の文化祭が明けた頃。顕著に表れ始めたのは、夏がすぎて校内ランキング戦に参加し始めた頃だったように思う。 思えば、その理由は至極簡単なものだったのだと、最近の僕は改めて感じるようになっている。 「なあ、今度俺試合なんだけどさ」 「うん」 「それで、もう部活はスパルタ状態なんだよ。手塚が鬼みたいに走らせるわけよ、乾がバカみたいにあの汁ばっか飲ませるわけよ」 「そうなんだ、ふうん」 「つーことはさ、俺は忙しくなって宿題をやる暇もないと。そうなってくるじゃん?」 「で?」 「頼む! 数学写させて!」 「却下」 「っ!」 今日も今日とて似たような会話が教室に響く。 僕は数学の教科書とノートを机の上に出しながら、目の前で繰り広げられている痴話喧嘩にそっと目を向けた。あいも変わらず英二は彼女に懇願し、そして彼女はあっさりと拒絶する。その時浮かべているのが笑顔なものだから、これはもう長年の付き合いはやがてこういう恐ろしいものになるのだということを僕に教えてくれている気がした。 それにしても、人の目の前で言い争いをするのはいい加減やめてもらいたかった。けれどそれを今言ったら多分彼女にもすごい剣幕で見られそうなので、とばっちりを避けるべく僕は観戦に徹することにする。 彼女は、怒らせると怖い。菊丸英二の数多くの犠牲の上に証明されているそれらのことを、僕は彼の親友として嫌というほど知らされている。 「駄目、無理。約束だったでしょ、月に5回までって。5回写させてくれたらあとは自力でやるって、前にそう言ったの英二でしょ?」 英二の彼女であるさんは笑顔でそう言い放ち、手に持つノートを背中に隠した。そのノートは英二が勝手にさんの机から引き出したもので、さんがいない間に写してしまおうとしたところをあっさりと奪い返された、今目の前で繰り広げられているのはまさにそんな状況だった。 彼女の説明を聞かされてみればどう考えても英二に非があるのだけれど、そんなことで引き下がる程度じゃ菊丸英二と言えない。この後に続くであろう逆転劇を想像して、僕は椅子に座ったままその光景を見つめた。 さんは学級委員に選ばれるような人だから、基本的に真面目だ。生真面目だ。先生の評判もいいし、何よりクラス内できちんと信頼を得ている。僕は彼女のいる身だからあまり深くは言わないけれど、それでもさんは人に好かれるか好かれないかと言われればもちろん前者の部類の人だ。だから、そんなさんの彼氏があの菊丸英二だと初めて知った人は基本的に驚く。 けれど、実のところさんは本当に英二に弱いということを、一体どれだけの人間が知っているのだろうか。何度かノートを取り返そうとする英二とそれをことごとくかわすさんを見ながら、僕はひたすら笑い出しそうになるのを堪えるのに必死だった。 「冗談じゃない、どうしてわざわざ英二の数学の点をさげるような真似をしなくちゃならないのよ。この前の実力テストですさまじい点数を取ったのはどこの誰?」 諦めの悪い英二に少しばかり苛立ちを感じたのか、さんはクラスの視線も気にしないでそんなことを言い放った(というか1年生の頃から縁があり、同じクラスになって久しいこの2人は、基本的に周りの視線なんて気にしてくれないのだけど)。 「テストは関係ないって。とりあえず今の俺はそれがないと次の50分を切り抜けないんだよ! 俺があたるってことだって知ってんじゃん!」 「知ってるから写させないんじゃないの。自分の力でやらないと英二上に上がれないよ」 上、というのはもちろん青春学園高等部進学のこと。そういえばこの前上に上がるか他校を受験するかの調査票をもらったようなことを思い出す。