翼になる方法

 一時間も早く待ち合わせ場所に着いて、することと言えばそれだけだった。
 俺はごちゃごちゃと流れていく人込みを前に、ただ記憶の糸を引っ張り出す。
 俺の青学での思い出に全部出てくる女の子、
 それは俺が好きで、好きで好きで仕方なくて、両想いで嬉しい女の子。



 俺の彼女はとりあえず優秀らしい。

 優秀なんて肩書きは単に先生たちが決めたようなものだけれど、でも中間テストとか期末テストとか実力テストとか。テストと名のつくもの全てにおいて、とりあえず成績表の交換はしてみてもその都度気持ちは簡単に凹むわけで。

 優秀な彼女をもつと、彼氏としては色々大変だったりする。
 なにせは単に頭がいいわけじゃなくて、とりあえず色んなことに「聡明」だから。

「英二、何か嫌なことでもあったの?」
「は、なんで?」
「顔に書いてある」

 雨の日、ただぼんやりと外を見ていただけではそう言った。

 その日は特別に何があったわけじゃないんだけれど。
 ただ、朝歯磨き粉が切れていて渋々姉ちゃんのものを借りただとか、雨だから朝練の代わりに体育館内走り回されたとか、まあそんな他愛もないことが重なっただけだったのだけど。
 いつのまにか気の抜けていた俺の顔を見て、はあっさりそう言い当てた。

「じゃ、が元気にさせてよ」

 頬杖をついたままそうやって言った。わざと口の端をあげて笑って。
 は少しだけ沈黙したあと、俺の前で目を丸くした。
 もしここが教室じゃなくて、人がいなくて、たった二人きりの場所だったら問答無用に抱きしめていたりするんだけど、さすがに学級委員さんの手前そうすることも出来ない。

 そういえばは入学以来ずっと学級委員。
 でも実は単なる真面目な学級委員じゃなくて、一応それなりのことも知っちゃってたりするんだけど(俺が教えたんじゃん)。

「キスしてくれたら元気になるかもよ?」

 皆からは死角になるところで、俺はぎゅっとの手首をつかんだ。
 でも結局、学校にいる間は俺には主導権はないらしいということを再確認するだけ。

「この手を離してくれたら、後でしてあげられるかもね」

 ふっと、柔らかい笑みを浮かべられたらそれだけで白旗。
 その瞬間俺は「後」につられてぱっと手を離してしまって、でも同時にはっと事実に気付いたりする。
 ……俺達の「後」って、今日じゃなくてずっと先。
 テスト前の勉強会とか、試合後のちょっとしたデートとか。それぐらい。

 それに気づいた時にはもうは「ありがとう」なんて言って笑って、当たり前みたいに頭を撫でてくる。いや、嬉しいんだけど!
 ……嬉しいんだけど、男としてはそこで喜んでちゃ意味がないわけなのですが、さん。

のケチ」
「英二のおバカ」

 ふてくされて呟いたら、あっさり反撃された。

 でもそう言う横顔がどれだけ綺麗か、俺はちゃんと知っている。
 真正面から見た顔も、横も、勿論後姿も全部綺麗だっていうことを知っている。
 が不思議そうな顔するぐらいに見つめ続けてきたから、それはお手の物。だてに片想い歴長くしてないし。
 とにかくはこんな感じで、いつも聡くて、でも可愛くて、いつも俺は白旗。




 あの日だって。

「飛行機雲」

 芝生に転がったまま呟いたら、も見上げて同じ言葉を呟いた。
 聖ルドルフ戦後のちょっとした一時。おチビの試合が始まるまでの泣きの時間。
 遠くに白く霞む雲が見えて、でも目をこらしたらそれは飛行機雲で、なんだかそれが妙に綺麗で思わず呟いていた。

「台湾、楽しかったよね。また行きたいな」

 きらりと小さく光る飛行機に目を細めて、が言った。
 ああ、好きなんだよな。この笑い方。
 本当、小さな変化なんだけど。でも柔らかくて、少しだけ大人な笑い方で思わず抱きしめたくなるような可愛らしさもあって。

「ね、英二」

 そんな俺の気持ちなんて知らずに、は笑って俺の方を向いた。
 今では当たり前になったけど、本当は「英二」って呼ぶだけで一苦労だった。
 ずっと「菊丸君」から抜け出せなくて、そんなの手塚と一緒じゃん! なんて一人で涙にくれた日もあったけど、でも一ヶ月もした時突然名前で呼んでくれた。

 俺は、特別な気持ちをずっと持ってたから、だからずっと名前で呼んでいた。
 それが少しでもへのアピールに繋がればいいな、とか勝手に思って。というか単にと仲がいいのを回りに見せ付けたくて、そんな独占欲の表れでしかないと言われればハイソウデスなんだけど。

「また行こっか。台湾」

 一年前が少し懐かしくなって、俺は寝転がったまま言った。
 でも、は予想していなかったのかその言葉に苦笑した。

「どうしたの、突然」
「行きたいんだよな〜、台湾。とさ」
「ああ、去年はクラス違ったもんね。全然日程かみあわなかったし」

 それだけ呟くと、は残り少なくなっていたオレンジの缶を小さく揺らした。

 俺の横にはミルクティーとオレンジ。あと、タオル。全部が持ってきてくれたもの。
 それを見た時、ああ俺は負けたんだって改めて思わないといけなかったんだけど、でも今このわずかな時間でも忘れることが出来ていた。
 これものおかげか、なんてそっと見つめると、は小さく笑った。

