| 絆の証 |
英二はよく笑う。よく話すし、よく触れる。 人とのコミュニケーションをそれで取ろうとしている、というよりはその人のためにそうしてあげてる、みたいな。 それはクラスの中で英二の行動を見ていれば一目瞭然だった。相手が何を求めているのかを考える癖が出来てしまった彼の行動は悲しいぐらいに周りを喜ばせた。 誰も英二の本心に気付くことなく、ただ笑っていた。 社会科準備室は、教師たちですら使わなくなった教材置場。 ……という定説が最近瓦解し始めていることをはひしひしと感じていた。気管を刺激する埃っぽい空気に咳き込みながら、たった50分のためだけに使う教材を探す。公民で何の教材を使うのかははっきり言って謎だったけれど。 しかも六時間目の授業で使った後は、絶対自分がここまで返しにこなきゃならないんだろうけど。 「最悪」 咳き込んだままは白靄のかかった空間をなんとか打破すべく、窓へと手をかける。使われなくなった窓の鍵は固くてそれだけで体力を奪いそうだった。 五時間目が三年担当教師たちの臨時会議のせいで自習になったことも災いしてか、遠くから歓声が飛んでくるのを受け止めなければならないこの立場にはため息をつくしかなかった。 「英二に付き合ってもらうんだったかな……」 呟いた後、は一人でため息をついた。 本当は恋人だから独占したい。自分だけを見て欲しいし、自分だけがその視界に映りたい。英二にもそういう気持ちであってもらいたい。 我がままだって分かっていても、人並み以上の感情を抱いた後ではもうどうしようもなかった。 どうして自分の彼氏は異性以外にももてるのか、人間的観点から言えばそれは嬉しいことなのだけれど彼女の立場からすると複雑なことこの上ない。そしてさも当然のように女の子からもちやほやされる。彼女がいることを好ましく思っていない人なんてごろごろいる。 だから今日も昼御飯を屋上で食べた後、教室に戻ってきたらクラスメイトに独占されて。その突然の奪回劇に唖然としているうちに教師からここへ行けと命じられて。 しょうがないか、と諦めて制服にかかった埃を払いながら、が目当てのものを探し始めたその時。 「」 老朽化した扉が開いたかと思うと、そこにはつい数秒前まで自分が求めていた人の姿。 中途半端に両手をあげて上のものを取ろうとしていた、その恰好のままは目を丸くするしかなかった。 「英二……?」 そして出たのはそんな情けない言葉。ついさっきまでその人のことを考えていた自分が出すにはあまりに素っ気無い言葉。 ただ自分の思考の中に甦ってくるのは、つい数分前まで教室で囲まれていた英二だったりしたから、それも当然と言えば当然だったのだけれど。 「抜け出してきたの?」 とりあえず背伸びをやめてから向き直って尋ねる。本当は内心嬉しいくせに、あえて平静を装って。 普段意識していなければ(いい意味で)さほど緊張しなくなっていた身体も、恋しく思っていたその時に限ってはやはり別論。 まあね、なんて笑って呟く英二のその笑い方一つで自分の方がまいってしまいそうだった。 「不二も彼女のとこ行っちゃってさ、折角がこんなところに来てくれてるんだし」 埃がわずかに舞う。微妙に温められた社会科準備室という密室の中で、英二が近寄ってきてそして頬に触れた。 優しい指使いは、たったそれだけで簡単に頬を緩めさせてしまう厄介モノだったけれど。 「……で?」 英二の言わんとしていることなんて、自惚れだと知っていても大体理解できる。 けれどあえてその言葉を大好きな恋人の口から聞きたい、と思うのがやっぱり本音なわけで。 「どうして菊丸君がここに来る必要があるんですか?」 「そりゃ勿論、にこうするため」 「!」 少し小首を傾げて尋ねた瞬間、埃が舞うことすらお構いなしに強く抱きしめられた。 購買部にでも向かうのか、薄いドアの向こうではどこか聞き慣れた同級生たちの笑い声が飛んでいく。その分やけに自分の心臓の音が大きく聞こえたり、英二の押し殺した苦笑が耳に響いたり。 明らかな体力差で自由を奪われたは、ただ英二にされるがままだった。 「、反応よすぎ」 突然の介抱に目を丸くして息を飲んだ恋人を、英二は涙目になりながら笑っていた。 そりゃ勿論。抱きしめられるなんて、今に始まったことじゃない。お互いの家に留まらず、誰もいない教室でだって何度か(未遂も含めて)ある。 それでも、それに驚くなという方が無理な話で。 「……だって英二、いつも急にするんだもん」 「急にやらないと驚いてくれないじゃん」 「ほら、驚かせようとしてしてるんでしょ?」 「あ、違う。に抱きつきたくてしてる」 「今更言い直しても駄目!」 あえて口論は小声だったけれど、抱きしめられたままならそれだけで十分だった。 いつもいつも、英二は突然触れたがるけれど。人前で触れ合いを求めたがるけれど。 結局求められて嬉しいのは自分自身で、そういう気持ちを持ってくれているということに気付くたびに胸の奥が熱くなって仕方ない。