英二は基本的に同じことをずっとしていられるほど気が長い人間じゃないと思うので(テニスは除く)(あ、あとさん関係も除く)受験勉強が嫌だという消去法で僕もさんと同じように、英二は上に上がるのだと思っていた。 けれど、そのさんの言葉を聞いて英二は鼻で笑った。 そして、衝撃の一言を口にしたのだ。 「いいよ俺、外受けるから」 「え」 「え」 目を丸くするさんと声が思わず同時に出てしまった。まさか、と思ってしまって言葉をなくしてしまう。 けれどその瞬間英二がチラリと僕を見た。悲しいかな、このクラスで僕の一番の友達が言わんとするところはそれだけでなんとなく分かってしまう。 「真面目になるために外に出るよ。青学ってさー、なんていうか雰囲気柔らかすぎると思わない? ここで高校から氷帝とかルドルフに入ったら、俺だってもっと賢くなると思うんだよね」 けれど自信満々にそう言った瞬間、その作戦は失敗だと僕は感じた。 哀れ、僕の一番の友達はずる賢くて色んなことを思いつくけれど、その出来不出来の差は恐ろしいほどに激しい。そして悲しいかな、その成功率を見極めることは僕の十八番だった。 多分、英二はさんを動揺させたくて(恋愛につけこんだ捨て身の戦法)(というか今僕に頼んだら見せてあげるんだけど、まあそれは英二がさんのことしか考えられていない何よりの証拠なのであえて言わないでいる)そんなことを言ったのだろうけど。英二のことが好きなあまりにさんがおろおろと動揺してくれることを狙ったのだと、そう思うのだけれど。 やっぱり英二はさんの前では弱いと痛感してしまう。 (それ、全然戦法になってないよ英二) 心の中でそっと呟いた瞬間、さんが僕たち2人の前で大きなため息をついた。 「あの学校に入れるぐらいの頭が、英二にあるならね。どうぞ受けて下さい」 私は何も関与しませんから、なんて。さんはあっさりと許諾の姿勢を示した。 あまりに予感的中で、もうそれだけで僕はとにかく笑いたくて仕方なかったんだけど、それでも一応観戦を決め込んだ以上口出しは出来ない。英二は目の前で唖然としていた。 なんていうか、だから、英二。僕にも分かる真実をあえて言葉にするとすれば、英二の勉強を今まで見てきたのはさんでしょう。 そのさんの協力なくしてどうやって入学試験を乗り越えるのか、今回はそこまで頭の働いていなかった英二の完全な負けだった(大体さんが英二に惚れて惚れて仕方ないなら、そんなわざわざ離れることに協力しないと思うんだけど)。 「ああそうだ、氷帝に行くぐらいならやっぱり自分で勉強しなくちゃね。私みたいな一般人のノートなんか写してたら英二に悪いよ、ね?」 「あ」 「そうだよね、あの氷帝だもんね。あそこに行きたいなんて、さすが英二! 私が見込んだだけのことはあるわ。でもごめんね、私そんな英二の助けになるような女じゃないの」 悪知恵はなくても英二より数倍賢いさんは、あっさりと逃げ道を見つけてあたかも悲しそうに頷く。 さんの頭の中では氷帝というのは跡部みたいなのが沢山いると、そういう解釈が出来上がっていると英二が呟いていたのはどうやら本当だったらしい。 関東大会一回戦のあの日、英二以上に飛ぶ向日岳人に衝撃を受けていたさんはその後僕とタカさんの試合を見ず、手塚戦だけはと誘われて戻ってきたテニスコートであの衝撃の一幕を見てしまったのだ。勿論さんは氷帝が進学校だと知っていただろうけど、さらにその上に追加されてしまったのがあの跡部の『開幕セレモニー』。跡部がJr.選抜経験者でありその上手塚並の腕を持つと僕たちレギュラーは誰もが知っていたけれど、あまりのさんの衝撃ぶりを面白がって結局誰も真相を伝えなかった。そのあだが今現れていることに、僕としてはもうどうやって笑いをこらえていいのか分からなくなる。 「ちょ、ちょっと待った。