雪解けの路 04 |
「え、なに? の知り合いなん? めっちゃ格好……」 「ちゃう、ちゃうから! 関係ないから!」 「が知り合いやなかったら、俺ただの変質者になるで。女子大の前で待ち続ける男とか」 あまりの慌てように、思わず口元の笑みを拳で隠しながら尋ねる。自惚れではあるが、はそのような印象の悪い言葉を自分に寄り添わせたくないに違いなかった。だからわざと口にする。果たしては予想通り、友人の背中を校舎へと向けた瞬間に慌てて振り返った。 「……な、なんでここに」 「この大学やって言うてなかったのに? 西宮なのに? この時間に? どれ?」 「全部です!」 「まあ、金色小春っちゅう男がおる以上、嘘はばれるわな」 金曜の午後から遊んだことがあると、金色が酔いの中で何気なく口にしたことを白石は聞き逃さなかった。どこまで無意識かは探りようがなかったが、先日の居酒屋での話の中で、思っていた以上に金色とが仲の良い関係であることを知った。自分とは高校卒業と同時に他人と言ってもいいほどの距離となっていたのに、金色とだけは財前の話題をいいことに会っていたのだ。 この事実は、告白をして付き合うことを願い出ている身としては面白くない。だが妙なプライドに構っている余裕はなかった、小さな不満に気づかぬふりをして酔った金色の言葉を繋ぎ合わせていけば、金曜正午に西宮のこの女子大学に行けば、は捕まえられる。妙な自信でそう予想すれば、その通りにが正門に現れたというのが現状である。 「すごいなあ、めっちゃ格好ええやん。どこで知り合ったん? あ、初めましてー私の……」 「ごめん、また話すから! 今日はちょっと無理、ごめん!」 がここまで慌てているのを見るのは、初めてのことだったかもしれない。思い返せば高校でも、再会したここ最近でも、彼女は絶対に取り乱すことはなかった。自分本位な感情を吐露することもほぼなかった。神戸であの日、一夜を共にして以来、自分の彼女になってほしいと伝えた時以来、どんなメッセージにも反応しなかったが面白いほどに慌て、頬を赤らめている。むしろ涙で終わっていたあの一夜を思い出せば、泣いていない彼女を見るのは安堵という温もりを心に与え、思わず白石も笑い出してしまいそうだった。 「悪いな、借りてってええか?」 「えー、全然。どうぞ、には今度ケーキ奢ってもらいますから」 「なんでケーキ……ちゅうか先輩も! 話広げやんといて……!」 「先輩なんや、そうなんやー」 「!」 「話すと余計にボロが出るで、」 にこにこと一言一句聞き漏らさずに微笑む友人と、の反応に笑っている白石とに挟まれて、はわずかに下唇を噛みしめる。恥ずかしさが怒りに変わる手前で白石はの手首を握り、バイバイと満面の笑みで手を振る友人を大学に残して駅へと向かった。友人のからかいの言葉が聞こえなくなった途端、拘束された人は何も言わなくなってしまった。 白石は立ち止まり、あっさりとその手を離す。どうでるだろうと思っての俯いた頭を見つめていたが、彼女はそのまま身動き一つしなかった。やがてここが最寄り駅から大学までの通学の道であることを思い出したのか、急に白石を路地に引っ張ったかと思うと、長いことストールの中に口元を埋めて黙っていた。 「……なんで。どうして」 「そらが全然返事寄越さへんからやろ」 「……しばらく考えさせてくださいとは言いました」 「音信不通になるとは聞いてへんし」 「だからって、なんでここまで」 「付き合うてってお願いしとるのに、何の音沙汰もなくなったらそら心配するやろ」 淡々と、けれどそれまでに一度も聞かせたことがなかった恋情まじりの言葉を口にすると、は面白いほどあからさまに慌て、頬を赤らめ、より一層ストールの中に口元を隠してしまった。そのまま埋もれてしまうのではないかと思うほど俯いていたので、白石は思わずストールを下げてわずかにその顎に触れ、上を向かせる。突然の接触に、はますます慌てて手を振り払い、一歩後ずさった。 「別になんもせえへんけど」 「なんもせんのなら、そういうことしたらあかんと思いますけど!」 「いまさら?」 途中から、その反応が面白くてわざとそのような類の言葉を選んでいたことは伝わっていただろうか。伝わっていたとしても、この時のは白石の言葉や態度一つですぐに表情を変えていた。