その熱さがそのまま涙腺に飛び火して、涙でも出ちゃうんじゃないかと思うぐらいに。変な嫉妬をかき消してくれるぐらいに。 抱きしめられれば、それだけで温かくて。ふいに寄せられる唇が嬉しかったりして。 「本当だって、じゃなきゃこんなところまで追いかけてこないよ」 「……」 睨み上げるの反応すら面白いのか、相変わらず涙目のまま英二は弁論を立てた。 確かにそこは埃まみれの社会科準備室。対する教室は自習で解放ムードからお祭り状態、そんな時に好き好んでこんな場所に足を運びたがる生徒なんてほとんど皆無(実際自身すら来たくなかったわけで)。 そんな、たったそれだけの一言に、やけには反応した。 クラスの中じゃムードメーカー。人を笑わせたり、楽しませたり、励ましたりすることに関してはピカイチ。本当に同い年かと聞きたくなるぐらい、精神的に大人。 「俺、いないと駄目な子なんだー」 笑って優しく抱き寄せて、その手も温もりも確かに優しかったのだけれど。 ちょっと、時々、気になることもあったりなかったり。 何故って、どれだけ大人びていても所詮菊丸英二は14歳。どれだけ同い年に思えなくても、立派な中学三年生。 「疲れた?」 そっと、誰にも聞こえないような小さな声で尋ねる。英二の腕の中のまま、上目遣いで。 たったそれだけの一言に英二は反応して、少し目を丸くして、沈黙して、そして苦笑した。 「なんで?」 「だって今日、テンション高いし」 「高い? そう?」 「やけに教室明るいし。……というか、いつもより騒がしいし」 そういう時は、決まって英二が不二に絡んで、冷たくあしらわれるか笑顔で厳しい突っ込みを受けるかのどちらか。不二も何かを知っているのか、そのテンションに付き合ってくれていたりする。 さすがに三年通して好きな相手のことだけに、それぐらい見破れないはずがなかった。 「は偉いね。なんでもお見通し?」 「英二のことならね」 頭を撫でられても、別に不快には思わない。それも英二の魅力の一つであるということぐらいわかっている。 そんな、理解している面が多いからこそ、余計な心配というものもしてしまうのが現実だというのに。 「……今日は、さ」 そんな心配心はお見通しなのか、よく分からなかったけれど。 頼られて嬉しいのは男だけじゃないということを知っているのか、よく分からなかったけれど。 ただ英二は手持ち無沙汰の手での髪を弄んだり、見上げる瞼の上にキスを落としたりしながらポツポツと話し出した。 「俺が元気じゃないと駄目だから。俺がへこんでたら余計にへこむ人がいるから」 「英二のファン?」 「んー……多分。試合とかいつも見にきてるって不二も言ってたし。あ、ごめん」 「いいよ。昨日のことでしょ?」 少しだけ慌てた英二には苦笑して尋ねると、ただ英二は浅く頷いた。 昨日は、ゴールデンペアとまで呼ばれる英二と大石が敗北を喫した日。 なんとなく話の展開が読めて、は一つ息を吐く。他の女の子のためと言われて嬉しいはずがなかったけれど、それでもその心情を知っているのは自分だけで、吐露してもらえるのも自分だけだという気持ち一つあればなんてこともない、と思うことが出来る。そう思わせてくれるのは他ならぬ英二なのだけれど。 「でも……」 「……でも?」 「やっぱ、疲れた」 英二はただ一言、そう言っての肩に顔を埋めた。 この人の優しさは時々迷惑にすらなりかねないかも、だけれど。 実際片想いの時、誰でも分け隔てなく優しい英二の態度に苦しめられたことがないわけでもなかったけれど。 「お疲れ様」 「うん」 それでも英二のファンの女の子が様子を見に来てはホッとした顔を浮かべて帰っていくのを、今朝から何度も目にしているとしてはそれを否定することはない。 ただ何より、その優しさで一番辛い思いをするのは何を隠そう英二本人だということに気付いて胸がしめつけられるだけで。 「よかったね、今が自習で。休んでく?」 背中を優しく撫でて尋ねると、英二は笑った。 「そのつもり」 「……なんだ、最初からさぼるつもりでここに来たんだ。私の手伝いじゃなくて」 「するする。報酬くれるなら」 「報酬?」 英二が笑って顔をあげる。がわずかながら目を丸くしているのを、目を細めて見つめ返して。 まるでそれが合図だっかのように、優しく唇を寄せた。 結局、自分の前でだけしてくれるこんな安堵の表情がたまらなく嬉しいと感じてしまうのは不謹慎かもしれないけれど。 ただそれでも、その優しさに救われてる人がいる限り、英二は意地でもその性格を変えないだろうし。何よりそんな英二だからこそ自分は好きなんだし。 だから、周りを大切にする英二の気持ちを止めるんじゃなくて、それを支えてあげるのが自分の役目。 きっと。そう感じるのは、きっと間違いではなかった。 「キス魔」 「にだけね」 白靄の社会化準備室でした苦笑の中のキスは、いつもより少し切なかった。 それでも、抱きしめてくれる手はいつもと同じで優しかった。 |
| 02/11/13 |