「じゃ、新婚旅行で連れていって?」

 オレンジの缶を揺らして、一口飲んで。
 またこの人は俺の身体中を熱くさせるような一言を簡単に零した。
 俺ですら考えていなかったことを、しかもこの年じゃまだ抵抗する部分があるようなそのことを、さも平然とは言ってしまった。
 新婚旅行の定義なんて、誰に聞かなくても分かってるつもりだったけれど。

「駄目?」
「駄目じゃない」

 少しだけ小首を傾げられて尋ねられちゃ、に惚れまくってる男としてはぶんぶんと顔を横に振るしかないというやつだった。

 俺は自信があった。のことを誰よりも好きだという気持ちに。

 入学式の時に見て、世に言うヒトメボレというものをして。
 誰よりも仲良くなれるように同じクラスになってからは極力話し掛けて。
 たとえが他の男を好きでも、迷惑になるって分かってても絶対に好きという気持ちを捨てるつもりにはならなかった。

「俺、教会がいい。のウエディングドレス姿見たい」
「それは披露宴でも見れるじゃない。やっぱり日本人なら神前でしょ?」
「駄目、はドレス。白無垢は重たそう」
「英二が着るわけじゃないんだから」

 時間を忘れてしまうぐらい、そんな現実を無視した話。
 でも確かにその瞬間はいつも通りの時間とか、気持ちとか、そんな落ち着いた状態でいられた。
 だから負けた試合とか悔しい気持ちとか全部忘れることが出来て、100%にだけ気持ちを向けることが出来て。
 こういう気持ちになる度、やっぱりはすごいと思う。

「サンキュ、
「なに、突然」

 俺の呟きには小さく笑ったけれど、でもそんな笑顔も好きだった。
 別に何か違うことがなければドキドキしないだなんて、そんなの我儘。気付けばいつも通りの生活の中で、俺はいつもにドキドキしてる。

 教室とか、廊下とか。体育館とか運動場とか。試合会場とか。

 場所はどこでもいいのに、ただが横にいてくれるだけで気持ちが安らぐ。ドキドキと同居する。血管が痛いぐらいに熱くなる。


「ん?」

 ああ俺って、やっぱりが好きで仕方ないんだな。
 そんなことを再確認しながら、芝生の上の指を触って呟いた。

「結婚式さ、テニス部の皆呼んだらどうなるかな」
「テニス部の皆?」
「そう」

 本当は心の中ではウエディングドレス姿のに心臓が痛いぐらいにドキドキしていたけれど、でもそれが嬉しい苦痛だということに気付いて話を引き伸ばした。
 不確かな未来とか、別に今は興味ないけれど。
 でもと一緒のことなら、今少しだけでも話せば話すほど嬉しさに心がいっぱいになる。

「手塚とかスーツ着るのかな」
「多分。今でも似合いそうだよね」
「大石は? なんか俺たち以上に緊張してそうなんだけど」
「あはは! でも今の彼女とは長く続きそうだよね。ねえ、じゃあ不二君は?」
「不二? あいつは……平然と俺の過去を暴露しそう。ハズカシイ過去とかさ!」
「……うん、ありうるね」
「でも乾とかの方がある意味怖いか」
「あ、ねえ! あの子、越前君は?」
「おチビ? 小さいままなんじゃないの?」

 いつも通りの、何の変哲もない会話。
 でもそれだけでドキドキできるのは、相手がやっぱりだからこそ。
 俺がと一緒にいたいとか、そんな気持ちを抑えられないままこの優しい空気に浸っているからこそ。

「でもは俺の傍から離さないけどね」

 男だらけの披露宴会場で、誰がそんなことをしてやるもんかと決意して舌を出した。
 ただ、はただ笑った。その笑い方もいつもと変わらない、優しくて嬉しくなる笑顔。
 俺は嬉しくて嬉しくて仕方なくて、そのの細い指を離すまいと握り締めた。





 そんなこともあったか、なんて待ち合わせ場所で考える。

 珍しく時間に遅れずに来たはいいけど、あまりに早すぎて少し退屈。
 でもおかしなことに、のことを思い出せばそれだけで時間が簡単に過ぎていく。
 だてに三年間も好きでいないよな、なんて、いつまでも変わらない自分の気持ちに拍手を送りたくなった時。

 日曜の午後。人で賑わう東京のとある待ち合わせ場所。

 そんな中、それでもきちんとを見極められるのは俺の視力がいいせいか。
 それとも、単にが好きな男に過ぎないからか。

「ごめんね、待った?」

 息咳切らして走ってきたに俺は軽く首を横に振り、手を差し伸べた。
 ここは学校じゃないから。お互い私服で、誰にも咎められない場所だから。

「行こっか」

 それだけを言うと、は少しだけ苦笑して優しく握り締めてくれた。
 そんな日常の中にある幸せが何より一番幸せをくれるっていうことに気付かせてくれたのは
 触れる温もりに心が温かくなって、嬉しくて、結局俺も笑った。

 今なら「飛べ」と言われても飛んでやる(多分)。



02/10/11 菊丸英二シングル発売記念