それは、極力感情を押し殺していた高校時代を思い起こせばおかしなほど惹かれる仕草で、白石は笑いを堪えるのに必死だった。その時になってようやく自分がからかわれつつあることを自覚したは、眉根を寄せて大きなため息をつく。白石によって露わになった口元から、柔らかくて白い息が零れた。 「……もう少し、時間ください。そんなすぐには答え出ないんです」 思ったよりも頑固だな、とその表情につられるような拒絶の言葉を聞きながら、白石は考える。 しかし今日、自分はを言いくるめるためにここにやってきたのではないことを思い出し、あっさりと頷いてみせた。その反応は予想していなかったのか、逆にが目を少しだけ丸くして白石を見つめる。俯きたい気持ちが見え隠れして、その視線は自然と上目遣いとなった。ああこの子はこんなにも、自分を真っ直ぐ綺麗な瞳で見つめてくれていたのかと、高校時代の何も気づいていなかった自分を恥じる気持ちだけが大きくなった。 「そしたら、なんで」 今日ここに、とようやくまっすぐに白石を見つめる。素直さが滲む瞳に白石は柔らかく笑うと、そっと手招きして露地から冬の陽光の表通りへとを連れ出す。 「、俺にたくさん隠しとることあるやろ。気づかへんかった俺も悪いけどな、いまさら一つ一つ探りながら答え合わせするんも効率が悪いしな」 「……え?」 「デートしようかと思て」 の返事は待たず、白石は駅に向かって歩き出す。本当は寒がりだった彼女の冷たい手を握りしめてやりたかったが、拒絶されるに違いなかった。だから数歩先を行き、そっと振り返る。果たして彼女は快諾しない代わりに突っぱねることもせず、半信半疑という表情も崩さないまま、白石の後ろをついてきた。 大学の最寄り駅にたどり着くと、どこに行くのだ、という怪訝な表情をは隠そうとしなかった。白石は口元に笑みを浮かべ、当然のように西へと向かうホームに向かって歩き出す。午後からの授業に向かう大学生の姿は多い。どこに知り合いがいるか分からないという顔で、は少しだけ白石と距離をあけて後ろからついてきた。 (大学でこれやったら、高校ん時はどんだけ気にしとったことやら) ようやく気づいた事実ではあったが、正直なところ半信半疑だった。自分がの高校時代を全て見続けていたわけではないから、彼女が自分の目の届かないところで一体どのような、どれだけの努力を秘密裡に行っていたのか全く見当がつかない。自分の前ではいつも平静を装っていたし、財前と話をする姿は、お世辞にも可愛らしいという種類のものではなかった。 ただ、あっけらかんとした物言いの中にも誠意があったことだけはよく覚えている。財前がよくしかめ面をしていたのは、言動が好ましくないからではない。彼女が口にする言葉は大抵、図星だったからなのだ。 (人のために何かするんは全然拒まへんくせに、自分のために何かすることは全力で嫌がって。しんどかったやろな) 平日の正午過ぎ、車内は空いていた。一度の乗り換えを経て、様々な記憶が宿る三宮にたどり着いた時、はあからさまに困った顔をした。下宿先から一番近いから、と白石との約束の場所に指定していたここは、彼女にとって白石を偽った場所であり、告白を拒絶する今のをあざ笑うような一夜を過ごした場所だった。その表情になるのも無理はない、と白石は思わず笑いそうになると、ちらりとこちらを見上げる視線は素直な不機嫌に満ちていた。 「機嫌悪なっても美人やな」 「……そういうことを平気で言う」 「言うで。彼女にする予定やからな」 相変わらず、手は繋がない。あの夜何度奪ったか分からない唇をストールの中にまた隠すの様子を、ただ眺めるだけである。ここで何をするのか、と地下の改札口から地上へと出て冬の寒々しい水色の空を見上げる史奈を、白石は数歩離れたところで目的地へと誘う。こっち、と小さく手招きをすれば、は俯きがちになりながらも白石の後に続く。そして見知った三宮駅の山側、いや三ノ宮駅の海側から、違う電車の改札口へと導かれた時に、その足を止めた。 そこは三度、が白石を見送ってきた改札口。待ち合わせをし、アルコールとともに時を過ごし、そして二度は夜に、最後の一度は朝陽の眩しい時間帯に白石を見送った駅の改札口だった。白石を偽るために必要な場所であり、あの夜を必然的に思い起こさせる場所でもある。どうして、とその視線が怒りなのか悲しみなのか分からない色で問いかけてくるのを、白石はさほど気にせず久しぶりに券売機へと向かうと、180円の切符を購入してに渡した。 