やっぱりやめる」 さん勝利に傾きかけた雰囲気を掴んだ英二が慌てて首を横に振る。 「え、どうして? 私助けにはならないけどすごーくすごーく応援するよ?」 「ワー! もういいっ! ごめんなさい俺が謝ります、とにかく今は宿題写させてくれよー!」 「だから駄目だって。往生際悪いなあ、本当に……」 「それでも彼女かー!」 「彼氏ならもっとしっかりして下さい」 そんな痴話ゲンカは6組では見慣れたもの。いつまでたってもこの調子なのにそれでもクラスメイトから煙たがれないのは、英二のキャラとさんの信頼のおかげだった。この2つがなければ、多分僕でも教科書なりなんなり投げつけているような気がする(多分誰もがそう思っている)。 その時僕は、そういえばこの2人って教室内では絶対さんが勝つよな、なんてことを思い出す。 でも実のところ。実のところ、裏取引というものがあって。 そろそろ出る頃じゃないか、と思ったちょうどその時、英二がにっと口の端をあげて笑った。 「分かった、今見せてくれないなら俺にだって手段がある」 「なによ」 さんはまだ気づいていないらしく、普通の態度。 これがあと数秒もすれば、真っ赤になって何も言えなくなることを僕は知っている。 ……というか、知らされている。 「なー不二、聞いてくれよ」 「なに?」 「……?」 突然話を振られても僕はわりと平然としていられる。何故なら、そう来ることを知っていたから。 いきなり話の流れが僕に向いたことにさんは驚いていたけれど、ごめんさん。こうなってしまったら僕も英二側につくしかないんだ。 何故なら僕は、面白いことが好きだから(きっぱり)。 「この前俺、テスト勉強はとするって断ったよな?」 「ああ、タカさんが一緒に勉強しようって言った日? そういえば英二だけこなかったよね」 「そうそう。でさー、の家で勉強してたはいいんだけどさー……やっぱ、なんつーか。二人っきりだとすることって限られてくるじゃん」 「!」 話の流れを読み取ったさんが息を飲む。 ああ、本当に僕はなんて親友をもったんだろう。クラスの学級委員を敵に回すリスクを軽く消してくれる何かをもらわないとつりあわない、と笑顔を浮かべながら切に願った。 「ああ……そうなっちゃったんだ」 「!!」 その時さんが、もう見ていて可哀想になるぐらい顔を赤くした。とにかく申し訳ない気持ちと、少しだけ楽しい気持ちと。 英二の作戦に乗りながら、僕は心の中で英二にお悔やみを述べる。 英二はやっぱり分かっていないと、思う。なんてことをぽつりと。 「でさ、その時俺思ったんだけどさ」 「英二!」 大声でさんが叫ぶ。それこそ英二の思うツボ。 けれど、それが英二の不幸の始まりだということは……多分、本人は気づいてなかった。 英二が気づいていないのは、そんな話が通用するのは所詮男社会の男子テニス部内での話だということ。彼女がどうだとか、それより深い話をおおっぴらに出来るのはあのテニス部の中だからの話だということ。 僕はさんを不憫に思うあまり、そのことを結局言わずにいたら。 「セクハラ!」 なんて、突拍子もない言葉が飛び出した。 それどころかやっぱり純情(少なくとも僕から見ればそう思う)なさんは、それだけでは収まらず、なんと。 ……その涙目状態の目を、僕にも向けてきた。 「英二のバカ! 不二君も!」 「はっ?」 「え」 真っ赤になってさんは叫び、予想だにしなかった言葉に(英二も彼氏として多分ショックだろう言葉)思わず僕たちは言葉をなくす。その瞬間にさんの手がこれまた予想だにしなかった行動に出て、手にしていた数学のノートで英二の頭を叩き、そして僕の頭まで(それでも英二のに比べれればそれはそれは軽く)叩いた。 「ってぇ! おいっ、なんで叩くんだよ!」 