「……180円? どこ行くんですか?」 訝しむ表情を変えないままのが路線図を見上げるよりも早く、白石は彼女を促して改札口を通り抜ける。そしてさらに西へと向かう姫路方面のホームに上がるエスカレーターに乗り、動揺を隠せないながらも後ろからついてきたの手を、ホームにたどり着いた時に初めて握りしめた。 「相変わらず、冷たい手して。覚えてるで、『私は心があったかいですから』っていつも言うとったな。財前がえらい顔して見とってな、あの時」 「……先輩は、いつもカフェオレ買ってくれました」 「そうやな、そうやった。悪かったな、あの頃なんも気づかへんで」 言葉は返されなかった。代わりに、ようやく繋いだ手をは握りしめて離さなかった。 に行き先を告げぬまま、ホームに入ってきた普通列車に乗り込む。神戸の中心地を離れる列車も空いていて、ぽつりぽつりと話し始めたの隣に座っていれば、懐かしさと高揚感がない交ぜとなる、不思議な感覚に襲われた。このような距離で話したことは、初めてではない。けれどお互いいくらか心の内を明かした後の会話は、ここまで素直に胸の中に飛び込んでくるのかと不思議でたまらなかった。繋いだままの手の温もりは、今までの誰とも感じたことのない温度だった。 須磨海浜公園駅に着いた時、ちらりとが白石を見上げた。だが白石が動かないのを見て、また眉根を寄せる。 「水族園は、付き合うてから行くことにするわ」 「そしたら、どこに……」 「ここ。降りるで」 たどり着いたのは、須磨海浜公園駅の隣、須磨駅だった。ここに何が、と慌てるをホームで待ち、手をもう一度取って駅の南側へと改札を出る。見当がついていなかったでも視線を向けるだけで全てを理解する、そこには須磨海岸が悠然と広がっていた。 「話をせなあかんけど、大阪では会いたないやろし、店の中も人に聞かれるのが嫌やろ。お互いの部屋で話せるような関係でもないし、そう思たらここしかないなって」 日中とはいえ、冬の冷えた風が頬に触れる。薄い亜麻色のような砂浜に足を向けると、瀬戸内海の波の音が静かに響き渡った。無人の砂浜というわけではなかったが、波の音が隔離された空間を作り出しているように感じられる。の顔を見れば、目的地が自分のためだったことを知ってまたストールの中に口元を隠していた。それは嬉しかったり恥ずかしかったりする時の彼女の癖だと、ようやく分かるようになった。 「、俺な、いくつかお前の嘘にはもう気づいとってな」 返事はなかったが、困ったような笑みを浮かべるの表情は「でしょうね」と呟いているようでもあった。 「そもそも、俺のこと気にしてくれとったことからもう嘘ついとったしな。これは言い訳かもしれへんけど、はよ言うてくれたら、俺かて考える時間があったのに」 「先輩は恋愛する順番がテニスと勉強よりもっと下やったやないですか。それやから告白されてばっかりやったって、私やなくても知ってますよ」 「……そうかもしれへんけど。せやけど、言われる相手にもよるやろ?」 「あの頃の私は、先輩にとってただの後輩です。それでいいんです、私、先輩のテニスとか支えられる自信なかったし、他人に支えられるような人でもないと思ったし」 白石の予想通り、浜の風と波の音がにとって居心地のよい秘密の空間を作り出していた。白石の呟きに、まるで居酒屋で二人で笑いあって飲んでいた時のような滑らかな口調で言葉を紡ぐ。あまりに滑らかすぎて、逆に偽りの続きを演じているのかと一瞬思ったが、手を握りしめる力はの方が強かった。それだけで白石は、足元の砂をゆっくりと踏みしめながら交わす今の言葉の大切さを思い知る。 「私も先輩が好きやって言うてしまったら、他の人たちと同じやんって思ってたし。それで先輩にしてほしいことなんか言うてしまったら、もうほんま、目もあてられへんって」 「……それは、また。壮大なマイナス思考というか」 「いやもう、白石蔵ノ介って名前に釣り合う人に付き合ってほしかたっただけなんです、私は。先輩の願いが叶う方が大事やっただけで」 「今の俺の願いを全力で拒否しとる人が言うとおもろいな、それは」 「……」 誰かのためになることは、自分の幸福より優先される。それは献身的で美しく見える反面、果てのない自己犠牲の先を思わずにはいられない。それを十代のあの頃、白石ですら自分に都合よく生きていた瞬間もあった高校生の頃に、なぜこの人はそこまで徹することができたのかと不思議だった。 握りしめた手が離れていかないように五指を絡めれば、はそっと白石を見上げる。その見上げる顔にはどこか見覚えがあって、白石はここ最近の日課のようにもなっている高校生時代の記憶の糸を今日もまた辿らざるをえない。 あれは最後の夏の大会前、夏休みの練習中だっただろうか。学校でも美人で有名だった恋人と、周りだけでなく白石本人も予想していた通りに別れた数日後のことだったと思う。自分は部活で、は文化祭の準備で、静まり返った夏の校舎内で偶然鉢合わせをした時だ。 「暑いのにご苦労なことで」 「先輩。どうしたんですか、休憩ですか?」 「ああ、小春と財前呼びにな。文化祭の手伝いに顔出してくる言うてこっち来たはずやねんけど」 「あ、すみません。教室で財前とお花紙の花作ってもらってます」 「似合うと笑っていいのやら、やな」 白石の呟きに、は爽やかな笑い声を上げた。その声は誰もいない廊下によく響き渡る大きさだったが、不思議と品がないとは感じなかった。白石の好みを知って品をまとった素振りをする同級生の女子と比較して、居心地の良さは比べ物にならなかった。 今思えば、それは全てが白石のために用意した最善と考える空間だったのだから、そう感じるのは当然だったのだろう。そこに恋情の一滴もしみこませないのそのような努力は、逆にの存在を印象づける皮肉も生み出していたが、この時はお互いにその事実に気づいていなかった。 「あ、私今ちょうど飲み物買うてきたんです。はい、先輩。あげます」 「え? 財前か小春のとちゃうんか」 「また買いに行って休憩するんです、私は。私に協力してくれますか? 先輩」 こちらに遠慮をさせないように、さらさらと言葉を紡ぐ。差し出された購買部のマスカットティーに、白石は笑う。それは普段自分が好んで飲んでいるもので、まるで自分が来るのが分かっていたかのようなセレクトだったが、もそれを日頃飲むようになっていたことを白石はこの夏に知っていた。 学年も部活も違う。自分たちの間に、共通点はなかった。そのような関係の中でたった一つの共有点となっていたマスカットティーを受け取り、白石は丁寧にお礼を伝える。受け取らせるあの力も、おそらくの努力の一つだった。しかし当時、それに気づいていなかった白石は、それならばと時間を確認してからを手招きした。 「休憩に付き合ったろ。おいで。俺がの買うたるわ」 そのたった一言に、がどのような想いを抱くのかなど想像もしなかった。 その時、数メートル先の教室からひょいと金色が顔を覗かせた。借りてくで、と声を上げれば満面の笑みとともに手を振られる。珍しくは慌てていたように思う。まさか二人で校舎を歩くことになるなど、思いもしなかったのだろう。途端口数が少なくなった彼女を、この時の白石はさほど気にしなかった。突然贈られた自分の好きなマスカットティーを飲みながら、機嫌がよくなった自分が一方的に話していたと思う。後ろを歩くを時折振り返って表情を窺えば、予定外の出来事に困惑して曖昧な笑みを浮かべていた。 全て、己の密やかな想いを隠すための行動しか取ってなかった。突然の二人の時間に、感情が漏れ出さないように必死に言葉を殺していた。振り返る白石に対し、いつもの綺麗な笑い方を忘れるほど緊張もしていただろう。だからあの時、 「何してんねん、白石。……お。どこ行くん、二人で」 「購買部。財前のお守りしてくれとったらしいから、お礼がてらな」 「……ふうん?」 突然強張った表情を浮かべたに、もっと気づいてあげるべきだった。 校舎を出たところで、一氏とアイスを食べながら休憩していた忍足に声をかけられた。一氏が特別口を挟まず視線だけを向けるのはいつものことだったが、その時の忍足は妙にの様子を窺っていた。見知っている顔だろうに、と白石はその不思議な沈黙に少し目を丸くしていると、が慌てて首を横に振った。 「先輩、私財前連れてきます。小春先輩も。待っててください、すぐ呼んできますから」 「え? 別にええで、まだ休憩……」 「大丈夫ですから」 言葉が重なることも厭わず、は踵を返す。校舎を出て夏の日差しを浴びる白石とは対照的に、薄暗い校舎の中に隠れるように戻っていく彼女の姿は、夏の日差しに負けて一瞬見失いかけた。 