「英二がバカなこと言うからでしょー?! もうやだ、そんなこと言うならやだ! 絶対やだ!」 「……」 「黙ってないでなんとか言えよ、不二!」 「……いや、だって」 教室だということも忘れて泣きそうになったり叫んだりしているこの2人は、結局自分たちのことしか目に入っていないのだと思う。やっぱり。 約2年前、騒がしさの目立つ新入部員だった英二が急に真面目になったのは、まずは手塚にこてんぱんにやられてからだった。その後文化祭あたりを境にして俄然張り切りだして、騒がしくもなくなって(相変わらずムードメーカーではあったけど)、ランキング戦が始まる頃にはある程度落ち着きをもった、少しだけ大人びた雰囲気を持つようになった。 その理由は、今思えば至極当然というか、もうそうならないければむしろおかしかいもの。 結局菊丸英二を動かしていたのはあの時から今までずっと1人だけであり、言い換えれば英二はその1人を相手に成長してきたものだと、3年間同じ部活内にいて僕はひしひしと感じていた。 それを確信したのは、この2人と同じクラスになってから。 「氷帝でもどこでも行けばいいでしょ、勝手にしなさいよ!」 「だからそれはもう行かねえって言ったじゃんか! 今はとりあえずノート! ノートだって! 貸してくれよー!」 「……あのね、お2人さん」 泣き叫ぶさんと怒り叫ぶ英二と。 僕はそんな2人と、睨み据える視線を前にして。とりあえず制止を請うのだけれど。 それでもやっぱりいつでも相手を意識しすぎなこの2人は、結局僕の言葉にも気づかずに数学教師のお目にとまることになってしまった。 「、菊丸。お前ら昨日の宿題全部2人で解け」 いつのまにか全員着席していた3年6組。真横からかけられたその言葉に2人はぴたりと動きを止めて、くすくすと笑いのもれる教室内の視線を一斉に浴びていることを、その時になってようやく知った。……みたいだった。 僕はといえば勿論放課の時から自分の席に座ったままだったし、机の上には教科書とノート。いくら会話に混じっていたとはいえ、それは英二に引き込まれたごく一部だけ。 自分の身のおかれた状況がようやく飲み込めた英二はものすごい勢いで僕を睨んできたけれど、さすがの僕もそこまでお人よしじゃない。先生に連行されていく2人に軽く手を振ってから思い出し笑いを堪えるのに、むしろそっちに忙しかった。 英二が1年の時から恋い慕っていたさんと付き合うようになったのは2年になってから。その時はまだ違うクラスだったから、のろけの被害は部活内に留まっていたけれど。 それでも一緒のクラスになってしまった以上、同じクラスの人間としてはもうその状況に耐えるというか、むしろ楽しんでいいような気にすらなってきた。おもしろいぐらいに相手のことしか考えていない2人は、なんというか、やっぱり見ていておかしい。 「だからあ、俺解いてきてないって言ってるじゃん」 「氷帝行くなら自力で解いて」 「ケチ」 「セクハラ」 「……午後ティーで手を打とう」 「土曜日のデート代で手を打ってあげる」 「なんだよそりゃ!」 「なんだもなにもないでしょ?!」 「お前ら、早く解かんか!」 黒板の前でひそひそ話で展開されていた裏取引も、所詮先生の見つかるところとなって2人してまた叱られる。勿論それはクラス全員が見守る中教壇という視線の集中地点で痴話ゲンカを始めるせいであって、決して僕たち観客が悪いわけではないのに、叱られて笑われる英二はクラス全員を敵と思ったようだった。 とりあえず、ある程度被害を蒙った僕としては。 この一連の出来事をレギュラーに報告して、もう少し英二を笑い者にしてみようと思った。 ……それぐらいしても、多分バチはあたらないと思う。 |
| 03/02/06 |