「。ゆっくりでええから。俺ここで待っとるし」 感謝すればいいのか詫びればいいのか分からず、気遣う言葉を向けるだけで精一杯だった。けれどその一言には立ち止まり、そっと振り返る。気遣いを見抜いた申し訳なさを宿した表情で、自分たちの身長差を意識せざるをえないわずかな上目遣いの視線に、息を呑んだのは白石だった。 はただ曖昧に笑って、小さく頷く。そして自分とは違う軽い音を立てて階段を上って、姿を消した。やがて白石の背後から、わざとらしい忍足のため息が零れる。 「気遣いのようで、罪作りっちゅーやっちゃな」 「珍しいな。俺も同感や」 忍足の言葉に同意する一氏の言葉が、意味をとらえきれずいつまでも白石の頭の中にこだまする。 その後校舎から出てきた金色と財前の隣に、の姿はもちろんなかった。 「謙也になに言われとったんか知らんけどな、別に悪気があって探りを入れとったわけや……」 「ちゃうんです。忍足先輩、知ってたんです」 「……は?」 「忍足先輩にだけ、ばれてたんです。財前にも先輩にも、小春先輩にもばれへんかったのに、忍足先輩だけ」 深いため息をついて、は砂浜にしゃがみこんだ。目線の高さに揃った冬の海の波を静かに見つめる。必死に全てを隠そうとしていた当時のにとって、あの忍足の視線は確かに耐えられそうにないだろとう白石でも分かった。例の恋人に理不尽な理由を突きつけられて別れた直後、親友にしては珍しく怒り狂っていた理由を白石はようやくこの年になって知る。 「私、ほんま、先輩にばれたらもう全部おしまいやって思ったんです。話してくれることも、部日誌預けてくれることも……って、これはもうなかったですけど、勉強教えたろかって言ってくれることも。そんなん全部なくなってしまうかもしれんと思ったら、告白なんか絶対できひんし、先輩にだけはばれたらあかんって思ってたんです。せやから卒業式も、声かけられへんかったんです」 「そうか」 「私みたいな、高校になってからようやく先輩のこと好きやって気づいた人間に、好きなんて言う資格はないって。他の女子と一緒やって。先輩、私とも簡単に付き合ってくれたかもしれへんけど、私は多分すぐに残念がられて、期待外れやって思われて振られるから、そんなんなるぐらいやったら絶対言わんほうがええって。先輩の好きなジュースを真似できるだけで幸せって思わなって」 「……そうか」 しゃがみこんで、膝の上で組んだ両腕に顔を預ける。やがて小さな泣き声が聞こえて、白石は隣にしゃがんで何も言わずに頭を撫でた。その温もり一つで、は初めて白石の前で声を出して泣いた。違う女子と一緒にいる姿を見せても、彼女の恋心を無為に刺激する態度を取ってしまっても、強引に告白をして抱いてしまってもここまでの泣き方はしなかった。五年もの間閉じ込めていた恋情の蓋を開けた瞬間、もろく柔らかい砂浜のごとくは泣きながら全てを吐き出し続けた。 「忘れようと思ってたのに、なかったことにしようって。やのに先輩、会ってくれるから。一緒にご飯食べて、話してくれるから。そんなん嬉しいに決まってるし、軽い女やって思われても私、あの時、先輩と一緒におりたかった。ごめんなさい」 「いや、謝るんは俺やし」 「私です。私は先輩に釣り合わへんのに、なんで告白とかしてくれるんですか。意味分かりません」 「……いや、そこで怒られるのはちょっと意味分からへん、俺が。怒るならちゃうことで怒ってや」 「……え?」 涙を幾筋も頬に伝わせたまま、繕うこともない表情でが顔を上げる。装ったものでない、そのような表情の方がよほど可愛らしく思うと伝えたら、余計怒られるだろうか。 親指で頬を拭いながら、幾度か頭を撫でながら。が落ち着くまで温もりを灯し続けると、涙がようやく止まる。偽りのない瞳に見上げられて、白石はそっと笑いかけた。 「待たせて悪かった。居心地よくて、気づかんくて悪かった。好きやで。気に入っとったのに、ずっと。今日まで待たせてごめんな。……俺と付き合うてくれるか? 」 涙が止まっていたのは、たった数秒。 やがて大粒の涙が零れたの泣き声はなかなか止まず、白石は黙って頭を撫で続ける。待つことが何一つ苦にならない、嬉しいと思える泣き声は初めてで、白石が笑うものだからは余計に涙を流し続けなければならなかった。 |
>>05 21/12/17 |